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絡まる薔薇たち

01 今は物欲ないんです


「そうそう。君、欲しい物ある?」
そう長畑に聞かれたのは、秋も過ぎて年末が見えてきた十二月の事。
バラの咲く秋のバラ園はなかなか忙しく、学校ではテストもあったりで、ようやくいろいろなものが落ち着き始めた頃だった。
「……へ?」
八束は突然の「欲しい物」という言葉に、目を丸くする。
仕事も終わり、そろそろ帰ろうかと、長畑のところに荷物を持って挨拶しようとしたときの事だった。
今日は珍しく上下作業服を着込んだ長畑は、机で事務作業をしながら、にこやかに言う。
──欲しい物。
長畑の言いだした事に、全く思い当たるふしが無い。
自分の誕生日はとうに過ぎている。
八束の顔に浮かぶ疑問に気がついたのか、長畑が苦笑した。
「だからね、ボーナス」
「ボーナス?」
「うち、年末に給料とは別に、お疲れ様の意味を込めて何か渡す事にしてるの。若い子は何がいいのか、正直わからなくて」
だから先に聞いとこうと思ったんだよね、と長畑は答えた。
あぁそういう事、と八束も納得するが、妙な年寄り発言をするなぁと思う。
「そんな事言ったって、長畑さんだってまだ二十代でしょ? 若いじゃないですか」
「僕、この間三十になったよ」
「え」
知らなかった、とは言えず、八束は固まった。
そう言えば自分は、この男の誕生日なんて聞いた覚えがない。
「……何で言ってくれなかったんですか!」
「え。言ってなかったっけ?」
「聞いてたらおめでとうくらい言いましたよ!」
「だってもう祝う歳じゃないじゃない。いいよそんなの」
「よくないです!」
八束の勢いに少々引き気味だった長畑は、テーブルを叩いて食ってかかる八束の頭を見上げると、少々申し訳なさそうに笑った。
「うん、ごめんね。気持ちはすごく嬉しい」
「……」 そう言ってくれるのはいいのだが、自分はこの男と「お互い好き」なのではなかったのだろうか。
まだまだ知らない事が多過ぎる。言ってくれてない事も、きっとたくさんあるのだ。
「君の誕生日は知ってるよ。4月12日だったよね?」
「……それこそ俺、言いましたっけ?」
「履歴書」
「あぁ……」
そういえばそんな物も書いたな、と八束は思った。
あの書類を書いたのはいつだったろうか。五月にここでバイトを初めて、今は十二月。約半年の間にいろいろあった気がするが、この男と何か進展があったかと言えば、何もないような気がする。
あれからも変わらず、平穏に仲良くさせてもらっている。
好きな人に自分も好きだと言われて、それで舞い上がったのは夏の話。随分と前の事のような気がしていた。
──自分は、受け入れてもらえた。
意外に相手をするのは難しいこの人に、近くにいていい、求められているのだという事は、八束喜ばせた。
でも「君の事は好き。でも、今まで通り接してほしい」なんて言葉は卑怯だ、とちょっと思っていたりする。
この男がそれを、そのままなかった事にしようなんて思っているわけではない事は、八束だってわかっているのだが。
(でもここからどうしたらいいのかが、わからん)
本当はもう少し甘えてみたい、という思いがないわけではない。
ただどうすればいいのかわからなかったし、この人の迷惑にならないかという事が怖くて、自分からは何もできないでいた。
いつも通り話をして、挨拶して別れて、家路につく。
そろそろ自転車で風をきるのは辛くなってきた。
顔も、指先も、冷気を吸いこむ鼻も痛い。
好きだとは言われたし、自分も死ぬほど好きなのは変わらない。
仲は良いと自分でも思ってるし、気に入られているという自覚もある。
ただあの日から数か月たつのに何も変わっていない事が、逆に不安だったりする。
長畑はどうなのだろうか?
長く付き合えば付き合う程、彼の考えている事というはよくわからない。
穏やかな笑みで、上手に自分を隠している彼の本音に触れたのは、あの夏以来ないような気がしている。


「あのさ。お前らって普段、何してんの?」
次の日、学校での昼休み。
テストも終わり、冬休み前で浮かれた雰囲気漂うクラスの中で、八束は友人の佐々木を捕まえて聞いてみた。
「え? お前らって、何が?」
「お前の彼女。付き合ってる子と、普段どんなことしてるのかなって」
そう恥を忍んで聞けば、佐々木はぶはっと噴き出した。
「お前がついにそっち方面に興味を……!」
「うるさい。何となくだよ。普段何して過ごしてるんだろうって思って、聞いてみたかっただけだよ……」
佐々木は八束の一番仲の良い友人だった。
八束はあまりテレビを観ないので知らないのだが、佐々木は「最近人気の若手俳優」の一人と顔がよく似ているらしい。
そんな爽やかな容姿で会話がうまいのもあって、彼は友人の八束が言うのもなんだが、よくモテていた。
今は他校の女子と付き合っている佐々木だが、以前は彼目当てで声をかけられたり、近づきたいから協力してくれと振りまわされた事もある。
何でそんな華やかな部類の彼が、自分と一番仲が良いのかわからない。お互いも周囲も恐らく「何で?」と思っているはずだ。
とにかく、そんなそちら方面の事に手馴れていそうな彼に「特別」な人間とどう付き合っているのか、聞いてみたかった。
「何してって、普通のつもりだけど?」
佐々木は、缶のコーンスープの残りのコーンを取り出そうと必死になっている。
「回しながら飲まないと無理だよそれ」と冷たい視線を送りながら、八束は今はあまり爽やかではない友人を横目で眺めていた。
「……俺はその普通が知りたいの」
「だから普通だよ。学校違うし家近くないから、会うのは週に二、三回だし、あとはメールとか電話とか。休みの日に出かけたりとか。向こうの方が頭いいから、たまに勉強教えてもらったりね」
「へぇ……」
同じ学生であれば、そういった付き合いも可能なのだろう。
少し羨ましいと思う。
「最近は向こうが予備校通い始めて、あまり会えなくなってきた。まぁ仕方ないよね。冬休みもずっとそっちだってさ」
佐々木は肩をすくめる。
確か佐々木の彼女の通う女子高は、この辺りでは有名な進学校だったはずだ。
来年には大学受験もあるわけだから、仕方のない事だろう。
「だからさ八束ー、冬休みは付き合えよマジで」
「いいけど、俺大体バイト行ってるよ。日中は無理かも」
「まだあのバラ園行ってるんだっけ。よく続くな」
「うん。意外に楽しいんだ、それが」
それは本当だった。
長畑抜きにしても、なかなかバラ相手の仕事は楽しい。
以前は「朝顔でさえ三日で枯らす」と言われていた自分がこうなったのは、自分でも予想外だった。
きちんと勉強して世話をすれば、植物は答えてくれる。
しかし同じやり方でも必ず答えてくれるわけではない。
そのときそのときの様子を見ながら世話をせねば、うまくはいかない。
難しくはあるが、その楽しさを今のバイト先で知った気がする。
仕事がそこまで忙しくない時、わからない事や気になった事を聞けば、長畑は大抵答えてくれる。
この間は庭の造り方を大雑把に教えてもらった。
今は主に苗木で商売をしている彼だが、本業は庭師だというのはそのときに知ったのだ。
「日本庭園は専門外だけどね」と笑う彼にくっ付いて、いろいろ知らないことを教えてもらうのは好きだった。
仕事にしよう、というレベルにはまだ達していないのだが。
「……そういえばさ、八束が前言ってた年上の美女って、どうなったの?」
「美女? 何それ」
「言ってただろ、結構前に。好きな人できたって」
その言葉に、飲みかけの缶コーヒーを吐くかと思った。
一気に思考が停止する。
「……言ったっけ、そんなの?」
「言った言った。頑張るって言ってたじゃん、春頃」
佐々木の言葉に平静を装いながら、八束はぎこちなくなっている脳みそを回転させる。
そういえば、長畑と出会ったころ、合コンに誘ってきた佐々木にそんな事を言った、ような。
「お前がそんなの言うの珍しいしさ。あれから何も言わないから俺、ずっと気になってたんだけど。下手に聞いちゃいけないのかとも思って」
「あーお気づかいどうも……」
体が汗ばんでくる気がした。 確か電話で「年上で、すっごい綺麗な人だ」と八束は佐々木に言ったのだ。
男だとは言っていない。それを、佐々木は当然女性への恋心だと思っている。
「……その。今でも好き、だよ」
「まじでかーいいねいいね。写真とかないの?」
「ないよそんなの」
「携帯のカメラとか撮ってねーの?」
「気軽に撮れるような人じゃない」
「怖いの?」
「いや、怖くはないけど……あ、でも笑ってないと怖い」
「ふーん……どんな美人なの?」
佐々木は興味深々のようだった。
多分、八束が珍しく「好きだ」と言った相手が気になって仕方ないのだろう。
どんな美人なのか、と言われても困る。
長畑の身体的特徴は、言えば多分すぐにわかるものだ。
相手が仕事に夢中であまり出歩かないから、こんな小さな町でもあまり知られていないだけだろう。
あまり迷惑はかけたくない。
「……ごめん。あんまり、気軽には言いたくない」
八束が視線を落とし言うと、察しの良い佐々木はそれ以上突っ込んで聞いてはこなかった。
「ふうん。まぁいいけどさ。変な人じゃないんだろうな?」
「それは全然。賢いし、まともな人だよ。尊敬はしてるんだ」
「……あぁ、そっか。社会人って言ってたもんな。お前も経験値ないくせに、いきなり難しいところ行ったんだなぁ」
佐々木はしみじみと呟いた。
「……ほんとにね」
八束も、心からそう思う。
多分誰かと付き合った経験があれば、ここまで一喜一憂しなくてもいいんじゃないか、と思っていた。
(多分、長畑さんは付き合った人くらいいるんだろうなぁ……)
あの見た目と、基本人当たりの良い優しげな雰囲気だ。
少々変わり者ではあるが、それだけで周囲が放っておかない気がする。
あまり考えると、疑心暗鬼で嫉妬しそうなのでやめた。
──それより欲しい物、だ。
昨日は「ちょっと考えさせて下さい」と言って帰ったので、近い内に何か伝えなくてはならない。
今はあまりこれといった物欲がないので、全く思い浮かばないのだ。
(……何て答えようか)
長畑は「現金の方がいいならそうするよ」と言っていたが、それは何だか生々しくて、嫌だ。
確かに自分は稼ぎたくてバイトしているわけだが、彼にたかりたいわけではないのだ。
八束は昼休みいっぱいそれを考えていたのだが、今何がほしいのか、全く思いつかなかった。
恐らく長畑は、そこまで考えていないのだろう。
しかしあの男から初めて貰うものと考えると、妙なものをリクエストできない気がしていた。これは多分、自分の見栄なのだが。
「若い子の好みがわからない」なんて言っていたが、こっちだって年上の男との付き合い方がさっぱりわからない、と思っているのだ。