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海の向こうから来た薔薇

02 グラハム来日

 それから数日経ったある日、八束がいつものようにバラ園の下まで自転車で来ると、階段の脇に車が一台停まっていた。
(何だこの車……?)
 八束は首を傾げる。配送の車ではない。大きな黒光りする乗用車。車には詳しくないのでわからないが、高級な外車という事はわかる。窓には外から様子がわからないように黒いフィルムが貼られている。なんだか、怪しさを感じる。
 客、と言うには妙な気がした。田舎の細い山道に、こんな傷をつけたら死にたくなりそうな車で、わざわざやって来ないだろう。
(ヤクザ、とか?)
 八束は、極力車に気が付かなかったフリをしようと思った。死体でも埋めに来たんだろうか、という物騒な考えが一瞬頭を巡る。この辺りは地元民でもあまり通らないし、人家も少ないエリアだ。でもそんな物騒な事、さすがに真っ昼間からはない……と思いたい。
 そう考えて、階段を上ろうとしたときだった。がちゃりと音をたて、運転席のドアが開く。その音に、できるだけ車の方を見ないように階段を上がろうとしていた八束は、思わず振り向いてしまった。
(あ、左ハンドル)
 どこか場違いな事を思ったが、車から降りて来た男の姿を見て、八束は固まった。
 車から降りて来たのが、本当に映画に出てきそうな、絵に描いた様な「マフィア」みたいな人間だったからだ。
 背は高く、この暑い中で、グレーの質の良さそうなスーツを着込んでいる。革靴は黒く、よく磨かれて美しい。黒く艶のある髪にサングラス。年齢は四十を超えている気がするが、それにしてもスタイルがいい男だ。
 ――怪しすぎる、と八束は思った。
「ねぇ、そこの君」
 気づかないふりをして行こうとする八束の後ろから、男のものと思われる声がする。すこし訛りのある声だった。自分を呼ばれているのではない、と思いたいが、あいにく周囲には誰もいない。
 八束はぎりぎりと、恐る恐る首を男に向けた。階段の下から、「マフィア」が見ている。
(俺は何か、見てはいけないものを見たんだろうか)
 ここで消されて、どこかで埋められるんだろうか──そんな事を思っていると、男がサングラスを取った。
 緑色の瞳が、こちらを見上げている。
 中年の外国人だ。しかし若々しさと自信に満ち溢れているような、堂々とした立ち姿だ。その男は、顔に似合わずにこりと人懐っこい笑みを浮かべる。そして流暢だが少し訛りのある日本語で、言った。
「君、ここの関係者?」
「バイトです……けど」
「そう。今日、永智はいるかな?」
 咄嗟に誰の名前を呼んでいるのかわからなかった。いつも名字で呼んでいるから慣れていないが、長畑の下の名前だ。やけにフレンドリーじゃないか、と思う。海外の人にすればそれが当たり前かもしれないが。
 長畑の知り合いなのだろうか?
(いや、多分きっとそうなんだろうけど)
八束は不審げな視線で、男を見た。
「いるはず、ですけど……」
「そう。じゃあ案内してもらっていいかな?」
 黒髪の男は笑顔を浮かべながら、階段を上がってくる。拒否なんて選択肢は、八束にはなかった。 笑顔だが「NO」とは言わせてもらえない雰囲気がこの男にはあった。背も高いし、がっしりしている。並ぶと、威圧感が凄かった。背の高さは長畑と同じくらいだろうか。
(怖っ!)
 八束は 内心とても怯えながら、男を案内する事にする。
 長畑とはどういう関係なのか。どこから来た? なんでそんなに日本語が流暢なのだ。
(つーか、何者?)
 問いたい事はぐるぐる回るが、男に直に聞く事はできない。とりあえず後で、長畑に聞こう。そう思って、八束は階段を上がった。

 長畑がどこにいるか、八束も常に把握しているわけではない。
 花の季節は終わったが、バラの樹は成長の時期を迎え、元気よく生い茂っている。ツルバラなどはかなり大きくなって壁面を緑で覆っているし、この一面の緑の中で、動き回る彼を見つけるのは結構大変なのだ。
(さて、どうしようか)
 八束は悩む。
「ちょっとどこにいるかわからないので、探してきます。待っててもらえますか?」
「いや、いいよ」
 男は八束の言葉を遮って、バラの茂みの向こうを見ている。
「……見つけた」
 男の口元が、笑った気がした。そのまま「マフィア」は様々な植物が生い茂る小道に入っていく。
「え? ちょっと……」
 八束も慌てて後を追った。小柄な自分には見えなかったが、長身同士、バラの向こうに姿を見たのだろうか。
(何なんだこの男)
 八束は再び、素性の知れない男に疑問を頂く。
 黒い髪に緑の瞳の外国人。長畑自身異国の血が入っているし、どの国にいたのかまでは聞いた事はないが、少年時代は海外にいたと言っていた。この男も長畑を知っていたようだし、「知り合い」だと思ったがどうなのか。
 ――会わせてよかったのか?
 ふと、そんな思いがよぎる。
「永智!」
 男が長畑を呼ぶ声が聞こえる。八束もこちらに気が付いたらしい、長畑の姿を見つけた。何かしら作業中だった様子の長畑は、一瞬鳶色の瞳を見開いて、驚いたような顔をする。 八束も何か言わなければ、事情を説明しなければ、そう思って声をかけようとした。
 その瞬間だった。
 目の前の「マフィア」は、いきなり長畑に抱きしめた。
 その光景に、八束の思考は完全に止まってしまった。