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相対する薔薇

04 俺ルールと東欧の遺伝子


──あの人、グラハムさんの事、さっきも『大好き』って言ってましたし。
そんな八束の言葉に噴水のようにコーヒーを噴出した男は、今は全てのやる気がなくなったように、テーブルにべったり突っ伏している。
けたけた笑いだしたり唐突に落ち込んだり、凄まじく感情の起伏が激しい男なのだな、と八束は思った。
「何でそんなに落ち込むんですか……長畑さんグラハムさんの事嫌ってないのに……」
遠慮気味に聞けば、非常に体調の悪そうな目で見上げられた。
「そっけなくされるのに慣れ過ぎてたんだよ……君にはわかんないかもしれないけど。あれだよあれ。飼ってる猫とかが懐いてくれなくて、凹みつつもそういうものだと思ってたら、こっちが寝込んでる時にさりげなく布団に入ってくるような感じ」
「余計によくわかりませんが」
「わかんなくてもいいー。優しさに喜んでたら、体調治ったらもうべたべたしてくれないみたいな。『なんだったのさっきの優しさ!』みたいな。そんな寂しさを今、私は味わっている」
はあぁ、とこの男にしては珍しく疲れきったようなため息が漏れた。
猛烈に落ち込んでいる男を見て、八束もそんな事言わなきゃ良かったのか、とちょっと後悔もしていた。
「で、でも、あの人がそう思ってくれてるのは確かなわけで……言わないだけで」
「そう。多分私が、彼の口からその言葉を聞く事はないような気がする」
グラハムは再び、テーブルに沈む。額を打ったのか、ごつんと音がした。
八束としても、この賑やかな男に目の前で落ち込まれるのは困る。しかも自分の不用意な発言のせいで落ち込ませてしまった事はあきらかなので、なんとかして元気づけたいわけだが、言葉が見つからない。
(どうしようか。これ、俺のせいだもんなぁ……)
正直な話、ここまで落ち込むような事だとは思わなかったのだ。
「だ、大丈夫ですよ! 一度すごい喧嘩したんでしょ? それでもそう思ってくれてるんだから、大丈夫──」
「まぁでも、新たな目標はできたよ八束君」
「は?」
八束の言葉を聞いているのかいないのか、グラハムが突っ伏したまま、笑いをもらした。
「……今から彼の性根を叩き直すのは無理としても、絶対永智の口から私の事好きって言わせてやる。俄然燃えてきたもんね。あの子はあれだ、思ってても言えない子なんだよね。そう考えたらあれだ、超可愛いよね」
がばりと跳ね起きた男に対し、八束はどこか呆れた視線を送る。
何かよくわからないが、唐突な復活だ。
「あの人が可愛いとかは俺、思ったことないですけど……立ち直り早いですね」
「男がどうにもならない事をうだうだ悩んだって、恰好悪いでしょうが。思いきり大事よ?」
「……肝に銘じます」
「うん。君はそういうところあるからね」
グラハムはにこにこと機嫌よく笑って、残りのコーヒーを飲み干した。
(基本、すっごくポジティブな人なんだろうなぁ)
八束とは全く造りが違うらしい。
少し羨ましいと思いながら、八束はすっかり冷えたコーヒーを口に運んだ。


自分達がそんな話を続けていたころ、ようやく長畑が帰ってきた。
夕方には少し早い。
早く帰るから、とは言っていたが、確かに少し急いで帰ってきてくれたのだろうと思う。
八束たちを見渡して、少しだけ安堵のような息を吐いたのがわかった。
「ねぇ永智ー、服貸して服ー。スーツ以外今回忘れて来たよー」
大人しくテーブルについたグラハムが、駄々っ子みたいな口調で話しかける。
「……珍しい。いいよ。僕のタンスから着れそうなの持って行って」
「あと今日メンバー揃ってるから、飲もうよ。この子も一緒に」
「え?」
八束が驚いていると、グラハムは日本酒の一升瓶を、テーブルの上にごんと置いた。
「どうしたんですかこれ……」
「さっき来る前に買った。日本酒、学生のとき以来飲んでないから、懐かしくなって。永智も飲むかなーと思って。いいでしょう?」
長畑を見れば、彼も無茶振りには慣れているらしく、平然とした顔で答えた。
「別に家で飲むのはいいけど、この子飲めないよ」
「え? 十六くらいからいけるでしょ、ビールくらいなら」
「それは向こうの話でしょう。こっちは二十歳までお酒全般駄目」
「あー、そうだったっけ……。じゃあジュースでも買ってきますよ」
「僕が行こうか?」
「いい。私一度ホテルに戻るし、ついでにお買いものしてくる。君が今日泊めてくれるかわからなかったから、荷物置きっぱなしなんだよね。服は帰ってきたら借りる」
そう言うと、グラハムは立ち上がった。
「そういうわけだから八束君。君も覚悟するように」
「何の覚悟か全然わかりませんけど、腹はくくって参加しますよ……」
いろいろ諦めてそう呟けば、「いい覚悟だ」とグラハムが満足げに笑った。
「覚悟よりグラハム。買い物行くなら何か食べるものも買ってきてよ。うち今何もないから」
「相変わらず、君の家の冷蔵庫は飾りかい。備蓄食料すらないのかい……」
グラハムは呆れた様な視線で、長畑を見た。
「入ってるときは入ってる。事前に言ってくれれば用意しとくよ、僕だって。いつもいきなり決めるからだよ」
長畑はため息をつきつつ、答えた。そこには以前のような、苛立ちも怒りもなかった。


「飲み会? 珍しい」
グラハムが出かけた後、長畑が室内に戻ってきた三崎にも声をかけた。
「男ばっかりでむさ苦しいんですが、どうかなと思って」
「なかなか楽しそうねーとは思うんだけど、今日は旦那のご飯作らなきゃだからね。またの機会に誘ってよ」
「まぁ唐突でしたからね……言い出したら彼、聞かないので」
いろいろな事情を含んだ長畑の言葉に、三崎が笑う。
「まぁいいじゃないの。そういうお付き合いも大事でしょ? 八束君も参加なの? 飲んじゃ駄目よ? この人とかすっごい飲める人だけど、真似しちゃ駄目よ?」
「へぇ。そうなんですか?」
八束が意外だ、という視線を向けると、長畑は「そうでもない」と、不満そうに言葉を遮る。
「そんな、人をザルみたいに言わないで下さいよ。馬鹿みたいに飲んでるわけじゃないんですから」
「年末の地域の飲み会誘われて、一人最後までケロっとしてたって伝説になってる人が、何言ってんの?」
「伝説って……何やらかしたんですか」
すっごい気になる、と長畑を見ると、長畑は困ったように笑った。
「言っとくけど、僕は何もやらかしてません。ただ朝まで帰してもらえなくて、皆その辺りで酔っぱらって転がってるし、放置しとくわけにもいかなくて」
聞けば、最近他の農家や農業組合と付き合いがあるそうで、たまに引っ張り出されるそうだ。
最初は地元の人間たちも、余所からやってきた異国風の若者を遠巻きに見ているようなところがあったらしいのだが、何だかんだで、この目立つ男に興味もあったらしい。
長畑も深く付き合おうと思えば気難しいのだが、表面上は基本誰にでも愛想がいいし、面倒見のよい好青年ではある。
わりとすんなり溶け込んだのだろう。
「まぁ、今はいいお付き合いさせて頂いてるよ。こっちも勉強になるしね」
笑顔で長畑は答えるが、その中で年齢的に若い方になる彼は、なかなか無茶振りもされているらしい。 以前聞いた「フランス語できないって言ってるのに、通訳係としてフランスまで連れて行かれた事件」もその一部なのだろう。
無茶を言われても結局引き受けてこなしているあたり、彼は何だかんだで人が良い。
「で、なんでそれで伝説扱いなんですか?」
「やっぱりそれを聞きたいのかい、君は」
「いやだって、全然意味がわからなくて」
「そうだねぇ……」
長畑は軽く目を閉じて、少々思い出したくないような顔をしつつも語った。
「一度、地域の集会所で忘年会やるから来いって言われてね。どうもあまりに僕が飲んでも顔に出ないから、酔わせようと画策されていたみたいなんだけど。まぁいいかと思って付き合ってるうちに、皆酔って寝るし吐くし。仕方ないから僕一人で酔っ払いの面倒見て掃除して、朝全員起きるの待って、動けない人送って帰ったよ。あれは今思い出しても、ちょっと辛かったなぁ……」
あはは、と笑いは混じっているが、少々乾いた笑いだった
「で、その後でお詫びに来た人達、何故かウォッカ置いて行ったわよね。あれ何で? 長畑さんって洋酒好きだった?」
「いや、そういうわけじゃないですけど。どこの国の人かって言われて、母親が今のロシアとかあの辺りの人間でしたって言ったの、覚えていてくれたんじゃないすか? それで気でも効かせてくれたんじゃないか、と」
多分親切心です、と長畑は付け加えた。
「それで、そのお酒どうしたんですか?」
「まだ戸棚の中にあるよ。ちびちび飲むにも、一人じゃきつい酒だからね。今日出そうか?」
「出さなくていいです。俺は生きて帰りたいです……」
どんな事になるのだ──そんな思いで八束がため息を吐くと、長畑は「大丈夫大丈夫」と笑った。
「僕もべろべろになるまでは飲まないし、そんなにお酒好きってわけでもないし。グラハムもあんまり強くなくて、飲むだけ飲んだらすぐ寝るようなタイプだったから、絡むような事は多分しないんじゃないかな? 君も、明日学校あるだろうから、あまり遅くもさせられないし」
「それは大丈夫ですけど──でも俺は、酔った長畑さんが見てみたいって気持ち、ちょっとわかるなぁと思います」
八束は真面目に、そう思った。どんな事になるのかはわからないが、いつもと違った面も見せてくれるのでは、と思うと、少し期待してしまう。
しかし黙って聞いていた三崎が、首を静かに横に振った。
「それはやめなさい八束君。この人を酔わせるまで飲ませたら、量が凄い事になるから。大抵の人動けなくなっちゃうから」
「だから僕はどれだけザル扱いされてるんですか……。そもそも、三崎さんの前で僕、飲んだ事ないじゃないでしょう?」
「ないけど、いろんな人が伝説のようにあのときの事を語るものだから。やっぱりあっち側の国の人はお酒強いのねーって、皆言ってたよ?」
「僕は、あっち側の人ってわけでもないですけどねぇ……行った事ないし」
目の前の大人二人の会話を聞きながら、八束は黙って出されていた新しいお茶を飲んだ。
この目の前の優男が、そんなに飲める人間だとは知らなかった。
長畑の母親が東欧出身者だというのは、以前少しだけ聞いた事がある。八束には全く縁のない、知らない国だ。
長畑自身もあまり身近に感じている国ではないようだが、その国の人間の遺伝子、というのは確実に受け継いでいるようである。
八束は一人大人しく、母親に向けて「帰るのが遅くなる」とメールを打った。