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町に潜む獣

11 選択

定信が自分たちの暮らす屋敷に戻ったのは、深夜を回った頃だった。
怪我人を道場に置いたままにすることもできず、定信と太助で景伊を、利秋と義成で潮津をそれぞれ連れ帰る事となった。
潮津は自分で歩けるようだが、景伊の意識は相変わらず戻らない。
下手に動かすこともできないので、戸板に乗せて戻った。
別れ際、潮津は定信と目が合うと、深々と頭を下げた。
向こうは何も言わなかったし、こちらから声をかけることもなかった。
あの男が今後どうなるのか、定信にはわからない。彼にその気がなかったのだとしても、今は正直、どうでもいいと思えた。

「あの男は、命に別状はないと思うよ」

帰り際、そう声をかけたきたのは、自分の師でもある楠だった。
腕の良さそうな医者を、と利秋が頭をめぐらして思いついたのがこの男だったらしい。
その選択は正解だったと思う。自分が着いたころには、何もすることがないくらいに手早く、手当ては終わっていた。
「……そりゃ、よかった」
楠の言葉に答えた己の声は、ずいぶんとそっけないものだった。
潮津とは親しいと言うほどではなかったが、悪いとは言えない関係だったと思う。
結果は別として、そんな反応しかできない自分はやはり器の狭い人間なのだ。
楠は、そんな定信をちらりと見たが、何も言ってこなかった。
恐らく何があったのか、詳しい事情はわからないままなのだと思う。
──負傷した彼ら二人の間で何かいざこざがあり、衝動的に相手を刺すような事態に発展した。
その程度の認識なのかもしれない。
「あの男、ここの道場の師範か何か?」
「……もう似たようなものですが、一応塾頭ですね」
「ふぅん……」
二人の男に連れられて、暗がりに消えていく潮津の背を、楠は目を細めて見た。
「……駄目かもな。剣の方は」
「剣?」
定信の問いに、楠は頷く。
「この坊主が噛んだ指。腱が切れてんだよ。利き手だし、竹刀握るにはちょっと致命的かな。まぁ、今後の状態によっちゃ多少回復するかもしれんが」
指は難しいからなぁ、と楠は呟いた。
定信はなんとも嫌な気持ちになって、寝かされたままの景伊の顔を見た。
口元にはまだ腫れの残る、激しく殴られたような跡があるし、体の数か所に青あざができていた。
定信も、ここで何があったのか、己の目で見ていたわけではない。利秋から断片的にしか聞いていない。
聞いた話によれば、景伊は潮津に「自分の居場所を知るため」挑んでいたのだという。
(……馬鹿だな)
自分がその場にいたら絶対に止めている、と定信は思う。
あんな大きな男に、鶏がらみたいなお前が敵うか、と。
見かけによらず負けず嫌いなのは知っている。
でもそのために、自分のために怪我をして、あげくこんな死にかけた状態になって。
(意味ねぇだろ、それ)
定信は唇を噛んだ。
景伊は景伊なりに必死だったのだろう。その気持ちは嬉しくもある。
でも。
「お前が生きてなきゃ意味ねぇよ……」
最後の呟きは、無意識に口から吐き出されていた。


楠はこれから診ねばならない患者がいるという事で、途中で別れた。
屋敷に戻ると、定信は景伊を己の部屋に布団を敷いて寝かす。
ようやく少し落ち着いた頃、定信は今まで黙々と手伝ってくれていた太助に頭を下げた。
「すみません。こっちに来た早々」
だが太助は「やめなよ先生」と言いながら、部屋の中で胡坐をかいて座った。
「あんたが謝る事はねぇって。まぁ、驚いたは驚いたけどな。道場行ったら、こいつの兄貴と利秋の旦那が大騒ぎしてるんだ。こいつは血塗れでぴくりともしねぇ。もう一人の男も血塗れで吐いてやがる。……なんだこれと思ったよ」
しかし肝のすわったこの猟師は、血にも慣れているし怪我の手当てもそれなりに心得があったらしい。
医者が来るまで応急手当していてくれたというのだから、定信としては頭が上がらない。
頭を下げる定信に、太助は困ったように笑う。
「そういうのやめてくれよ。俺、苦手だからさ。礼なら、俺よりマチにいいなよ。あいつがいなきゃ、あんた今頃まだ蔵の中だぜ」
たしかに、と定信は笑った。
そのマチは今、台所の土間で丸まっている。
部屋に上がりたがったが、怪我人もいるので台所で我慢してもらう事にした。本来であれば縁側にでも繋いでくださいと言ったのだろうが、あの犬はある意味定信の恩人でもあるし、景伊には懐いていた犬だった。
戸板で景伊を運ぶ最中、匂いを嗅いでは顔を舐めたりしていた。
マチもそれなりに、景伊を心配していたのかもしれない。先ほどまで土間でひゅんひゅん鳴いていたが、今はあきらめたのか静かになった。
自分の、もう着ない着物を寝床代わりに置いてやったので、丸まって寝ているのかもしれない。

可愛がっていた犬、そして自分。

それらがいれば、景伊は普段であれば匂いで気づいただろう。
だが今は、浅い呼吸を繰り返しながら、血の気のない顔で眠っていた。
「……なぁ、先生」
太助が、少し気遣うように声をかけてくる。
そのときはじめて、自分の表情が固まったように、険しい顔をしている事に気づいた。
「こいつ、どうなんだ」
太助の視線には、横たわった景伊の姿がある。
太助は定信よりも、刺された直後の状態を見ているはずだった。
「……あなたが着いたとき。こいつ、どんなでした?」
定信は静かに問う。
自分はそれさえ見ていない。自分があの道場へ帰った頃には、何もかも終わっていた。
医者の癖に、手当てもしたわけではない。
ただ怪我人を連れて帰っただけだった。
「……今と大して変わらないよ」
太助は、少し目を伏せて答える。
「こいつの兄貴が必死に名前呼んでたけど、もう反応してなかった。刺された後、こいつ自分で刃物抜きやがったらしくてさ。それで余計に出血しちまってて、あのおっかない兄貴が顔面蒼白で。たぶん慌てちまったんだろうな。ろくに止血もしてねぇから、慌ててこっちも上がって」
楠が来てから、太助は定信と会ったことを義成に伝えたらしい。
それで二人でこちらまで来ていた、ということのようだった。
太助は恐らく、こいつは助かるのか?と自分に問いたいのだろう。
「……俺は、診てないからわかりませんが」
定信は、深く息を吐き出す。
一番の役立たずは誰だろう。
──自分だ。

「楠先生は運だって言ってました。こいつが生きるか死ぬかは、もはや運だと」

そう言った後、その言葉に嫌気がさして、定信は口元に無理やり笑みを浮かべた。
「こういうときは、医者ってのは本当に無力だと思わされます。天にまかすしかないなんて。その間こちらは、おろおろしているしかない。きっと上から見て運命ってのを決めてる連中は、そういう人の慌てっぷりを楽しんで見ているんだと思います。……そう思う俺は、性格が悪いですね」
「先生の性格が歪んでるのは、今に始まった話じゃねぇし」
「……そうですね」
太助にばっさりと言われ、定信は皮肉げに笑った。

「……こいつに会った時も、こんな夜でしたよ」

定信は景伊の額を撫でながら、静かに口にした。
太助が視線だけを定信の方にやる。突然何を言い出すのか、と言うような目だった。
定信は苦笑する。
確かにこんなときに、何を言っているのだろう。
だが語る口は、止まってくれなかった。

「あの日は雪でした。夜中から急に降り出して、この辺りはそんなに積もらないのに、あたり一面真っ白になってました。俺はまだそのとき楠先生のところで見習いの医者をしていて、手伝いから帰るところでした。そのとき、こいつが……景伊が倒れているのを見つけました」

──おい、大丈夫か?
そう駆け寄った。ものかげに倒れていたのは、まだ幼さを残した少年だった。

「あっちこっち斬られてて、意識もなくて……こりゃまずいと思って、俺はこいつを担いで帰ったんです。血塗れの、どこの子供かもわからないようなのをおぶって帰った俺を見ても、利秋さんは何も言いませんでしたね。慌てもせず、治療を手伝ってくれました。あの人はやっぱり、肝が据わってる」
「……旦那らしいわな」
太助が少しだけ笑って言った。こちらの脈絡もない呟きを、黙って聞いてくれるつもりらしい。
やはりこの人はなんだかんだで人が良いと、定信も笑いながら頷いた。
「傷縫って寝かしてたら、こいつはよりによって自分の兄貴と俺を間違えて呼びやがりました。今だったら殴ってるかもしれませんが、あのときはわからなかったので、安心させて寝かしつけてましたよ。……背は確かに同じくらいありますけど、基本似てないと思うんですけどね」
「あー……でも後姿とか、歩き方とかはなんか似てるかもな。顔とか性格は、別物だけど」
「そこまで似てたら嫌でしょうよ、あいつも」
定信は苦笑した。あの男も、自分なんかと間違えられたら怒るだろうか。
怒りはしないかもしれないが、嫌な顔をするだろうなぁ、と思う。
心の中で、「早く来いよ馬鹿野郎」と呟いた。
潮津を送り届けたらすぐに行くなんて行っていたが、まだあの男たちは帰ってこない。

「……こいつはしっかりしてるように見えて、世間知らずで常識なしです。その後怪我が良くなって、何度か外に連れてってやったら、目ぇきらきらさせて、あれは何これは何って聞いてくる。面倒だなって思いましたけど、嬉しくもあったんです。おどおどしながらも、俺に一番懐いてくれたのがわかったし、こいつと過ごすのは俺も楽しかった。だから、こいつを傷つけた兄貴を許せないって思った」
あとはよくわからない、と定信は呟く。
「人生、こんなはずじゃなかったって事ばっかりです。いつのまにか俺の方がこいつを手放せなくなってて、こいつはもっと外を知るべきだとわかってるのに、俺の知らないような遠くにはやりたくないんです。大事にしたいはずなのに、逆にこいつを困らせて、俺は年上の癖に、我慢の利かない奴で」
「……先生」
太助のたしなめるような声に、定信は首を横に振った。
止まらなかった。
何故今走馬灯のように、昔の事を思い出すのだろう。
弟のように思っていた。それは今も変わらない。
だが、次第にそれだけではなくなった。
景伊はただ純粋に、こちらを兄と重ねて見ていたのかもしれないが。
「あんた少し、落ち着けよ」
俯くこちらを見て、太助が言う。
「……そんなに動揺してますか」
「してる。……普段のあんた、そこまで話さねぇし」
「……ですね」
口数が増えている。
それは自分を落ちつけようと、咄嗟に出たものなのかもしれない。その時点でいつもの自分ではないのだろう。
自分ではまだ冷静だと思っている。
だが、この男にもわかるほど、自分は今おかしいのだろう。
「ちょっと茶でも入れてやるよ。あんたはすこし落ち着いたほうがいい」
台所借りるぜ、と太助は立ち上がった。
「あ、俺やりますよ」
「医者は患者のそばにいなよ」
それが仕事だ、と言って太助は部屋を出て行った。
「……」
部屋を出た男の後姿を見送って、定信はため息をついた。
何をやっているのだろう自分は。
あの男まで気遣わせて。自分が今は、しっかりしていなければならないのに。
定信は、視線を横たわる景伊に移した。
投げ出された景伊の手のひらを握ってみる。そこには確かに、生きているものの温かみがあったが、指先は冷えていた。
自分の体温で温めるように、その手を握ってみる。
己の体温が必要だと言うのなら、いくらでも分け与える。
寿命がもう終わるのだと言うのなら、自分の寿命を分けてやる。
できはしないのだとわかっていても、できるならそうしてやりたかった。
「……お前、今何考えてんのかな」
意識はない。苦しげにうなされている様子もない。
だが、そんな事を思った。
あのとき──自分がいなかった空間で、この若者は何を思っていたのだろう。
「お前の言葉で、聞きたい」
あまり話すのはうまいほうではないが、景伊は必死に自分の気持ちを伝えようとしてくる。
景伊のそんなところは好きだった。
己が持ち合わせていない真摯さだったからだ。
「……このままなんて、あんまりじゃないか?」
自分達は最後に、何を話した?
思い出せないくらい、適当な言葉を交わしたのだろう。
覚悟もさせてくれないまま、こんな終わりを迎えるのだとしたら、そんなのはあんまりすぎる。
「お前、案外すんなり納得してそうで嫌だよ」
自分の身に降りかかる事を、飲み込んでばかりの若者。
己の最後に関わることまですんなり納得しているのだとしたら、それはお前いい加減にしてくれと言いたくなる。
──足掻いてくれ。
「俺はお前みたいに、なんでも受け入れるなんてできないんだよ」

定信がそう、静かに呟いたとき。
背後で微かに物音がした。
利秋達が帰ったのか、台所に立った太助か。
それにしては小さな物音だと思い、定信は背後を振り返る。
廊下に面した障子戸が、少しだけ開いていた。
「……?」
先ほど太助が立ったとき、きちんと閉めなかったのだろうか?
怪訝に思いながら、戸を閉めようとする。
手を伸ばそうとしたとき、闇の向こうに、何かがきらりと光った。
なにか、と目を細めてそれを見た定信は、それが「何か」わかった瞬間、ぞくりと体を固まらせた。
目玉だ。
猫のように闇に光る目玉だけが、隙間からこちらを覗いている。
そこから、何か禍々しい気配を感じた。
マチでもない。
ましてや通りすがりの猫がこちらを覗いているのとも違う。
人ではない類のものだ。
定信は直感的にそう思い、景伊をかばうようにその目に向き合う。
「……なんだよ」
寒気を感じながらも、それに問いかけた。
「アレ」かと思った。
しかし景伊の血臭漂う今のこの部屋に、アレらが近寄ってくるものだろうか。
来るならば、知り合いの姿を借りて来そうなものでもある。

この、不気味な存在はなんだ?

定信はその目に対峙しながらも手を探り、後ろ手に医療用に使っていた小さな刃物を握った。
目はこちらを見ているだけだ。
なにかを語りかけてくるわけでもない。
定信は刃物を目の前に構える。
手がわずかに震えている。声がうまくでてくれない。
「……入ってくるな」
ようやく出した声は、驚くほど小さかった。
次の瞬間、暗闇に浮かぶ目玉が消えた。
去ったのか、そう思った瞬間背後に嫌な気配を感じて、定信は振り返る。

──部屋の真ん中。
自分の真後ろ。景伊の上に、目玉だけが一つ、空中に浮いている。

目は下に横たわる景伊を眺めるように動き、次にこちらを見た。
少し白っぽく、濁った瞳だった。
──こいつを、迎えに来たのか。
何故か咄嗟にそう思った。
「……やめろ。連れて行くな」
首を横に振りながら、定信は言う。
まだ早い。
自分達はこんなところで終わりたくない。

『……でも、この子供はもうすぐ死ぬよ』

頭の中に声が響いた。
どこかで聞いた事のある声だが、思い出せない。
気付けば、薄暗い部屋の中には、不気味な気配が満ち溢れていた。
目玉はじっと、こちらを見ている。
だが、その目玉から目を離せない己の後ろ、天井、真横。
いたるところから視線を感じる。
嫌な汗が、定信の額に浮かんだ。

『人の体というのはもろいね』
『お前の方が好みではあるけれど』
『しかし、うまくはいったのもの』

意味のわからない言葉が、頭の中で複数囁かれる。

『医者。お前は、この子供を助けたいだろう?』

目玉がぎょろりとこちらを見た。
「……」
己に問いかけてくるそれに、定信は震えながらも、頷く。
「……助けたい」
絶対に助けたい。
死なせたくない。
『私にこの体をくれれば、この体は助かる』
「体……?」
定信は眉を寄せる。 体をくれとは、どういうことだ。
命が助かる、ではなく、体が助かる?
ふと、考えているうちに、嫌な可能性の一つにたどり着いた。
「あんたまさか」

──あの山の神さんは、人の体を盗るんだよ。

随分昔、太助がそっけなく自分達に語った言葉を思い出した。
この不気味な気配を、定信は何度か感じたことがある。
(あいつか……!)
あの山の「神」と言われるもの。
山から逃げた「アレ」を追ってこの町へやってきたもの。
景伊におかしな力を植え付けた元凶。
しかしこの山の神は、人体を奪う力もないほど、弱っていたのではなかったのか?
『……確かに、私にはもうお前を乗っ取る力はないが』
定信の思考を読んだように、囁くような言葉が脳内に響いた。
『この体はもはや、私の半身でもある』
そこに無理はない。
その言葉を聞いた瞬間、じわりと腹の底から怒りが湧いてきた。
何を勝手にわめくのだ、この目玉は。
「……馬鹿言うなよ。それじゃ意味ねぇんだよ!お前にこいつの体持ってかれるなら、死ぬのと変わんねぇしあいつ等に食い殺されるのとも変わらねぇよ!」
『──お前が思うよりもよっぽど、この子供はもうこちら側にいるのに』
こちら側ってなんだよ、と定信は歯を噛みしめた。
景伊がもう化物の仲間入りしているとでも言いたいのか、この不気味なものは。
景伊がああなったのは、彼の意志ではない。
事実、ごく最近まで景伊は自分の状態に気づいていなかった。

この山の神は、勝手に景伊に力を分け与え、己と同じ毒を持たせた。
それはゆっくりと確かに景伊の体を侵食し、獣のように鋭い感覚を持たせ始めている。
アレとの生存競争で以前の体を失い、弱りに弱ったこの神は、今このときを待っていたのかもしれない。
半身という言葉を使うほど、時間をかけて自分が好む条件を整え、彼の生死が危うくなったころに現れる。
それは無理に奪った体ではない。
この神が整えた、彼自身の体となる──。

そう考えると、今までの全てが仕組まれていた事のような気がしてきた。
この「神」と「アレ」と。
どちらが邪悪なのか。大して、変わりはないではないか。

「……景伊は渡さない」
定信はその目玉を睨みつけ、言った。
「お前ら化物に、これ以上良いようにはさせない。あいつの体を、これ以上引っ掻き回されてたまるか!」
叫んだ瞬間、胸に心臓をわし掴んだような鋭い痛みが走った。
「……っ!」
何をされたのかわからず、定信は呻きをもらす。
息がうまくできない。嫌な汗が体中から噴き出す。
胸を押さえながら、定信は倒れこみそうになる体を必死で支えながらも、その目玉を睨みつける。
『ほんとうは、お前のような体格のいい男の方が好みなのだけどね』
目玉からしみ出すように、液体が垂れ、景伊の体に滴った。
「やめ、ろ……っ!」
汚ねぇものを垂らすな。そう叫びたいのに、声が声にならない。
『お前には手当てしてもらった恩があるが』
ズキリと、心臓がさらに悲鳴を上げた。
「かっ……」
激しい痛みに、定信は畳の上に崩れる。
息ができない。
手を伸ばしたいのに、手が重くて上がらない。
『邪魔をするなら容赦しない』
冷酷な声が、響く。

「──違、う」

布団の中から、かすれた声が響く。
突然、景伊の腕が動いた。 血の気を失った白い腕が、宙に浮かぶ目玉を瞬時に掴んだ。
ぶちゅりと嫌な音がして、その細い手は目玉を握りつぶす。
どろりとした液体が、景伊の腕を伝った。

景伊の目が、うっすらと開いていた。

「お前……」
あれほどまでに部屋の中に漂っていた不気味な空気が、消えた。
胸の痛みが、少しずつ治まってくる。
荒い息を吐きながら呆然と景伊を見ていると、景伊の目がこちらをゆっくりと見た。
景伊の口元が、微かに笑みを浮かべていた。

「……どうするかは、俺が、選ぶ」