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相対する薔薇

01 会いたい人に会えないときに


なんとなく正月気分を引きずったまま、新学期を迎える。
多分それは、この教室にいるもの誰もが同じだろう。
約2週間の冬休みの間、まったく何も考えずに遊んでいてもいいのかと言えば、そういうわけにもいかず。
学校から出る課題であったり、模試であったり。やらなければならないことは結構あった。
八束はため息をつきながら、鞄に今日使った筆記用具を詰め込んでいた。
教室はざわざわとしたした雰囲気につつまれている。
皆、教科書など片手に友人たちと答え合わせなどをやっていた。

新学期が始まってから数日が経過している。
八束の高校では、大体休み明けにテストがあった。地域の公立高校なので有名というわけではないが、一応元々は進学校であった。
しかしこの辺りで中学時代に頭の良かった生徒は大抵、少し離れた私立の高校へ行くというのがお決まりのような状態になっている。
進学率がいいから、という理由でだ。
そこで生徒を得るため数年前からこの学校がやりはじめたのが、「公立だがそこそこ自由」という校風だった。
羽目さえ外し過ぎなければある程度好きなことをやっていいよ、という自主性を重んじる校風はこの辺りでは珍しいもので、他の高校に通う生徒たちからは時折「羨ましい」という声も聞こえてくる。
制服はある。それは公立らしく地味な、学ランとセーラー服。
しかし髪型も校内活動も、アルバイトをすることも、あまり厳しい指導が入ることはない。
だがアルバイトの場合は若干条件があり、許可制。あくまで学業優先なので、あまりに成績が悪いと、許可が取り消される事もある。

「八束ー、お前テストどうだった?」
席で黙々と英単語を呪文のように唱えていた八束に、佐々木が能天気な声をかけてくる。
「……数学は問題ない。多分」
今日の科目は数学と日本史だった。
数学は特に詰まることもなく終えた。暗記は苦手だが、歴史は好きなのでそちらも多分問題ない。
「問題は明日だ。英語で爆死はできねぇんだよ……!」
「あー。お前、理系だもんな。どっちかって言うと」
数学できるほうがすごいと思うけどねぇ、と佐々木はのんきに携帯を開いている。
「でもあれじゃん。お前、あの人に英語教えてもらえばいいんじゃね? ハーフだろあの人」
──あの人。
佐々木の言葉に、八束はもう一度ため息を吐きながら、鞄のチャックを閉めた。
「あのなぁ……あの人めっちゃ頭良いんだよ。勉強教えてくださいとかアホ丸出しだろ! こんなのわからないとか思われたくないだろ!」
「いや、多分お前、それはもうばれて……」
「ばれててもこれ以上アホだと思われたくないんだよ!」
「……プライドの問題なわけね」
佐々木は「どうでもいいなぁ」という顔をしている。
自分でもくだらないとは思うのだが、なんとなく譲れない。
「俺も相方は頭いいやつだけどさ。なんかもうあきらめ気味だよ? なんつーか、アホの子扱いされてるわ」
佐々木はけらけら笑いながら、「早く帰ろーぜ」と八束の背中を叩くと、カバンを取りに席に戻って行った。
彼は基本的に勢いで生きているところのある男なので、あまり物事を深くは考えない。
嫌なら嫌と言うし、己の欲望には忠実。
軽くいい加減に見えるが、そこの選別が自分よりもうまいのだと思う。
あれこれ考えず「好き」「嫌い」が言えてしまう佐々木の事を、八束は少し羨ましく思っていた。
以前、何かのはずみでぽろりと、そう言ったことがある。
そのとき佐々木は、いつものようにのんびりと「そりゃお前、俺が一人っ子だからだよ」と言って笑った。
一人っ子だとそうなるのか。八束には、よくわからない。

学校を出たとき、時刻は昼を過ぎていた。
通学路には同じ学校の生徒の姿がいくつか見える。テストは明日まであるので、早めに帰って勉強する人間もいるだろうし、早々にぶん投げて遊びにいく者もいるだろう。
いつも平均点ぎりぎりをすり抜けている英語を乗り切るには、教科書を丸暗記するくらいしか方法が思いつかない。
勉強が好きと言うわけではないのだが、働かせてほしい自分としてはやるしかなかった。
これからの勉強を考えていると、ちょっと胃が痛い。
「あ、俺コンビニ寄っていいかな? ノートなくなったんだ」
自転車に乗りかけたところで、佐々木が思い出したように言った。
「いいよ。俺もコーヒー買って帰る」
「眠気覚まし用か? 栄養ドリンクとかの方が効くんじゃねーの?」
「いい。ああいうの飲むと頭がギンギンになって寝れなくなるから」
「お子ちゃまだなー」
「いいんだよ。俺はコーヒーで乗り切る」
そう言いながら自転車を学校近くのコンビニの駐車場に停め、連れだって中に入ろうとすると、同じ学校の女子生徒数人とすれ違った。
「……ねー、なんかイタリアとかの映画に出てそう」
「マフィア役で?」
「あぁ、そんな感じでー」
「……?」
なんの会話だろうか。
何かよくわからないことを話しているなーと思いながら進もうとすると、少し前を歩いていた佐々木が急に立ち止まったので、八束はぶつかりそうになった。
「おい、急に止まんなよ」
「八束」
佐々木が言いながら、小さく指を指した。
コンビニの、店内が見えるガラス張りの壁。その向こうには雑誌コーナーがある。
ふとそちらに視線を移して……八束は「げ」と小さくつぶれたような声を出した。
何か雑誌コーナーで本を立ち読みしている男がいる。
それは別にいい。
よくある光景なのだが、その男はスーツ姿で背が高くて、黒髪で目が緑色の──外国人。
それが何か八束の方を見て手を振っている。猛烈な笑顔で。
「あれ誰だ? なんか八束の方見て手ぇ振ってね?」
佐々木が怪訝な顔でこちらを見る。何か、嫌な汗がじわじわ出てきた。
「いや、気のせいだろ」
  「いやいや明らかにこっち見てるじゃん。なんか飛び跳ねて手振ってるけど?」
「見えない。何も見えない。視力落ちたかも。ちょっとわかんない」
「嘘こけお前裸眼で2.0くらいあるだろ……あ、こっち来た」
男は読みかけらしい雑誌をラックに戻すと、落ち着きなく店内を走り出てきた。
「八ー束ーくーん!!」
年齢のわりにテンションの高い声が聞こえる。
でかい声で呼ぶな、と思う間もなく、八束は捕獲された。
がっしりと、でかい男に振り回されそうな勢いでしがみつかれる。……潰されるかと思った。
「あー、なんか久しぶりだねー! まさかとは思ったけど、こんなところで会えるなんて思わなかったよー! 夏以来?」
「夏以来……ですねぇ」
「だよね! だって全然気づいてくれないし、私忘れられたのかと思ってたよー!」
「忘れてませんよ、グラハムさん……」
こんな存在が濃い男、そうそう忘れられるか、と八束は思う。
名を呼べば、グラハムは少し満足そうに笑った。
「なんでこんなところいるんですか? 早く長畑さんのところに行けばいいのに」
「もう行ったんだよ。そしたら永智、仕事で外出るって言ってたからさ。行って早々留守番も嫌でしょ? ……もしかして君、私が来てる事、永智から聞いてない? メールしとくって言ってたけど」
「メールですか?」
そんなもの来た覚えがない、と思いつつ携帯を取り出すと、電源が切れたままになっていた。
テスト前に切って、電源を入れるのを忘れていたらしい。
起動してみると……確かに一通、メールが来ている。長畑からだ。

『グラハムが来ているので、そっちに行くかもしれません』

(すげぇ簡素……)
タイトルもなくそれだけ、というのが長畑らしいなぁと思った。
彼はメールや手紙を出すのが苦手らしい。必要であればやるようだが、基本的に言いたいことがあれば直接言いたいという性格だ。「筆不精で」とは言うが、多分面倒なのだろう、と八束は思っている。
何だかんだで半年以上の付き合いになるが、そういう理由でメールは貰ったことがない。
ある意味貴重だが、「初めて貰ったメールの内容コレかよ」と思いつつ、八束の指は自然にそのメールを「保護」にしていた。
自分でもやる事が気持ちが悪いと思うが、これ以降、なかなかもらえるとも思えない。
「そんなわけだから、もし暇してたら付き合ってよ」
「暇じゃないです。テスト中なんで、俺」
「あー、そうなんだ。じゃあ遊べないねぇ」
遊ぶんじゃない。一方的に俺が遊ばれるんだ、と八束は今日何度目かのため息を吐いた。
「ため息つくと、幸せ逃げるよー」
「あぁ、はい……わかってますよ……」
「じゃあ私は、もうちょいぶらついて時間つぶす事にするよ。お友達も。テスト頑張ってねー」
手をひらひらと振って、グラハムは去って行った。
(日本語ほとんど読めない癖に、立ち読みで時間つぶしていたのかよ……)
もうちょっとましなところへ行け、とは思うが、言えない。
だから女子高生にまで「イタリアンマフィアみたいなのが立ち読みしてる」と思われるのだ。
「なぁ。あんまり何回も聞きたくないんだけど……あれ、誰?」
佐々木が少し離れた場所で、八束に遠慮気味に声をかけてくる。あまりの勢いに避難していたらしいが、もっともな質問だと思った。
「長畑さんのご家族というか知人……? になるのかなぁ。グラハムさんっていって、イギリスの人で」
頭を掻きながらそう説明する。
なんと言えばよいのか迷ったが、佐々木は「あー、それで」と納得したらしい。
「なんつーかお前の周り、国際化が進んでるな」
「あー……そうかも」
「なんでそれでお前、英語さっぱり上達しねーわけ?」
「英語使わないからなぁ。さっきのあの人見たろ? めっちゃ喋れるし」
「ふーん……」
佐々木はグラハムの遠くなる背中を見ながら呟いた。
「まぁいっか。買い物すませて帰ろうぜ。お前も気を付けるように」
「何を気を付けるのか知らんけど。こっちが気を付けてても、向こうから来られたらどうしようもないだろ? そういうの」
「そりゃそうだなぁ」
談笑を続けながらも、思わぬ再会に八束は内心、はらはらしていた。
しかしまず優先させるのは、己のテストの事だ。
新学期早々テストが始まったので、ここ数日、長畑に会っていない。
テストが終わったら、久々にゆっくり話したいと思っていたのに、これである。
「まぁとりあえずは英語だな……」
八束は頭を切り替えるように自分用に缶コーヒーと、どうせ妹が学校から帰って「お腹すいた」と騒ぐのがわかりきっているので、手懐け用に菓子パンを買っておく。
とりあえずやる事をやって、テストが無事終わったらあの二人に会いに行こう、と思った。