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相対する薔薇

02 生き埋め怖い


多分これは夢だなというものを、八束は見ていた。
周囲は薄暗い。
自分の姿もよく見えない。身動きが取れない。
そして何だか、息苦しい。
思う様に呼吸ができず、八束は内心焦り始めていた。
夢だろうとは思っている。でも息苦しい。死ぬ!
そんな思いで必死にもがいた瞬間、上から聞き覚えのある人の笑い声が聞こえてきた。

『何かあったら、埋めるよ?』

(ああこれ俺、埋められてんのかな)
どこか冷静にそう思った瞬間、身体がずり落ちる感覚がして、びくりと八束は目を開けた。


「……あれ?」
周囲は見慣れた、自分の教室だ。
すでに教室にいる生徒の数は、まばらになっていた。
どうやらテストが終わった後、自分の席に着いたまま睡魔に負けていたらしい。
息苦しい、と思っていたのは自分の鞄に顔をうずめていたからで、若干よだれが垂れているのが情けない。誰にも気づかれぬよう、八束は口元をぬぐった。
落ちる、と思ったのは、体が椅子から転げ落ちそうになったからのようだった。
ぎりぎりのところで踏みとどまったらしい。
「……あ、起きた。お前死んでるのかと思ったわ。なんかびくびくしてたし」
佐々木が後ろの席に座ったまま、椅子を蹴ってきた。
「気付いてたなら早く起こせよ……」
お前まだいたのかよ、と思いつつ、八束はまだ半分起きていない頭を軽く押さえる。
昨日は寝たのが明け方だった。必死に頭からこぼさないようにしていたはずの英語の長文は、今は全く思い出せない。テストが終わった瞬間、頭から抜け落ちたらしい。
「で、どうなんだ結果。いけそう? 英語」
「俺が書いてる途中で、意識無くしてなければ大丈夫だと思うよ」
「後ろから見た感じ、手は動いてたけど?」
「ちゃんと回答書いてたならいいんだけどね……」
八束は伸びをする。
変な姿勢で寝ていたせいで、体が固まっている。肩甲骨辺りがばきっと音をたてた。
「で? テストは終わったわけですが、お前今日どうすんの? 毎日暇な俺に付き合ってくれるのか、あっち行くのか」
後ろを振り向けば、佐々木が頬杖をついてこちらを見ていた。
「……今日はちょっとね。あっちで話をしてこようかと」
「お前は最近、付き合いが悪い」
佐々木が若干不満げな顔をしている。
最近自分の彼女が予備校だのなんだので構ってくれないらしく、寂しいらしい。
「気持ちはわかるんだけど、今日はちょっと修羅場というか……」
「修羅場?」
はぁ? という顔をした佐々木が身を乗り出す。
「何お前。あの人と揉めてんの?」
「いや、長畑さんとは揉めてないよ。まぁ修羅場、って言うのかどうかはわからないんだけど」
「ほう」
「昨日お前も会ったろ? グラハムさん。あの人、長畑さんの事超好きなんだよ。見守ってた期間も長いし」
「おぉぅ……」
「俺も話はするし、いい人ではあるんだけど。やっぱりこうなりましたって話、しないとなぁと思ってて。居るとき限られてるし」
「お前、それは立派な修羅場だ」
「……だよね」
八束は椅子に深く寄りかかりながら、教室の壁時計を見上げた。
昼過ぎか、と思いながら、先ほど見た夢を思い出す。
「埋めるよ」という声も笑い声も、グラハムのものだった。
あれは夏に、あれこれ話した時出た彼の冗談だと思っているのだが、案外トラウマになっていたらしい。
(長畑さんはグラハムさんと上手くやっているかなぁ……何か言ったかな? 俺の事)
ここ数日彼も忙しかったようなので、あまり込み入った話はしていないかもしれない。
しかし彼が何か言っていようがいまいが、自分からも何か言うべきではあると思う。
まかせっきりというのはよくない。

──君がどういう道を歩むのか、楽しんで観察していようと思う。

そう言っていたグラハムは、自分が長畑が好きだという事に、特に苦言も何も言わなかった。
ただ彼は大変だよ? と言っていただけだ。
夏からいろいろあった結果、「こうなりました」ということを、あまり彼には隠しておきたくない。
自分よりもよっぽど長い間、相手を大事に思ってきた男だ。その男にだんまりを決め込むというのも、感じが悪い。
だが、言うのがちょっと怖いのだ。
彼が本気で好きだというのなら、ぽっと出の自分が長畑とこうなった事は、やはり嫌だろう。
自分だったら絶対に嫌だ、と八束は思う。
だからあんな夢を見たのだろう。埋められる夢。
人懐こい男だし、おそらくお仲間認定で仲良くしてくれているのだろうが、まだ完全に相手の事を把握しているわけではないので怖い。
「まぁ……何と言うか。頑張って来い。死なん程度に」
佐々木の、どこか憐みに近い励ましを受け、八束は「あぁ、うんまぁ」と微妙な返事を返す。
まだ、死にたくはない。
さすがに殺されはしないだろうが、似たような目には合うかもしれない。
殴られても文句は言えないと思うが、あんなおっかない男に殴られるのは、正直勘弁である。
とにかく、生き埋めは嫌だ。


学校を出た後、佐々木と途中で別れ、一人八束は山道を行く。
木々の間から見える空は曇っていて、小さな雪が散らついていた。
山の木々の陰になっている部分は、少し道が凍結しているようでもあった。
坂道になっているので、行きはよくても帰りが恐ろしい。
すっ転びたくはないので、八束は自転車を坂道の入り際のところに置いた。
(長畑さん、今日はいるかなぁ)
考えながら歩いていると、目的地……バラ園から下った辺りで、見慣れた男を見つけた。
今日は作業服を着ている、という事は、まだ外に出るような仕事をしているのか。
数日ぶりに姿を見れたことで、知らず知らずの間に口元が緩む。
「長畑さん!」
男はこちらに気付いていなかったようなので、少し大きめの声で呼んだ。
すると長畑はおや、というような顔をしてこちらを見る。
「久しぶり。どうしたの? 今日来る予定じゃなかったでしょう」
相変わらず穏やかな笑みで迎えられて、八束は安堵した。
ここに来る間にいろいろ考えて緊張してしまっていたのだと、改めて気づいた。
「テストも終わったんで。グラハムさんも来てるみたいだし、会っとこうかなと思って」
「あー……それは助かる。僕が今相手してあげられなくて、暇そうだから」
「今日も出てるんですか?」
「うん。ここ数日、ちょっと雇われ庭師をしてる」
長畑はそう言って苦笑した。
聞けば、この山奥へ続く道を少し行ったところに、広い庭を持つ老夫婦の家があるらしい。
様々な植物が植えてあるらしいが、例年世話をしていた婦人が腰を痛めてしまい、今お手伝いをしているのだという。
「もう少しで終わるよ。作業的にはそんなにないんだけど、話の方が長くなっちゃってね」
でもなかなか楽しいよ、と長畑は笑う。
今は道具を取りに戻っただけらしい。
という事は、彼は恐らく夕方まで帰ってこない。
今長畑のところに行けば、しばらくグラハムと二人きりだ。
長畑を頼るつもりはなかったが、いてくれれば多少、不安が和らいだだろうというのも事実だった。
いやいや、と八束は心の中で首を横に振る。
(この人をあてにしていたら駄目だろ)
自分はあのグラハムにも認めてほしいから、話そうと思ったのではなかったのか。
悶々とするうちに、目の前の長畑が少し首を傾げた。
八束の、一瞬微妙に曇った表情を感じ取ったらしい。
「……大丈夫?」
「だ、大丈夫ですよ。じゃあ俺、行ってきますから。仕事頑張って……」
「待って」
言い終えるより前に、腕を掴まれた。
「本当に大丈夫? 昨日もうグラハムに会ってるって聞いてたけど、何か妙な事言われてない? それで落ち込んでたりしてない?」
「え……いや、そんな事はないですけど」
まだろくに、話らしいものはしてない。
昨日は本当に、顔を合わせただけだ。
だが長畑は、少し不安げな顔をしている。その顔に、八束はなんとなく思うところがあった。
「……長畑さんって」
あまり深く突っ込むのもどうなのかと思って、今まで聞いていなかった事。
「グラハムさんがすごく、長畑さんの事好いてるって……気付いてます?」
「気付かないはずがない」
さらりと当たり前のように、言葉が返ってきた。少しだけ胸が重くなる。
「ずっと付き合いがあって、気付かないわけがないよ。でも僕は、それを蹴った。彼の事は好きだし、大事には思ってるよ。嘘じゃない。でも、あの頃の僕にはそんな、応える様な余裕がなかった」
夏にグラハムと会ったとき、彼は何度も「自分はタイミングを逃した」と言っていた。
その言葉の意味が、八束はようやくわかった気がした。
長畑がいつ頃それに気付いたのか、八束にはわからない。
聡い男なので、案外子供のころから知っていたのかもしれない。
だとすれば、今はどうなのか。
今なら応えられるのか。
そんなのは知りたくない。だが自分に応えてくれたという事は、当時なかった余裕というものが、今はあったからなのだろう。
「それで、僕が彼に殴られるなりあれこれ言われるのは別に構わない。自分でまいた種だからね。でも、君はそこに関係ない。無関係の君が、僕の事でグラハムにあれこれ言われるのは嫌だって思ってる」
「俺は、嫌味言われても仕方ない立場かなとは思ってますけど……」
「どうして? 君が言われる必要はないでしょ?」
「いや、だから……」
八束は少し言葉に詰まって、頭を掻いた。
前回夏に会った時には、自分は「好き」「好きだと言った」レベルだったから、グラハムも面白がってくれたのかもしれない。
あの男は、八束の味方をする気はないのだ、と言っていた。
「でも俺はあの人、そう悪い人じゃないと思います」
だがそう思うのも、また本音だった。まだ付き合いが薄いので、何を言われるのかされるのかわからず怖いが、悪い人ではないと思う。そもそも悪人であれば、長畑が付き合いを絶っているだろう。
八束の言葉に、長畑も頷いた。
「そう。悪い人間じゃない。でも言いたくないけど、色恋が絡んだら人間どうなるかわからない。僕だってそうだ」
「長畑さんも?」
「そう。事実、今ちょっと気が立ってる」
(……それはちょっとまずいのでは)
まだ何か言われたという事もないのだから、彼には気を静めてもらわねば。余計にややこしくなる。
「ま、まぁ俺も同じですよ。熱くなると周り見えないタイプですから……」
「だから余計に心配」
「あ、はい……」
すみません、と小さく謝った。
あれこれ言われたとしても、それは仕方ない。
そういう覚悟で、来てはいる。
だが嫌われているという感じもない。
グラハムなら話をきちんと聞いてくれるのではないだろうか、という思いがあった。
八束は、若干険しい顔をしている長畑を見上げる。
「……別に、俺も喧嘩しようと思って来たわけじゃないんです。まぁ平穏に終わるのかって言われたらわかんないし、不安は不安ですよ。心配かけると思うんですが、あれこれ言われてもどうせ事実です。凹みはしません。長畑さんは気にせず、お仕事してきてください」
「その改まり方が余計に心配なんだけど……」
「大丈夫ですって! いいからほら、お客さん待ってるんじゃないですか!」
そう言いながら、長畑の背を押す。
長畑が心配してくれているのはありがたいが、これは自分がやる、と決めてきた事だ。
言っておかないと自分が気持ち悪い。
「そうだけど……何言う気なの?」
「なんていうのか、男同士の話ですよ」
「えー……何それ、僕仲間外れ?」
「そんな気ないですし、本当は居てもらいたい気持ち満々ですけど、お仕事入ってるなら仕方ないじゃないですか!……でもできるだけ早く帰ってくれるとうれしいです……」
最後は、少し切実な願いだった。
長畑は少し渋い顔をしていたが、「そんなに言うなら、君にまかせるけど」と言ってこちらを向く。
「できるだけ早く帰るつもりではいるけど、一つ僕と約束してね」
「なんですか?」
問えば、長畑が少ししゃがんで、八束と視線の位置を合わせる。
鳶色の瞳と目が合った。
「僕は、君と彼、どちらも大事。どちらも大好き。嘘じゃないよ。……これ、信じてくれる?」
「し……しんじ、ます」
大好き、だなんて言われたことがない。
思わずくらりとくる八束を見て、長畑は穏やかに笑った。
「だからどっちかが怪我でもしたら、僕は怒るからね。真面目に」
「……はい」
長畑の笑みは美しかったが、冷たくぞくりとするものがあった。
(この人の真面目に怒るって、どんななんだろう……)
こじらせると面倒なことになるのは確実な男なので、八束は極力平和的なお話に努めよう、と思った。

階段下で長畑と別れ、意を決してバラ園への階段を上る。
(落ち着こう)
向こうは大人なのだ。こちらも大人の態度で挑まねば。
自分が興奮していては、だめだ。
深呼吸しながら、階段を上がりきった八束が見たもの。

それは、スーツ姿でスコップ片手に庭先で穴を掘る、グラハムの後ろ姿だった。