HOMEHOME CLAPCLAP

相対する薔薇

03 紅茶にあらず2


(いや、まさか……)
八束は呆然と突っ立ったまま、鼻歌交じりで庭先に穴を掘っている、グラハムの後姿を見つめていた。
自分を埋めるため、なんて事はないはずだ。
しかしなんとなく生々しい夢を見た後なので、デジャブを感じてしまう。
声をかけようかかけまいか悩んでいると、視線に気づいたのかグラハムが振り向いた。
「……なんだ君か。黙ってないで声くらいかけてよ」
手にしたシャベルを地面に突き立てて、グラハムは笑う。
「……すみません。なんか声かけづらくて」
八束は、自分の出した声が若干上擦っている事に気づく。
思ったよりも、この男を目の前にして、緊張していたのだ。
視線を男の後ろに移すと、地面に掘られた穴が目に入る。直径50センチくらいの穴だった。
「あぁ、これ?」
視線の動きに、八束が何を言いたいのか、グラハムは把握したらしい。
「お手伝いですよお手伝い。せっかくの休暇だしねー。たまには大自然の中で体動かすのもいいね。別に、君を埋めるためじゃないよ?」
「え」
「いくら君でも、この穴じゃ入らないでしょ?」
「あぁ……まぁ、そうっすね……」
少々いらりとするのを抑え、八束は引きつり気味に笑った。
「あら八束君、来てたの?」
頬を引きつらせたまま笑っていると、庭の奥から三崎が顔を出した。何やら手に苗木を持っている。
穴はどうやら、それを植える為のものらしい。
「お客さんに手伝ってもらうのも、どうかと思ったんだけど。やっぱ男手あると違うわねー」
「いえいえ。私、穴とか掘るの大好きですから。いくらでも掘りますよ?」
「残念だけど、地植えの予定はこれで終了なのよ」
「あ、そうですか」
「……」
八束は二人のやりとりを黙って眺めていた。
(なんか、三崎さんとグラハムさんがいつの間にか超仲良くなっている……)
どちらかと言えば、グラハムの方が三崎に気を遣っている気がした。長畑がお世話になっているので、感謝の意を込めたお手伝い、なのかもしれない。漂うほのぼのとした雰囲気に、緊張していた八束はどっと脱力した。
「それで、八束君はどうしたの? 今日お休みだったでしょう」
三崎が、未だに突っ立っている八束の方を振り向いた。
「あ、はい。テスト終わったんで、ちょっと顔出してみようかなと思って」
「長畑さんなら今、出てるわよ?」
「今、下で会いました。グラハムさんも来てるし、久しぶりにお、おはなしするのもいいかなと思って……」
「ほう」
泥のついた手を払って、グラハムが八束を見る。
「それはいい心がけだ。私も八束君とお話したかったんだよねー。ゆっくりと」
──ゆっくりと。
(なんかそこ、協調されると嫌だなぁ)
八束は生唾を飲み込んだ。
「それなら中入ってなさいよ。外寒いし。私は外にいるから、何かあったら呼んでね」
お手伝いありがとうございまーすとグラハムに手を振って、三崎は行ってしまう。
庭に残されたのは男二人。
ひゅう、と冷たい風が吹いた。
「まぁ、三崎さんのお言葉に甘えて中で話そうか。流石に冷えた」
グラハムがシャベルを壁に立てかけて、こちらを見る。
「スーツで穴掘ってるから何事かと思いましたよ。服汚れますよ?」
グラハムが来ているのは、八束にもわかるほど、高そうなスーツだ。着替えればいいのにという視線を送ると、グラハムは「だって」と言いながら外の水道で手を洗いはじめた。
「私、今回スーツ以外持ってきてないもん」
「は?……マジですか」
「マジマジ。仕事終わったーと思って速攻で休暇宣言して荷物詰めて来たからさ。なんていうの? すごいそのへんの出張感覚で来ちゃってさ。我ながら慌て過ぎたよね。この地に降り立って忘れ物に気付いた」
「長畑さんに借りたらどうですか? あんまりサイズ変わらなそうだし……」
「うん。でも今日服貸してーって言おうとしたら、いなくてね。なんか丁度忙しいときだったみたいで、まだ永智とまともに話してないんだよ。まぁお仕事なら仕方ないけどねぇ」
はぁ、とグラハムは少々肩を落として室内に入って行った。
この男はきっと、長畑にまた会う事を楽しみにしてきたのだろう。昨日もそうだったが、構ってもらえないので退屈しているらしい。
(どうやって切り出そうかなぁ……)
グラハムの機嫌は今、悪くない。八束にも好意的に接してくれている気がする。
それをわざわざ壊さなくてもいいのでは、とも一瞬思ったが、決意してやって来たのだ、と八束は考え直した。
(不釣り合いとかおこがましいとかふざけんなとか、そんな事言われたとしても、事実だし)
怒られたっていい。そんな覚悟で、八束は室内に入った。


勝手知ったる他人の台所。
八束はいつものように戸棚を開ける。
コーヒーや紅茶、日本茶などいくつかあるが、イギリス人相手に紅茶を入れる勇気は、八束にはなかった。
「コーヒーでいいですか?」
「うん、ありがとう。しかしまぁ、相変わらずあの子も几帳面にしてるもんだねぇ」
グラハムは室内を感心したように見渡している。
「性格ですよ」
「だよね。男一人とは思えない」
他業者や顧客も出入りするからだとは思うが、八束はこの家の室内が荒れているというのを、今まで見たことがない。
築年数は結構経っているように見えるが、床もよく磨かれており、窓のサッシにも汚れはない。
台所もいつも綺麗。野菜くず一つ落ちていない。細かなところまで、いつ掃除してるんだろう、と思うほどだ。
長畑に聞けば「気が付いたときにやるくらい」と言っていたが、神経質ともいえるほどに整頓された室内と言うのは、あまり生活感がない。
「こう、もうちょっと何か華やかさがあってもいいと思うんだよね、室内に。地味」
「地味って言うか、ただシンプルなだけですよ。たぶん、あの人そこまでごてごてしたの好きじゃないですし」
「うーん……まぁ、昔からそういうとこあるよね。何て言うか、センスに若さがないって言うか」
「ケチつけに来たんですか」
「いや、決してそう言うわけではなく。君にも彼にも怒られそうだから、もう言わないけど」
そう言うと、グラハムは大人しく席に座る。
(……なんかこの人、妙に大人しいな)
こんな人だったか? と思いながら、八束はコーヒーを入れる。
夏に会った時の思い出が強烈過ぎて、いろいろ妄想が膨らんでいたのだろうか。
「あ、そう言えば」
グラハムにコーヒーカップを差し出して、八束も対面するように席につく。
「手紙、ありがとうございました」
「あー、いいよ。ろくな事書いてなかったでしょ? 永智に書くついでに、一緒に送っただけだし……ねぇ、八束君」
コーヒーを一口飲んでカップを置くと、グラハムは頬杖をつきながらこちらを見た。
「私は、面倒な事嫌いだからさ。ちゃっちゃと聞きたいんだよね」
こちらをおちょくるような色も、今のグラハムの視線にはない。
深い緑の視線が、八束に刺さる。
(きた)
八束は思わず、姿勢を正した。
「永智は、君にどこまで気を許したの?」
「え?……許し……?」
「彼、他人に懐に入られる事、嫌いでしょ。……あなたはここまではいいけど、こっからは入ってこないでってそんな感じで、基本、線を引く男。最近はそうでもないのかな? わかんないけど、そういう気質、あるでしょう?」
「まぁ……」
そういうところは、確かにあるとは思う。
「でも実際、どこまであの人が気を許してくれてるとかは……俺にはわかりませんよ。聞いたって、言いたくない事は絶対言ってくれない人ですし。ぽろっと言ってくれるまでは、聞いても流されると思うし」
「ふぅん……」
グラハムは半眼で、八束を眺めている。
何故か少し不服そうな顔をしているが、そんな顔をされたって、八束も正直よくわからないのだ。
「じゃあ、何も変わってないわけ?」
「俺があの人の事好きだっていうのは、夏にグラハムさんに話した時と変わってません。ただ、変わった、のは」

──自分たちの関係です。

そこまで言いかけて、八束は言葉を止めた。
恋人です?
付き合っています? 
いろいろと単語は浮かんだのだか、言葉にする事には勇気がいった。あれほど勇んでここまで来たはずなのに、いざとなると腰が引けている。
目の前の視線は、八束が何を言うのかと黙ってみている。
その視線に、少し焦る。
だが落ち着くよう自分に言い聞かせて、八束が言葉を発しようとした瞬間、グラハムが先に口を開いた。
「君らは恋人?」
言い損ねた言葉をあっさりと吐かれて、八束はむせる。
「そ、そう言うのはまだ恐れ多いような……」
「はっきり言いなさいよ。私相手に惚気に来たわけでもないでしょうに」
「そんなつもりはないです」
八束は慌てて首を振った。
「あなた相手に惚気に来るほど、命知らずじゃないですよ。惚気に来たって思われたくないから、言いにくかったんですよ」
八束は己を落ち着けるように息を吐いた。深く息を吸い、太ももの上で拳を握る。
「……恋人、って言うほど凄い関係じゃないのかもしれません。なんか俺の思っていた恋人ってやつとはまた違うから、これがそうなのか、もうそうなのかよくわからないんですけど。でも俺はあの人に好きだって言ったし、あの人も好きだって言ってくれた。夏よりは多少進みました」
「あぁ、そう」
グラハムはそっけなく、そう答えた。何だか罪悪感だとか焦りだとか恐怖だとか、いろんな感情が次々に心の内に湧き出てくる。
凄まじく、言い訳をした気分だった。
「ここに来るの、凄い怖かったし、いろいろ言われたくなかったから一瞬黙っていようかと思いました。でも、グラハムさんにはきちんと伝えて、許可みたいなものを貰いたかった。避けては通れないとも思ったし」
好きだと言う気持ちには偽りはないが、心のどこかで、いけない事をしているという気持ちがある。 だから誰かに、自分達を認めてほしかったのかもしれない。
「だって、貴方はあの人の、一番近いところにいる人じゃないですか」
絞り出すようにうつむいて言えば、グラハムは唸るような、長い声を出した。
「そりゃ、長い事近くにいたけど。今はもう、そんな立派な許可出せる様な立場じゃないんだけどねぇ……」
恐る恐る顔を上げれば、相変わらず頬杖をついたまま、グラハムは不機嫌そうな視線で八束を見ている。
「でも私、夏に言ったよね? 思うようにやればいいって。誰かに心を開いたあの子の姿も見たいんだって、そんな格好いい事」
ふぅ、とため息が聞こえた。
「やっぱさぁ。口じゃわかったような事言ってても、実際そうなったら嫌だよねぇ」
「……」
苦笑交じりの言葉が、八束の胸に刺さる。
「今回急いで来たのは、そこがちょっと気になってたのもあったんだよ。君ら、どうしてるのかなって、ずっと気になっていたから。まぁいいさ。これは私の気持ちの問題。君は悪くない。君には腹立つと同時に、感謝もしてるからね。来る前から何か、進展あったんだろうなっていう確信的な思いもあったし」
「……何のことですか?」
「永智がね。最近優しいんだよね」
不機嫌な口元を和らげるように、グラハムがにやりと笑った。
「口さえきいてくれない期間が長かったからさ。もう私、完全に嫌われちゃったのかと思ってた。こりゃ一度会わなきゃダメだと思ったのが、去年の夏さ。そしたら君みたいなのがいて、ちょっと驚きつつも面白かったりして。長期戦覚悟して行ったのに、案外とあっさりあの子、話をしてくれるようになった。昔の彼じゃ考えられないなって、ちょっと思った」
「そういうものですか?」
「そうだよ。意志も強いけど深ーく根に持つのも永智だよ」
そう言いながら、グラハムは少し冷めたコーヒーを口に運ぶ。
「君がいたからかなぁ。自分を慕ってくれる若い子の前で、大人げない姿なんて見せたくないしね。大人になったってのもあるんだろうけど。やっぱあの子には、君くらい鈍感で、馬鹿正直な子がいいのかなぁ。あきらかに無害そうだもんね、君」
「……褒められてるのかけなされてるのか、さっぱりわからないんですが」
「自分の都合の良い方に取りなさいよ。そんで、多少は自信でも持ちなさい。あの気難しいのに好かれてるんだから」
グラハムは笑った。どこかあきらめにも似た笑い方だった。
(自信……)
八束は、黙って考える。
どうしたらそんな自信、持てるというのだろう。
日々がいっぱいいっぱい過ぎて、そんな事を思える余裕はない。
「でも、長畑さんだって、グラハムさんの事を嫌っていたわけじゃないと思いますよ。あの人、グラハムさんの事、さっきも『大好き』って言ってましたし」
八束がそう言った瞬間、グラハムが盛大にコーヒーを噴いて咳き込む。
驚きつつも、彼がここまで取り乱すのを見たことがなかったので、八束は一瞬固まってしまった。グラハムは額を押さえたまま俯き、けたけたと肩を揺らして笑っている。
(え、なにこの人……)
何が彼の中で起こったのかわからず、八束は引きつった表情を浮かべていた。
「なんだろうね……その言葉すっごい嬉しいのに、君の口からって事がすっごい悔しいよ、私……」
八束の手渡した雑巾を握りしめながら、グラハムはしみじみと呟く。
グラハムに対しては、長畑は普段以上に素直でないところがある。思慕と苛立ちが混ざり合い、少々きつめの態度を取ってしまっているように見えた。
(あぁ、あの人今までこの人にそんな事言った事ないんだ……)
ここに来る前までに感じていたグラハムへの恐怖も今は忘れ、八束は目の前の男に親近感と、若干の申し訳なさしか感じなくなっていた。