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二人の兄貴

05 面倒くさい男

「まぁ、そう言う事だ。悪いけどバレた」
翌日の朝。
早朝から義成の元を訪れ、昨日景伊と話した事を伝えれば、義成の眉間に皺が寄った。
「…早過ぎだろう」
「仕方ねぇだろうが言って来た事は。お前も騙す気があったならもうちょっと演技すれば良かったんだよ」
「騙すとは心外な。言葉が悪い」
「同じだろ。景伊にガキ扱いするなって怒られたっつーの」
「…悪かったよ」
定信が苦笑いをすれば、義成も困ったような笑みを浮かべる。

「なぁあんた、体の具合でどっか変わった所は本当にないのか」

定信から見る義成は、確かに「元気がない」と言えばそうなのかもしれないが、あれから何か変わった症状が出た様子はない。
片足のつま先の黒ずみも、特に進行している様子はない。
「自分が自覚しているものとしては、ないな」
「そりゃよかった…って言っていいのか」
「死ぬ時は死ぬさ。遅かれ早かれ」
「あんたは自分の事なのにあっさりしてるよな…」
定信は呆れたように言う。この男を目の前にすると、焦っているのは自分たちだけのような気がしてきた。

「それよりも、お前は例の村に行くと言ったが。…行くなら、誰か共は連れて行け」
「そうは言っても、何も知らない奴を付き合わすわけにはいかないだろ」
これは、自分が「確かめるため」に出かけるだけだ。
利秋も今は多忙なようで、動けないと言っている。
「…景伊は?」
「あいつをあの山の近くへまた連れて行けってか?…俺は嫌だね。関わらせたくない」
「……」
景伊は「自分が行く」とは言ったが、自分はそれをさせたくなかった。
景伊はもうあんな事に関わらずに、平和にただ生きればいい。
「甘やかしている」と言われるかもしれないが、定信はそう思っていた。

「…うちの人間を貸そうか」
「あんたんとこの使用人は辛気臭いからいい」
「医者の癖に滅茶苦茶言う奴だなお前は。…まぁそこまで言うなら、きちんと帰ってきてくれ。後味が悪いのは御免だ」
「言われなくても。…あぁ、あと多分、今から景伊が来る」

そう言うと、義成が意外そうな顔をした。

「…何の為に」
「何の為って、お前の為に決まってるじゃねーか。こんな辛気臭い家で一人でいるより、話し相手がいた方がいいだろ」
「人の家を何だと…まぁ、間違ってはいないか」

義成は苦笑いを浮かべながら、定信の話を面白そうに聞いている。
当主の癖に、本当に自分の家にこだわりがないらしい。むしろ嫌い、と言うか。

「別にあいつが来るのが迷惑とか、そう言う訳じゃねぇんだろ?」
「それはない。…自分の家なんだから、好きに出入りすればいい。
そもそも、来るのはあいつの意思か?」
「俺のおせっかいとでも言いたいのか?…あいつが来るって言ってたんだから来るんだろうよ。ほんとは俺があんたの様子を看るべきなんだけど。…俺よりは景伊の方がいいだろ?」
そう言えば、義成がため息をついた。
「何だよ。嫌か?」
「そうじゃない。嫌じゃないさ。…お前のようなのが常にそばにいたら、景伊が口数が少なくなるのも当たり前だと思った」
「……うるせぇって言いたいのか」

――こいつ、死なないんじゃないだろうか。

定信はそんな憎まれ口を叩きながらも、義成の屋敷を出た。
例の村までは距離があるが、山道を歩く訳でもない。町をはずれていくにつれて人通りは少なくなるが、ぽつぽつと集落は続いている。
少々物騒になってきた世の中だが、道中は多分一人でも問題ない。
「アレ」がらみでなければそれでいい。
しかし「アレ」と全く関係が無ければ、またこの件は振り出しに戻る。
(…あいつ、死んでもいいと思ってるんだろうな…)
「死ぬかどうか」はまだわからないにしても。
あの男の落ち着きようはなんだろう。わけのわからない症状に襲われたら不安に思うなり、なんなりあると思うのだが。

――自分は助けたい、と思っていた。だが、あの男はそれを望んでいるのか。

ぐだぐだ何を言おうが、自分は出来る事をやるだけだと思っている。
景伊を看たときも思ったが、精神的な問題は自分にはどうする事もできない。
誰かあの男の力になれる人間が、側にいればいいのだが。
…そう考えると、やはり景伊しかいない。

自分とは気の合わない男だ。
しかし景伊にとっては未だに尊敬する兄のようだし、義成も景伊を嫌っているわけではない。むしろ常に気を使っている様子さえ感じる。
義成は景伊に「戻って来い」とは言っていない。「好きにすればいい」と言っている。
彼にしてみれば、景伊のあまり好きではない家で、自分を殺しかけた人間と共に居る必要はない、という事なのだろう。
居場所があるならそこにいればいい。お前がどうしたいのか決めたらいい。
この家に関わる必要はない。

だがそれを、景伊はどう受け取ったのだろうか。

(…お互い大事なのに、何でうまくいかないんだろうな)
難しい。本当に人対人と言うのは、難しい。
あんな事さえなければ、彼らはまだあの家で仲の良い兄弟をしていたのだろうか。
幸せだったのだろうか。
彼らの穏やかな関係というものがどんなものであったのか、見てみたいような気もする。
しかしあんな事件がなければ、今景伊は自分の手元にいなかった。
…家族のような、弟のような。何とも言い難い存在の彼は。

あの男は景伊を想って「好きにすればいい」と言った。自分が相談を受ければ多分「あんな家に帰るな」と言うと思う。
正直な話、帰したくはない。
物じゃないのだから、景伊にだって選択する権利はある。だが自分としては嫌だ。
(…俺はどうも、面倒な男だったみたいだな)
そう考えて、定信は一人苦笑する。
自分の本当の家族と疎遠になったからなのか。
どうにも、「家族」と思う者に対して執着が激しい。利秋であれ、景伊であれ。
彼らもそのうち、別の人生を歩むかもしれないのに、自分はこの関係を壊したくないと望んでいる。

景伊に自分と同じ後悔をさせたくないから、今は兄貴の所へ行けと言った。
それはそのときは、景伊の為を思って言った事だ。それに偽りはない。
あの兄弟の関係が改善するなら、それは多分良い事だ。互いに嫌ってはいないのだから。

だがもし、景伊があの家に戻る、もう帰らない、と言ったら。
そう考えると、胸の内に何かどす黒いものが沸いて来て、定信は考える事をやめる。

帰らせたくない。あいつに渡したくない。

「…子供か、俺は」
…いい大人の癖に。と、景伊は昨日言った。
全くその通りだなと思いながらも、定信は覚悟を決めて、急ぎ足で歩き始めた。