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町に潜む獣

05 利秋と義成

さて、なんと説明しようか。

利秋は少し考えながら、義成の屋敷へ向かっていた。
こうして事情を説明しに行くのは二度目になる。
前回は景伊を拾った頃の事だった。
景伊の身元がわかって、なんとなく彼の身に何が起こったのか事情がわかってきた頃。同じ町内でもあるし、景伊も兄と話をする事を望んでいた。どうなるにしろ、何か話はしておかねばまずかろうという事で、あのときもいろいろと考えながら道を歩いていた気がする。
(……さて、何から話せばいいのやら)
利秋は考えながら、頭を掻いた。
あの若い跡取りは、決して話を聞かない男ではない。どちらかと言えば理解力もあるほうだと思う。
ただ、今回は事情が事情だけに、あの男がどういった反応を示すのか、全く予想がつかない。
(賢い男だから、話せばわかるとは思うんだけどなぁ……)
今回の件に関し、義成は全く関与していないというわけでもない。
しかし景伊の事を知った時、あの男はなんと言うだろうか。
景伊もまだ何も兄に話していないというのは、恐らく反応が怖いというのもあるのだと思う。
「あいつは大丈夫だろ」と軽く言って出てきたわけだが、いまいち利秋にも景伊の現状というのがよく理解できていない。
あまり周囲に言わない方がいいのだろうが、やはりそれでも、義成は知っておいた方がいいだろう。
事態が悪化して、「なぜ何も言わなかった」と言われればどうしようもない。
(定信とのあれこれは……今は置いておくか)
色恋沙汰ならてめぇらで説明してくれ、と利秋はため息をついた。
この数年彼ら二人を見てきたが、利秋は彼らのどこで何がきっかけでそうなったのか、まるでわからないでいた。
定信は元々世話好きだ。
怪我をしていた景伊を自分で拾って助け、弟のように可愛がっていたし、景伊も定信の後をついて回っていた。
懐いていたとは思う。その姿は歳の離れた友人のようでもあったし、事情を知らない人間が見れば兄弟のようにも見えただろう。
そこに色気があったようには見えなかった。自分が知らなかっただけかもしれない。深く詮索するつもりもない。
ただ、利秋には不思議でならなかっただけだ。
それが理解できるような男であれば、今頃独り身をやっていないだろう。
どうも人の感情の揺れ幅に自分は疎い、と思う。

「あっ……っと」
そういろいろと考えながら歩いていたとき、曲がり角で利秋はばったりと、目当ての人物に出会った。
長棟義成だった。
向こうもこちらに気づき、少し驚いた顔をして足を止めた。
「よう、ちょうど良かった。お前に話があって会いに行こうとしてたんだが……なんか用事あるのか?」
「いえ」
利秋の問いに、義成が首を横に振る。
「こちらも貴方がたに用事があって。……景伊は今、家にいますか?」
「いんや……どうだろうな。今日は道場行ってたけど、そろそろ帰ってるとは思うよ。定信もいるが、いいか?」
「はい」
じゃあうち来いよ、と利秋は義成を伴って、来た道を戻り始めた。

「珍しいな、あんたからこっち来るって言うの。最近ばたばたしてるって聞いてるもんでね」
いろいろな事情を含めた言葉を笑いながら言えば、義成も小さく笑った。
この男をとりまく事情は、いろいろと耳に入っている。
婚約するとかしないとか。あそこの跡取りはどうだとか。
「……あまりいい噂ではないでしょう?」
「噂なんてそんなもんだろ。良い事悪い事、人の暇つぶしだよ。……あぁ、でも婚約はめでたい事だな。おめでとう。今更かもしれないが」
「いえ。……ただ実際に祝言あげたりするのは、もう少し先の話です。親戚連中は早くしろとうるさいですけど」
「まぁ、お前んところは周りがいろいろやかましいだろうからなぁ」
義成の口調からなんとなく想像がついた。
大きい家なりの悩みってのもやっぱりあるだろう、と利秋は思う。
「お前もいろいろあったわけだし、相手が待つって言ってんなら、もう少しゆっくりでもいいと思うがね、俺は」
でも相手の年齢とかいろいろ問題あるよなぁ、と言えば、義成は苦笑いのようなものを浮かべた。
「そう言って下さるのは、貴方だけですよ」
その言葉に利秋も、鼻で笑った。
相当周囲からせっつかれているらしい。
己には結婚しろと言う相手もいなければ、したいという者もいない。
この男も若いのに難儀だなと思う。
「ところでさ、お前がわざわざ会いに来るって何かあった?聞いてもいいなら、先に聞かせてもらってもいいか?」
利秋は少し自分より背の高い、若い男を見た。
「……特に何が、というわけではないんですよ」
義成は少し迷ったような様子を見せたが、懐から一通の手紙らしきものを利秋に渡した。
受け取って義成を見ると、「どうぞ開けてください」と言うので、利秋は遠慮なしに手紙を開く。
手紙の中には一言。
お前の大事なものを守れ、とだけ書いてある。
差出人はない。宛名はこの男の名前のみだ。
「……なんつーか……随分と詩的なお手紙だな」
反応に困って、利秋は手紙をたたむと義成に返す。
「でしょう?本来であれば、こんなものすぐに捨てていたかもしれないんですが」
利秋の反応に笑いながら、義成は手紙を再度懐にしまった。
「勘と言うのか……少し嫌な感じがしましてね。大事なものと問われて、真っ先に浮かんだのが弟だっただけです」
「ふぅん……」
「おかしいですか?」
「いや?俺はそうは思わないが」
なるほどね、と利秋は思った。
一番大事なもの。
その言葉に一番最初に思い浮かんだのが弟。
そう、恥もなく語る男に「愛情がない」だなんて、言う事はできないと思う。
定信が以前、「あいつは金だけ出して自分から会いに来もしない野郎。自分が悪かったなんて思ってない」なんて苛々した様子で言っていたのを見たことがあるが、そんなことはないと利秋は思った。
定信のこの男に対する態度は、嫉妬とか焼きもちとか、そういうものだ。
恐らく景伊が無条件で懐いているのが気に食わないとか、そういうものだろう。
本人も自覚はあるのだろうが。
だから定信の苛々は、この男へが半分、自分自身に対してが半分だ。
己に対する自己嫌悪もあるのだろうなぁ、と見ていて思う。
「……なんかすまんね。うちの馬鹿医者がいつも突っかかって」
「なんですか突然」
「いや、ね。あいつも悪い奴じゃないんだけど、あれで血の気が多いからさ」
「わかってますよ」
わかっています、と念押しするように言って、義成は笑った。
「ご迷惑をおかけしているのはこちらです。貴方がたに甘えて弟を押し付ける様なかたちになってしまったのも、私のせいですから」
「押し付けられたとは思ってないけどね。それに今景伊を返すなんて言ったら、定信が暴れる」
「暴れますか」
「暴れるね、あれは」
お互いに少し笑ったあと、沈黙が生まれた。
太陽の日が落ちかけ、少し周囲が薄暗くなってきている。
途切れた会話をとりつくろう、なんて考えは利秋にはなかった。
義成もあまり無駄口を叩く方ではないのは、ここ数年の付き合いで理解している。
次の言葉は数歩歩いたあと、自然に出てきた。
「……そういえば聞きたかったんだが、景伊ってお前の所にちょくちょく顔見せに行くだろ。何の話してるんだ?」
「特別な事は話していませんよ。あいつも口数が多い方ではないですから。ただ、そちらの家の事は楽しそうに話してくれます」
「例えば?」
「利秋さんに将棋で勝てないとか、芋の皮むきが上達したとか」
「……なんか俺らがろくな事教えてないみたいだな」
「いいんですよそれで。あいつに必要なのは人との日常生活です。なんでもないような、普通の生活です」
「……普通かね、うちは」
あんまり普通の環境じゃないがなぁと思いつつも、義成が言った言葉を、利秋は再度口の中で転がしてみた。
景伊自身が今普通じゃなくなりつつある現状。
それを知ったら、この男はその事実をどう受け止めるのだろう?
それを利用しようとしている自分の事も。
だが自分の事はともかくとして、利秋は自分の心配は杞憂だったと思う。
この男ならば、弟がどうなろうと、拒絶はすまい。
「なぁ、義成」
利秋の声に、義成がこちらを見た。
「景伊も、定信も交えて、ちょっと今後の事を話したいんだ。現状抱えてる問題があってね」
「問題?今ここで語るのは?」
「ちょっと難しい。あいつら交えた方がいいと思う」
話す内に、見慣れた自分の屋敷が見えてきた。
言いながら玄関の手前まで来て、利秋は戸を開ける。
「……ん?まだ帰ってないのかあいつら」
狭い屋敷だが、中に人の気配がない。
「今日は昼過ぎには終わるからって聞いてたんだが」
「あの道場、夕方には鍵閉めますからね。こんな時間まで何かあるという事はないですよ」
俺がいたときと変わってなければですが、と義成は言う。
「だよなぁ。今日は早く帰ってこいよって言っておいたし、定信はともかく景伊は言いつけ守るやつだから……」
利秋はそう言って、義成が持っていた手紙の事を思い出した。

──お前の一番大事なものを守れ。

「なんか嫌な予感がしてきたのは俺だけか?」
「……そうですね。様子を見に行ってみましょうか。まぁ、相方が急患で仕事してるだけって可能性もありますが」
「ならいいんだけどねぇ」
定信なら急患の知らせがあれば断れまい。だとすれば、景伊も一緒にいる可能性が高い。
ただ急に診察や治療が入っただけならいい。
もし、そうではなかったら?
意味のわからない手紙の差出人も気になるが、義成と同じく利秋もまた、勘ではあるが、嫌な予感が胸の奥に生まれていた。