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絡まる薔薇たち

02 この人は魔性


何となく集中できない頭で午後の授業を終え、グラウンドの野球部のかけ声を聞きながら、八束は学校の玄関を出る。
「お前今日もバイト行くの?」
自転車置き場から自分の自転車を引っ張り出していると、後ろをぽてぽてとついて来ていた佐々木が声をかけてきた。
どうやら今日は一緒に帰るつもりらしい。
「行くよ。今日は花がら取りと植え替え手伝うから」
「なんかお前もう、バイトっていうか弟子入りしてる感じだよな……」
「あー、なんか近いかもね」
佐々木の言葉に、八束は笑って答える。
バイトと言うよりは弟子。それに近い扱いにはなっているかもしれなかった。

佐々木とは途中まで家の方向が同じなので、あれやこれやと話しながら自転車で道を行く。
すると田畑の多い地区まで来たところで、道の脇に人が数人集まっているのが見えた。
見たところ、辺りの農家の人達のようで、おそらく水路の掃除や、年末前の道の草刈りでもしているんだろう、という様子だった。
特に珍しい光景でもないのでそのまま自転車で通り過ぎようとして、八束はその人達の中に頭一つ分背が高く、見覚えのある茶金の髪を見つけた。
まさか、と思い急停車する。
自分が見間違えるなどあるわけがない。
「……何してるんですか長畑さん」
八束は思わず止まって、声をかけてしまった。
「あー、おかえり。何って、地域の溝掃除の手伝い」
こちらに気が付いた作業着姿の長畑が、笑顔で答える。
聞けば昨日からここら一帯の作業をしていたらしい。どうりで昨日も作業服を着ていたわけだ。
肩にスコップを担いでいる長畑は、おっちゃんとおばちゃんの中で非常によく目立つ。
(地域の仕事、意外にちゃんと参加していたんだなぁ)
元々愛想はいい男なので、何だかんだで周囲とうまくやれるのだろう。引きこもり気質なのだと思っていて、申し訳ないと思った。
「……誰?」
後ろで佐々木が、八束に小声で言う。
「俺のバイト先のバラ園やってる人だよ。長畑さん」
はじめまして、と長畑が頭を下げるので、どうも、と佐々木も慌てて頭を下げた。
「学校もう終わったの? ……あぁ、そんな時間か。僕も夕方には帰るからさ」
「わかりました。仕事頑張って下さい」
「ありがと。君も気をつけてね」
長畑はそれだけ言うと、作業中のおばちゃんに引っ張られるように仕事に戻っていった。
(……めっちゃ使われてるなぁこの人)
思わず苦笑いが浮かぶ。
年配の女性陣にに気に入られているらしい長畑が、微笑ましい。 若く背丈もあって力のある彼はどうやら主戦力にされているらしいが、なかなか大変だろう。
「びびったー…何あの美形。ハーフか何か?」
それまで黙っていた佐々木が後ろで呟いている。すっかり自分は見慣れてしまっているので、こういった反応を見るのは久しぶりだった。
確か、初対面の時は自分もそんな感じだった、と八束は懐かしく思った。
「まぁそんな感じの人。最初びっくりするかもだけど、良い人だよ」
背が高く恐ろしく容姿が整っている彼は、初対面で大抵怖がられるらしい。
話してみるとそうでもないのだが、ふと真顔になっているときは少し怖い。
本人も自覚しているらしく、なるべく笑うようにしているのだ、と以前言っていた。
「……ふーん。まぁ、あれは確かに美人だわ。美人以外の例えようがないわ」
佐々木はそういうと、八束をちらりと見た。
八束はその視線を受け止めつつ、返答に困った。

多分、佐々木は感づいている。
八束が語った、好きな人とは誰なのか。

「……すごい、いい人だよ。顔だけじゃない。ほんとに」
そう言うだけで精一杯だった。言い訳をする気もないが、肯定もしたくはない。
佐々木は少々呆れたような色を視線にのせて、八束を見た。
「お前はどうしてそういう茨の道を行くんだよ。ドMか」
「俺には苛められて喜ぶ趣味なんてないっつーの」
「でもお前、結構悩んでるっぽかったぞ。しんどいなら、やめればいいのに」
「好きなんだから仕方ないだろ……」
思わず勢いでそう答えてしまい、一瞬言葉に詰まった八束はため息をついた。
佐々木は黙ってこちらを見ている。
「……そういうわけだから、俺」
友人の反応は怖かったが、佐々木は特に変わった反応も示さなかった。
ふぅん、と珍しいものを見るような、複雑そうな声を出した。
「別に俺はいいけどね。お前も何か変わったわけじゃないし……あれは綺麗過ぎて怖いわ。妖怪レベルだよ。ころっといっても仕方ないかも。俺でもぎょっとしたもん」
「ちょっと待て妖怪扱いは許さん」
睨んだ八束に、佐々木は「悪い」と素直に謝罪する。
「あの人は、お前の気持ち知ってんの?」
「知ってる。夏に言ったから」
「……そっかぁ」
二人はしばらく黙った。
痛いほどに冷たい風が、髪を乱す。
「俺は、あの人に自分の彼女とか会わせたくないなぁ。一瞬で持ってかれそうで、怖い」
「あぁ……」
八束は言葉を濁した。 佐々木の言わんとしている事は、八束にもなんとなくわかる。
本人は「だってもう僕若くないし」とか言っているわけだが、これなのだ。
自分がどれだけ周囲の目を集めるのか、全くわかってない。無自覚というのが一番怖い。
バラのような男だ、と八束は思っていた。
華があって、見る者を惹きつける。目を背けても、強い香りで振り向かされる。
口に出すのは恥ずかしいが、魔性、という言葉がよく似合う。
それに、あの英国人も自分もやられたのか。
彼が自分の容姿を売りにしていれば、今頃こんな田舎町に彼はいなかっただろう。
勿論長畑が、そんな事に興味を持ったことがあるとも思えないが。

佐々木と別れ、八束はそのままバラ園に向かった。
盛りは過ぎたがぽつりぽつりとまだ花をつけている庭の裏で、三崎と苗の鉢増し作業を黙々と行う。
「三崎さんって、長畑さんからボーナスの話されてますか?」
気になって問えば、三崎は手を止めて「聞いてる聞いてる」と笑った。
「毎年の事だもの。去年は私、鍋買ってもらっちゃった。ちょっといいやつを」
「実用的な物貰ったんですねぇ」
「そうそう。欲しいなーとは思ってたけど、自分で買うにはちょっと高いやつね。今年はどうしようかなぁ。八束君も聞かれたの?」
「そうなんですよ。いざそう聞かれると、何がいいのかわからなくて」
「まぁ遠慮せずに言いなさいよ。あの人の気持ちなんだし、あるでしょ? 欲しい物の一つや二つ」
あんまり高いのは駄目だろうけどねーという三崎の言葉に笑いながら、八束は考える。
それがないから困っているのだ。
物質として欲しい物、というのが。
「ただいま」
調度そのとき背後から長畑の声がしたので、「あ、お帰りなさい」と言いかけて振り返った八束は、絶句した。
「ちょ……どうしたんですかそれ!」
背後にいた長畑の右半身がべったり泥まみれになっている。
「いや、その。最後の最後でこけた」
あはは、と長畑が眉を下げて笑っている。
「もー、危ないわねぇ。先にお風呂入ってきたら? お客さん来てそれじゃ、何事かと思うから」
「そうします」
三崎の言葉に素直に頷いて、長畑は室内に引っ込む。
「八束君もタオルとか持って行ってあげてよ。あと怪我してないか聞いといて」
「はい」
八束も頷いて、長畑の後を追った。
「長畑さん、タオル使って下さい」
洗面所で作業服の上着を抜いていた長畑に追いつくと、八束はタオルを手渡した。
「怪我とかないですか?」
「うんありがと、それは平気。作業服着といて助かった」
苦笑いしながら、長畑はタオルで顔を拭く。
「そういえば、今日会った君の友達……」
「佐々木の事ですか?」
「そう。彼と、今この下で会ったよ」
「へ?」
八束は目を丸くした。
別れてから結構時間が経っているし、この辺りは人家もほとんどないような場所だ。
用などないだろうに、何をしていたというのか。
「歩いて帰って来た時に、うちの下の階段のところにいた。僕を待ってたみたいだった」
「えぇ? あいつ、なんか言ってました?」
「君の事、馬鹿正直ないい奴なんでよろしく、って言われた。それだけ言って帰ったよ」
「……」
(何言ってんだよあいつは……)
八束は頭を抱えてしゃがみ込みたくなる。
「それは勿論、とは答えたけど、どうしたのかな。八束に用事なのかと思って上がる? って聞いたけど、いいですからって行っちゃったから気になって」
何か聞いてる? と言われたが、そんな事言えるはずもなく、八束は苦笑いをしながらいいえ、と答えるしかできなかった。
自分はどうやら、親友に随分と心配をかけているらしい。
やっぱりあいつはいい奴だ、と思った。
それと同時にこのままではいけないな、と思う。
八束は、この作業着姿で泥まみれで、それでも美人だと思う目の前の男を見上げた。

──彼からは、絶対に動いてくれないよ。

グラハムの言葉を思い出す。
他人に依存する事に恐怖を感じるというこの男は、今自分の事をどう思っているのか。
一歩踏み込む事は怖いが、そうしなければ変わらないとも思った。
「長畑さん。あの、昨日の欲しい物の話なんですけど」
「あぁ、いいよゆっくり決めて」
「あれって、物じゃなくてもいいですか?」
そう言えば、上着の下のシャツを脱ぎかけていた長畑が、動作を止めてこちらを見た。
「いいけど、何にするの?」
「時間」
八束は唾を飲み込んで、長畑を見つめながら言った。
「長畑さんの時間を俺に下さい。何て言うか……最近、ゆっくり話す機会なかったし、秋からこっち忙しかったし……」
「……?」
長畑が少し、首を傾げている。
「というか、二人で話す時間が欲しいと言うか……」
八束は口ごもる。
意を決して言葉にしたつもりだが、うまく言いたい事が伝わらないので焦っていた。
「俺もっとちゃんと、長畑さんといろいろ話したいなって」
長畑はそんな八束をしばらく眺めていたが、少しの間の後、柔らかく笑う。
「……それくらい、いつでも。遠慮しなくても良かったのに」
「でも忙しいかなって……」
「君の為なら時間くらい作ります」
口調は柔らかかったのだが、八束にとっては強烈な一言だった。
今の言葉だけで死ねるんじゃないかと思った。
足の力が抜けるのを、必死にこらえる。
「いいよいつでも。何なら今日でも。どっか行く? うちの方がいいなら泊ってもいいし、どうする?」
「えぇ? じゃ、じゃあと……泊るで……」
何か話がとんとんと進んで行く。
「いいんですか? 急にそんな」
「まぁこの通り、散らかってるからそこはあまり気にしないでほしいんだけど」
(いえいえめっちゃ家綺麗ですから……!)
八束はぶんぶんと首を横に振った。
幸い今日は金曜日なので、明日は土曜日。
学校は休みになる。泊るにしても遅くなるにしても、都合が良い。
「……ところで僕は、服脱いでもいいのかな」
そういえば脱衣中だった長畑は、脱ぎかけのシャツを手に少々困った視線をこちらに向ける。
「あ………あ、あぁぁ長居してすみません!」
がばっと勢いよく頭を下げて、八束は廊下を駆け抜けた。
勢いよく体をひるがえしたときに少し滑ったので、後ろから「こけないでよー」という声がしている。
何かよくわからないが、言ってみるものだと思った。
突然のお泊り決定、である。