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町に潜む獣

04 二通の手紙

時間が経つにつれ、「これはまずいんじゃないか」という思いが加速する。
何の疑いもなく騙された自分のあほさ加減にげんなりしながらも、定信は脱出する術を考えていた。

蔵の中は暗い。
扉は開かず、何度か蹴っても開く様子がない。元々はそれなりに金持ちの持家だったのか、鋼鉄の扉は錆びていても頑丈だった。
散々蹴とばしたが、鍵が壊れてくれる様子もなく、自分の足が痛くなる一方だったので諦めた。
相当うるさくしていたはずなのだが、誰かが気づいた様子もない。
道場から少し離れたこの辺り一帯は少しさびれている。
空家がいくつかあり、よからぬ人間も住み着いている事がある。治安が良くないので、まっとうな人間であればあまり近寄らない。
地元の事なので、定信にもその事は痛いくらいにわかっていた。
自分がいくらここで騒いだところで、外の人間が気づいてくれる可能性は低い。
例え気づいたところで、怪しんで素通りされるくらいの事だろう。
自分であればそうしている。
(──どうする?)
すぐ戻ると置手紙はしているものの、景伊は自分がいなくなっている事に気づくだろうか。
(俺をここに閉じ込めたって事は、俺たちを引き離すのが目的なんだろうな)
扉の前に座り込み、定信は考える。
向こうも自分たちが嗅ぎまわっている事には気づいているはず。
幸いと言うかなんと言うべきなのか、自分は殺されはしなかった。
それは恐らく、自分に景伊の匂いが染みついているからなのだと定信は思う。
景伊と彼らの天敵であった山神が放つ匂い。
それは「アレ」にとって、本能的に不快感を感じるものらしい。
近寄りたくもないというほどに。
触りたくもないくらい匂いがあるから、自分は手を出されなかったのか。
閉じ込めておいて、匂いが薄れた頃に殺されるという可能性もない事はない。
しかしそれよりも、今の問題は自分の事ではない。

景伊が危ないかもしれない。

直接触りたくない相手に、アレがどう挑むのか、定信にはわからない。しかし「アレ」は賢い生き物だ。
何か策を持って動いている可能性がある。
(景伊は、俺みたいに騙されることはないかもしれないが)
匂いでお互いの存在をわかるというなら、直接対峙すればそうなのだろう。
だが自分が人質になっている可能性もあるわけだ。
自分のせいで景伊が何か不利な条件を飲まされたら。
命に関わるような目に合うのであれば──。
「……冗談じゃない」
腹の底から、絞り出したような低い声が出た。
冗談じゃない。
自分のせいで状況が悪化するなど。危険な目に合わせるなど。
冗談ではない。
定信は扉にもたれたまま、息を止めて静かに耳を澄ます。
自分の耳で聞こえる範囲で、何かが周囲にいる気配はないようだった。しばらくうるさく騒いだが、何も言葉は返ってこない。
あの子供のふりをした「アレ」は、もうこの場を離れたのだろうが。
見張りがいないのであれば、もしかしたら脱出する事も可能かもしれない。
定信は落ち着いて、周囲を見渡す。
蔵の中には武器になりそうなものはない。
廃材のようなものしか見当たらなかった。
──何かないか。
何か。
周囲を見渡していると、積まれた廃材の中に、一本の棒が突き出しているのが見えた。
立ち上がり、近寄って引きずり出してみると、古びた鍬が出てきた。
適当に仕舞い込んでいたものなのだろう。
農具を破壊に使うのは気が引けたが、こちらも余裕がない。
鍬を手に、蔵の壁に触れてみる。
朽ちかけた蔵は、あちこちで漆喰が剥げ、土壁が露出していた。
しかし壁の厚みはかなりありそうな気がする。
扉からの脱出は不可能。
それならば、朽ちかけた土壁を破壊してでも外に出るしかない。
この壊れそうな鍬で、自分の体が通り抜けできるほどの穴を開けることがいつになるのかはわからない。
だが来るかどうかもわからない助けを待つような事はできなかったし、何より「アレ」がどう動くのか、不安でならなかった。
「ふざけんなよクソが!」
不思議とこの状況に恐怖はなかった。
苛立ちと、怒りの方が勝っていたからだ。



「……あれ」
その頃。
道場での稽古が終わり、着替えた景伊が定信が診察していた部屋をのぞいていた。
だが、そこには人の姿がない。確かこの部屋にいたはずだが、と景伊が首をひねっていると、後ろに人の気配がした。
「あぁ、そうだ景伊」
振り向くと、先ほどまで塾生に稽古をつけていた塾頭の潮津は、まだ胴着姿のまま立っている。
「上条先生、お前待ってたぞ」
「はい。それは……知ってたんですが」
道場に来たのは一緒だった。
そのときに、定信から「お前終わるまで待つわ」と言っていたので、聞くまでもなく、まだいると思っていたのだが。
「この部屋で診察してましたよね?」
誰もいませんと言えば、潮津が「何?」と言いながら部屋へ入る。
景伊も後ろからついて中に入るが、定信が持ってきていたはずの医療道具さえない。
不思議に思って部屋を見渡すと、机の上に「すぐ戻る」という旨の置手紙があった。
定信の字であることは間違いない。
「道具まで持って出てるって事は、何か急患で呼ばれたんじゃないか?」
潮津の言葉に、その可能性はあるな、と景伊は思った。
定信はなんだかんだで、根っからの医者なのだ。
自分の事でぐだぐだ言うが、急患だと呼ばれれば夜でも朝でも飛んでいくようなところがある。
よくある事なので、それほど特別なことではないのだが。
「……」
ふいに漂ってきた匂いに、景伊は眉をしかめた。
閉めきったこの6畳ほどの部屋の中。
ここに何か、微かではあったが、自分が非常に嫌だと思う匂いが漂っているのに、景伊は気づいていた。
道場では人間が密集しており、いろんな人間のいろんな匂いが混じり合って複雑な香りをつくっている。
だがこの部屋は治療部屋として使われていたから、いた人間も限られているだろう。
微かにしか感じなかったから、一瞬気のせいかもしれないとも思ったのだが。
「……探した方がいいかもしれない」
「でもすぐ戻るって書いてあるんだろう?」
景伊の呟きに、潮津が手紙を覗き込んで言った。
「お前までうろついたら、先生戻ってきたときにまた探すだろう。大人しく待っておいたらどうだ?俺は別にかまわんぞ?」
現在、この道場はほぼ潮津にまかせきりになっている。道場の鍵を持っているのもこの男だった。
「でも、いつ戻ってくるかもわからないのに」
「いいよ。俺もどうせ暇だし。先生には世話になってるから、このくらい」
笑う潮津を、景伊も小さく笑みを浮かべながら見上げた。
本当に大きな男だと思う。
縦も大きいが横幅も大きい。決して肉が余っているわけではなく、骨太く筋肉質なのだろう。
横に並ぶと、本当に自分の体が薄っぺらく見える。
「潮津さん。俺は最近ここに来てなかったんですが、何か変わったこと、なかったですか?」
突然の景伊の質問に、潮津が目を丸くした。
「……変わったこと?何の」
「例えばでいいんですよ。何か変わった病が出たとか、人が変わったような者がいるとか。俺はあまり他の塾生と付き合いないので」
「……さぁな。この間、食あたりが何人か出たくらいじゃないか?」
若い奴はどこで何食ってるかほんとわからんからなぁ、と潮津は笑う。
「お前はもうちょっと友達作る努力をすべきなんだよな。悪い奴じゃないのに、口数が少ないから誤解されやすい」
「……場を盛り上げる様な事、俺には言えませんし」
「別に無理して盛り上げる必要なんてないんだからさ。にこにこしてるだけでも大分印象変わると思うがね」
そういうところだけ兄貴に似てかわいそうにな、と潮津は景伊の肩を軽く叩いて部屋を出ていく。
「その部屋でのんびりして待ってろよ。先生帰ってきたら教えてくれ」
人好きのする笑顔を浮かべながら潮津は部屋を出ていく。
確かに、彼のように、誰にでもにこにこと笑える愛想の良い男であったらどんなに良かったか、と景伊は思う。
思う、が──。
(潮津さん)
景伊はその部屋を出ていく背を、何とも言えない気持ちで見つめていた。
軽く笑いながら肩を叩かれたとき。
ふわりと漂って来たのは、「アレ」の匂いだった。

アレそのものというわけではない、と景伊は思う。
まだ潮津本人の匂いの方が強い。中にアレを飼っているという状況とも違う気がする。
移り香とでもいうべきなのか。
潮津本人は気が付いているのかわからない。
(……アレとどこかで接触したのか?)
人に化けたアレと知らず話した付き合った──その程度の事なのかもしれないが。
どちらにしろ、自分の周りにアレはいる。
それが自分達には手を出さないと言った方なのか、本能のままに人を襲っている方なのか。
景伊には嫌な予感しかしなかった。
「……定信」
本当に大丈夫か?
探しに行かなくていいのか。
こんなときに自分たちは離れてしまっていいのか?
だが自分の勘違いであれば、潮津の言うとおりだ。
定信に余計な心配をかけたくなかった。
(すぐ戻るって、本当なんだろうな?)
景伊は定信の残した手紙を握りしめた。




「義成様、お手紙が届いてますよ」

景伊が手紙を握りしめていたころ。
少し離れた長棟家の廊下で、若い女性の声が響く。
家にいた義成は、ばたばたとにぎやかに走り寄ってくる女中に目をやった。
最近この家にやってきたこの若い女中は、この「辛気臭い」と言われる屋敷に少々のにぎやかさを生んでいる。
長年勤めている者からは「礼儀がなってない」と散々叱られているようだったが、義成は「そんなのが一人くらいいても面白いかもしれない」と言って特に何も言わなかった。
必要なときにちゃんとしてくれればそれで問題ない。
そう言えば、他の者からは「甘すぎます」と怒られたわけだったが。
「手紙?誰から」
「それが、差出人が書いてないんですよ。門の扉に挟まってたのを、お掃除のときに見つけました」
怪訝な顔をしつつ、義成はその手紙を受け取った。
裏を返しても、確かに差出人の名前はない。
表面にはご丁寧に、自分の名が書いてある。
「……脅迫状とか果たし状だったら、笑うな」
「やめてくださいこの物騒なときに。笑えません」
女中の心からの嫌そうな言葉に苦笑いを浮かべながら、義成は手紙を広げた。
手紙は随分と短いものだった。
一言しか記されていない。
悪戯か何か、と思いながらそれを読んだ義成は、表情を硬くした。
「なんですそれ……」
義成の表情の変化に気づいた女中が声をかけてくる。
「お前、字は読めたな」
「読めますけど……これ、私が読んでも?」
頷く義成を見て、女中が手紙に目を通す。
「……いちばん、だいじなものをまもれ……?どういうことですこれ。よくわかりません」
「まぁ、そういうことなんだろう」
首をかしげる女中から手紙を受け取って、義成はそれを懐に入れた。
「俺はちょっと出てくる。後の事は適当に頼むよ」
「えぇっ!」
女中が悲鳴のような声を上げた。
「駄目ですよ!今日は夕方から義成様の叔父様がいらっしゃるって言ってたじゃないですか!またすっぽかす気ですか!」
「特に今いる用事じゃないだろう。あれはほぼ俺に対する愚痴だから。また今度まとめて聞くって言っとけ。こっちは急を要す」
「そんなんだから『跡取りのくせにやる気がない』陰口叩かれるんですよ……悔しくないんですか!」
「事実を言われても俺は全く傷つかんね」
慌てる女中に笑いながら、義成は自室に戻り、刀を手に取る。
その顔からは、笑みが消えていた。

一番、大事なものを守れ。

何が、とは書いていない。
だが義成には、嫌な予感しかしなかった。
「……一番、ね」
家よりも何よりも。
自分の過ちを許してくれた弟以外に、何があると言うのだ。
悪戯かもしれないし、手紙の主の本意は、義成の思うものではない可能性だってある。
だが「もしも」の可能性が消えない以上、見過ごすつもりはなかった。