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持家の不思議

 持家の不思議(WEB拍手お礼文だったもの)


「昨日はごめんなさい」
その日の夕方、八束がバラ園に赴くと、室内に入るなりグラハムが床で土下座していた。
でかい英国人が床で土下座。
いきなり何してるんですが、と八束は少々引く。
「……なんかの罰ゲームですか?」
「罰ゲーム違う。昨日の夜、私相当絡んだみたいじゃない? 永智に聞いたよ。ほんと申し訳ない」
「えぇ……いや、まぁなにもないですし大丈夫ですよ。酔ってたんでしょ?」
「うん。ちょっと疲れてたんだろうね私も。久々に記憶を吹き飛ばしたよ。やばい」
「覚えてないんですか昨日の事……」
「それがね、全く。飲もうね!って言い出したの私ってのは覚えてるんだけど、それ以降の事がね」
「……」
便利な脳みそだな、と八束は思う。
けらけら笑いながら酔っぱらっていたこの男は、そうとう面倒くさい酔い方をするようだ。
「今日昼に頭痛くて目が覚めたらさー、永智がごみ見るみたいな目で見てんの私の事。それはそれでたまんないんだけど、君に迷惑かけたみたいだし、一応謝っておきます。ごめんなさい」
「……」
長畑の「ごみを見る目」が、八束にはどうも想像できない。
それでも長畑に「大好き」と言わせる辺り、謎だ。この男はからっとしていて憎めないところがあるからだろうか。
八束もグラハムの事は嫌いではない。
ただ、今までの十七年間の人生の中で出会った人物として、一番アレな人、とは思っている。
本人は大真面目らしいのだが。

どうやら二日酔いらしいグラハムは、ダイニングテーブルの上でべったり伸びていた。
長畑に借りたらしい白いシャツとジーンズを着たこの男は、スーツ姿よりも若く見える。
スーツだと、ビジネスマンと言うよりも完全にイタリアンマフィア化するので、八束はどちらかと言えばラフな格好の方が、この男には合うのではないかと思った。
「水、置いときますね」
こちらもバイトで来ているので、酔っ払いの相手をずっとしているわけにもいかない。
ひとまずグラスにミネラルウォーターを注いで、頭の近くに置いてやった。
「ありがと八束君。君超優しいよね。君の優しさを永智にも分けてあげてほしい」
「あの人は十分優しいんですけどね。たぶん貴方がもうちょっと真面目に付き合ってたら、違うと思うんですが」
「私は真面目だよ、いつだって」
グラハムはげっそりした顔で、グラスを手に取った。
長畑は冗談も言うが、グラハムと比べると格段に真面目な男だ。
おちょくってばかりで無茶も言うグラハムにイライラするのだろう。
何だかんだで怒りはしない辺り、彼は優しいのだと思う。それだけに数年前に激怒させた事件と言うのは、恐ろしくて詳細が聞けないでいた。
「そう言えばさ、八束君。君、この家泊まったことある?」
「ありますよ。年末に。それが何か?」
「……Sleep paralysis」
「はい?」
突然出てきた英単語に、八束は思わず聞き返した。
この男は日本語がやたらうまい。会話能力にパラメーターを振りすぎて読み書きは曖昧らしいが、基本的に八束相手の日常会話で、 英単語が出てくる事はあまりなかった。
「……うーん。酒でやられてるなぁ。言葉が出てこない。ほら、あれだよあれ。寝てるときにびしっ!ってなるやつ」
「こむらがえり?」
「なにそれ違う」
「えー? ちょっとわかんないんですけど」
「あーっと……なんだっけ。出てこないから気持ち悪い。ちょっと永智呼んできて。たぶんあの子ならわかる」
グラハムがそういうのも珍しいと思ったので、八束は仕方なく長畑を探しに行った。

「Sleep paralysis……ってあれじゃない? 金縛りってやつ?」
仕事中のところを引っ張ってこられた長畑は、突然の質問にも悪い顔することなく答える。
「あー、金縛り。それそれ。出てこなかったの。すっきりしたー」
グラハムは、喉に刺さった魚の骨が取れたような顔をしていた。
「何、金縛りだったの? 枕合わなかった?」
「いや? そんなことない。よく寝てたよ。途中までは」
「まではって……何かあったんですか?」
八束の問いに、「まぁ夢かもしれないんだけどね」と前置きした上で、グラハムは腕を組む。
「昨日君ら、私が寝た後ちょっと出てたでしょ? その後永智が帰ってきたのは知ってる。永智、君昨日寝たのって何時?」
「さぁ。いろいろやって寝たから、1時くらいじゃないかな」
「でしょ? あの後私が寝てた部屋、のぞきに来たりしてないよね。心配して来てくれたなら、それはそれで歓迎するけど」
「それはない」
「……」
長畑の、グラハムに対するスルー技術は半端ないなぁと八束は思った。
しかしグラハムも慣れているのか、まったくめげる様子もない。
「まぁ、そういうわけだ。昨日夜中の2時くらいに目が覚めてね。喉かわいたなーと思って起き上がろうとしたら、全然体動かなくて」
「君疲れてたんじゃないの? 疲れてるときよくなるでしょ、金縛りって」
「え、俺全然経験ないですけど」
八束がそう言えば、グラハムと長畑に声をそろえて「それは若いから」と言われる。
なんとなく、意味もなく疎外感を感じた。
「うーん……私も疲れてるのかなと思ったんだよ。でもさ、金縛りってほっといたらどうにかなるでしょ? 頭冴えてきちゃったし どうしようかなーって思ってたらさ、なんか私の上に誰か乗ってんのよね。布団重いの」
  「……」
台所の中が一瞬沈黙した。
「目は開いたままだし、嫌でも見えちゃうんだよね。女の人。よく見えなかったけど若かったかな。びっくりして、『あ、どうも』って言ったら消えちゃった」
「普通に挨拶してるじゃないですか……」
自分だったら叫んでるよ、と八束は思う。
「だーって、あまりにも普通にいたからさ。どっかに若い女の子隠してるわけじゃないんでしょ?」
「してません。そもそも何で隠してなきゃいけないのさ。……夢でも見たんじゃないの?」
長畑は胡散臭そうにグラハムを見ている。
「第一、僕ここに五年くらい住んでるけど、幽霊見た覚えなんてないよ。っていうか、僕あまりそういうの信じない派だから。呪いとかも、統計とってデータで出せって思うし」
「ですよねー。君、確か理系だったもんね」
「それはあまり関係ないけどさ。でも、八束だって年末に同じ部屋で寝てもらったけど、何も言ってなかったよね」
「……俺は申し訳ないくらいに爆睡してましたから」
「そういう事でしょ? お酒飲み過ぎて寝るからだよ」
「まぁ、それ言われたら私何も言えない」
グラハムも夢か現実か半信半疑のところがあるようで、うーん、と唸っている。
「調子悪いなら薬出して飲んで寝てなよ。ほんとにやばそうなら病院行く?」
「いい。私、今日は完全ダラダラモードで行く」
そう言いながら、グラハムは再度ダイニングテーブルに腰かけた。
作業途中だったらしく、長畑は「あんまりその子で遊び過ぎないでよ」と言って仕事に戻って行った。
「……まぁ永智にそのへん信じろって言っても無駄かぁ」
現実主義者だものねー、とグラハムは再度テーブルにべったりと平たくなった。


「女の人?」
苗木がずらりと並ぶ一角で、植え替えを行う三崎の手伝いをしながら、なんとなくグラハムの話をしてみると、 三崎は少しだけ何かが思い当たるような顔をしていた。
「……私も見たことはないけど、なんかいるのかなって思う事はあるけど」
「そうなんですか?」
まじで、と思いながら三崎の顔を見ると、「まぁ、長畑さんの手前言わないけど」と言って三崎は手にした鉢を置いた。
「後ろで何か横切る気配がしたり、足音がしたり、そういう事はまれにあるかも。まぁ古い建物だし、家主さんは気にしてないんだからいいんじゃない? 八束君だって、怖い目にあったことないでしょ?」
──確かに、自分が何かを見たわけではないのだが。
「……苦手なんですよ、そういう話」
八束が渋い顔をして言えば、三崎は爆笑していた。

自分は見ていない。
見たこともない。
だが、自分がそういう目にあったらどうなるだろう、と思うとなんとなく今日、寝れない気がする。
自分の仕事を終えて、長畑に挨拶に行くと、彼は庭の真ん中に立って、何やら考えているようだった。
商品の方はある程度、春の売り出しの準備も済んだ。
おそらく自分の趣味……庭の方を今年はどんな感じでもっていくか、考えているのだろう。
「今年は調子、良さそうなんですか?」
後ろから話しかけると、長畑が振り向く。
「……あぁ、バラの事?」
「去年満開の時来たから、また見れるの楽しみです」
「そっか、君春に来たんだっけね。一年早いなぁ」
長畑がそう言って笑う。
確かに一年早かった。八束もそう思う。
だがあのときは、彼とこんなことになるとは、全く思いもしなかった。
「……君は、信じる派? 幽霊とか、UFOとか、そっち系」
「え」
長畑にそういった話を振られるとは思わなかったので、八束は少々驚く。
先ほどの反応から、信じてもいないし語るのもくだらないと思っているのだと思っていた。
「俺は怖いの嫌なんで。ぐろいのも駄目ですし。怖いって事は信じてるのかも。でも、見たことないです」
八束が少し考えながら言えば、長畑は「なるほどね」とにやりと笑う。
「僕は、いたら面白いのにくらいで思ってる。死んだら人はどうなるのかも気になる。完全に信じてるわけじゃない。だって僕は見たことがないから。自分が見たら、信じるのかもしれない」
「……長畑さんらしいですね」
否定するわけではない。自分が見たものが全て。
そう言い切れるこの男は、ある意味すごいと思う。
意味もなく怖がる自分が、少しだけ情けない。
「……俺も父親死んでますけど、よくあるような心霊話みたく、出てきたことはないです。心配かけてないって事なのかなと思うんで、それは良い事かもしれない。俺がビビりすぎるのわかってるから出てこれないだけかもしれないですけど」
「お父さんが気を遣って、って事?」
長畑が少し笑みを浮かべる。
「父親もびびりだったんです。母親と妹は心霊番組とか大好きで、男二人だけチャンネル争いで負けて、ガタブルしながら観てました。 そういうのわかってるから、親父も出てこないのかも」
「なんだか、君の家族の様子が目に浮かぶよ」
長畑も八束の母と妹に何度か会っている。
想像したのか、柔らかい笑みを浮かべて八束の頭を撫でてきた。
少々、照れくさい。
八束が父親との思い出を長畑に語ったのは、初めてだった。
「……僕がそういったものを信じない理由は、僕も両親の姿を一度も見ていないから。幽霊ってものが存在するなら、どれだけ僕が鈍かろうと、一回くらい顔見せてくれてもいいじゃない。なのにない。だから、いないんだろう。死んだら終わりなんだろうって思ってた。まぁいた方がいいって、そっちのほうが救われるって人もいるだろうし、否定はしないよ。ただ僕は、いないんだろうって思うだけ」
八束は撫でられながらも、長畑を見上げた。
初めて会った頃、長畑はこんなに簡単に、八束に心の内を見せてくれるような男ではなかった。
この庭の中心で、「入ってくるな」と言わんばかりに拒絶されて戸惑ったのも、今となっては懐かしい。
撫で終わった長畑の腕に触れると、そのまま八束は腕にしがみついた。
長畑が「おや」という顔をしている。
「珍しい。今日は甘えてくるね」
「……ちょっと、寂しくなったので」
父親の話なんて久しぶりにしたからだろうか。
ひっつきたくなったのだ。 あと長畑もちょっと寂しそうに見えた。

──だから。

「まぁ、冬はそうなりがちだよね」
八束のしたいようにさせながら、長畑は笑っていた。


「そうそう。……グラハムが言ってた、あの話だけど」
しばらくして、長畑がぽつりと言った。
「ここ買うとき、不動産屋が言ってた気がする。出るから安いって。おすすめはしないみたいな」
「……」
はた、と八束の思考が止まる。
え、と腕にしがみついたまま顔を見上げれば、長畑が今更思い出したらしく苦笑いしていた。
「あの頃、僕もまだとんがってたから、馬鹿らしいと思って、安いしいい土地だし気にしませんって言ったんだ確か。自分が気にしないから忘れてた」
「…………マジですか」
不動産屋が言うってそれ本物じゃないか、と八束の背にだらだらと汗が流れる。
確かに、少し謎ではあったのだ。
田舎の、山に入ったところとはいえ、一軒家付に肥えた土地。
長畑がいくら資金貯めて来たところで、まだ二十代の若者が買ったにしては、広い。
「もともといわくつきの物件じゃないですかそれ!」
「大丈夫大丈夫。僕長年住んでても見てないし。金縛りなんてよくあるじゃない。良い花咲くし、土もいいし。気にしたら負けだよ」
あはは、と明るく笑う長畑を見て、彼の思い切りの良さは少し見習った方がいいのかと、八束は少し悩んだ。

(終)