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薔薇園とワンダーランド

02 迷い込んだその先で(終)


好きな人が、夢の中でそれはもう可愛らしく、幼い姿で出てきた。
それだけであれば、「自分キモい」で終わるのだが、これは何なのだろう。
ふと、さきほど唐突に始まった「お勉強」が八束の脳裏をかすめる。
夢見がちな、不思議な話だった。
冒頭しか訳していないが、その影響も受けているのかもしれない。
しかし「これは夢」とは思いつつも、八束は今、戸惑いながら焦っていた。
目の前の見慣れた、でも若い英国人は本気でこちらを威嚇している。
簡単に見逃すつもりはないのが、その視線の強さでわかったからだ。
「あ、あの」
おそるおそる声を出せば、男の目が「あぁん?」とでも言いたげにこちらを見た。
怖い。すごく怖い。
若いこの姿では「マフィアだ」とは思わないが、隙なくグレーのスーツを着込み、掘り深い顔立ちの、深い緑の瞳がこちらを見ている。
スーツの上からでも、この男のがたいがいいのはわかった。
グラハムに初めて会ったときの事を思い出す。確か、あのときも怯えたのだ、自分は。
最近仲良くしてもらっていたから忘れていたが、どちらかと言えばこの人は「怖い人」なのだ。
陽気で人懐っこい一面も確かに彼なのだが、容赦ないような怖い面もある。
(どうすればいいんだよ)
嫌な汗がつたう。
──気が付いたら、ここにいました。
八束としてはそれが事実なのだが、そう言ったところで不審者扱いが増すのは目に見えている。
何か、嘘でもいい。
それっぽい事を言った方がいいのかもしれない。
そう思っていると、若いグラハムの後ろにいた、これまた若い長畑が、グラハムの背を小突いた。
「……睨み過ぎ。怖がっているから、やめてあげなよ。元々顔怖いんだからさ」
(喋り方変わんないなぁ……)
幼い彼の少し高い声ではあるが、普段とあまり変わらない話し方に少し和んだ。
やっぱり、この少年はあの人なのだ。
そう思うと安心感が湧いたが、いやいやと八束は内心首を横に振る。
和んでる場合ではない。
だがその言葉に気が抜けたのは、八束だけではなかったらしい。
「……あのね永智。睨みもするでしょ? 知らない人が家にいるんだよ?」
若いグラハムは、そんな長畑を呆れたように見る。
「でも」
「でもじゃない。君は家の中に入ってなさい」
「……あんまりひどい事しちゃ駄目だよ」
「しないしない。埋めたりはしないから、ちょっと事情聞くだけだよ」
(今なんかすげー物騒な事さらっと言ったような……)
あぁこれはやっぱりグラハムだ、と八束は思う。
グラハムの後ろの少年は、ちらりと一瞬八束を見た。
その視線に、どきりとする。
何も言わず、その幼い少年は背を向けて、庭木の向こうに消えた。
(……これは仕方ないよな)
少年の姿が消えて、八束はどこか心がざわめいた自分を戒めるように、頭を掻いた。
グラハムは以前、八束に長畑と初めて出会った時の事を話したことがある。
そのとき、グラハムは日本に留学していた大学生で、長畑はまだ幼少の頃だったらしい。
──それはもう、天使のように可愛くて。ほんとに天使だと思ったね。
彼は熱を帯びた口調でそう語った。
その発言を聞いたとき、八束は「子供にそんな感想を持つこの人やべぇ」と思ったのだ。
だけどこれは、そう思っても仕方ないんじゃないだろうかと、実際幼い彼を見てしまった今では思う。
写真では見ていたが、実際に見るとまた違う。
(あの人、ほんと子供の頃から綺麗な顔してんだなぁ……)
子供が可愛らしいというのは当たり前の事だ。
だが人間、なにかしら部分的な欠点があると思うのだが、それが見当たらない。
しかもそのまま綺麗に成長しているあたり、ずるいと思う。
そんな事を思いながら目の前に立つ男を見ると、彼はこちらを観察するような目で見ていた。
「守るべき雛」がここから離れ、少しだけ八束に対する威嚇は弱まったようだが、まだこちらを不審げに見ているのは変わらない。
「……私、日本に少し留学してたことがあるから、わかるんだけど」
己から離れた少年の行方を確かめるように後ろを見てから、グラハムはこちらを向いて言った。
「君のその黒い恰好、学生服でしょう? なんで君みたいな子供が、こんなところで一人でいるの?」
子供。
その言葉に、八束は恐る恐る、目の前の男を見上げる。
「一応、高校生です」
「あ、そう。それは失礼」
多分もっと幼いと思われていたのだろう。それは今に始まったことではない。
(……なんか前にもあったな、こんな会話)
軽くデジャブを感じながら、八束は頭を下げる。
「……勝手に入って本当に、すみません」
自分だって気が付いたらここにいたのだ。何でなのかはわからない。
だが、向こうはこちらを警戒しているし、悪意がない事はわかってほしいと思った。
言葉が通じる相手で本当によかったと思う。
「……知り合いの家を、探していたので」
八束が頭を捻って口に出したのは、そんな嘘だった。


「つまり」
こちらをじっと見る緑の瞳が、八束を観察するように射抜く。
八束は今、その家の客間にいた。
ソファに小さくなって座り、目の前の腕組みして座るグラハムの追及に耐えている。
「君は、この近くにいたと思われる人を探していると?」
「そ、そんなところです」
「そんなところ?」
「……そうです!」
ふぅん、と表情も変えず、グラハムが長い足を組んだ。

──この近くにいたはずの人の家を探している。
この家の庭が、記憶にあるその人の家にそっくりだったので、思わず入ってしまいました、ごめんなさい。

それが八束のついた嘘だった。
「よく入れたね。門、閉めてたと思うんだけど」
おかしいな、とグラハムは首を捻った。
八束はそれに、あはは、と苦笑いを浮かべる。この人の追及は怖い。ぼろが出ないように取り繕うのに必死だった。
「それで、言葉も話せないのに来たのかい。その気持ちは認めるけど、人んちに勝手に入っちゃ駄目だよ」
「それは本当に……すみません」
八束はまた頭を下げる。
「……ここは、貴方の家ですか?」
「違う」
グラハムは、短く否定した。
「私と一緒にいた子の家だよ。私とあの子は留守番。まぁ越してきたばかりだから、君が探してる人がこの家にいた可能性もあるのかもしれないけど、私もそこは詳しくないからわからない。多分あの子も知らない」
「そう、ですよね」
八束は言葉に詰まる。
これでは、これ以上話が発展しようがない。
どうしようかと思っていると、静かに部屋の扉が開いて、少年が入ってきた。
「よかったら、お茶でもどうぞ」
「あ、どうも……」
少年の落ち着いた声に、八束は頭を下げる。なんだか、頭を下げてばかりだ。
目の前で紅茶を入れてくれる少年の手馴れた手つきを見ていると、八束は緊張してくるのを感じて、ひざの上の拳を思わず握り直した。
そういえば、長畑のところに紅茶が置いてあることはあまりなかったような気がする。
考えてみれば、イギリス在住経験があるくせに不思議だ。ティーポットもなかった。
なんでなのだろう? 嫌いという感じではなかった。
少し考えてみて、夏の長畑の、グラハムに対する態度を思い出して寒気がした。
見たことがないくらい怖い顔をしていたし、何を言われても突っぱねているようなところがあった。
彼を連想するもの全てを拒否していたのだとしたら?
──彼は深ーく根に持つんだよ。
グラハムの言葉が脳裏の浮かぶ。
(……絶対に怒らせないようにしよう)
八束は軽く、首をふる。
彼にそこまで激しい拒否をされたら、生きていける自信がない。

「入れ方、上手になったね」
自分への視線とは全く違う優しい眼差しで、グラハムが少年に優しく笑いかけた。
「……練習したから」
照れくさいのか、少しはにかんだような笑みを、少年は浮かべる。
「ごゆっくり」
そう八束に告げると、少年はまた部屋を出て行ってしまった。
「可愛いでしょう、あの子」
「はい」
グラハムの問いに思わず即答してしまい、八束は焦ったが、目の前の男はそんな八束を面白そうに見ていた。
「あの子についた虫かと思ったから、違うようで安心した」
「虫?」
「綺麗な花にはいろんな虫が寄ってくるわけよ。良い虫から害虫まで」
「……あぁ」
なるほど、と八束は呟く。
グラハムの言いたい事はわかった。

──でも、自分達、それだとどっちも虫ですよね。

そう思ったのだが、言えるわけもなかった。
入れてもらった紅茶を口に運ぶ。淹れ立ての、良い香りがする。
匂いまで本当にリアルで、これは本当に夢なのだろうかと、八束は不思議でならない。
この夢での彼らの年齢は、実際の年齢から、ちょうど20歳ほど引いたくらいのような気がする。
(なかなか覚めないな、この夢……)
時間はゆっくり、流れていく。
時計のこちこちという秒針が聞こえるほど、あたりは静かだった。
紅茶を置いて、八束は周囲の景色を見渡してみる。
洋風の室内は、八束の知らない空間だ。
本棚に収まる本や、傍らに置かれた新聞。それら全てが英語だった。
客間の窓から見える街並みもすべて洋風の建物が並ぶ。ここがどこなのかわからないが、イギリス、なのだろうか。
全く現実感が湧かない。
海外に行ったこともない、それほど映画も見ない自分が、こんなリアルに想像できるものだろうか?
(……もし、夢じゃなかったら?)
そう考えると、背筋がぞくりと冷えた。
まさか、そんな事はないだろう。
自分はあの家で、ただ居眠りしただけなのだ。
「あの、この家のご両親は……?」
「ん?」
「いや、その……この辺りの事ご存知かな、と思って」
「あぁ、今いないよ。二人ともお忙しくてね。今は出張中。だから私がここにいる」
子供一人置いていくわけにもいかないしね、とグラハムは言った。
(長畑さんの両親って、亡くなってるんじゃなかったっけ……?)
心の中で、八束は首を捻った。
聞いた話でしかないが、確か彼の両親はイギリスに渡ってその後、事故で亡くなっていると聞いている。
その出来事は、長畑の生き方を少し頑固な方面へと捻じ曲げる事になる。
八束も安易に触れられないものだ。
(この夢は、その前……?)

なんだろう。
この空間は、何だ? 自分は何を見ている?

「連絡取ろうと思っても難しいかも。お二人とも、きままな方なのでね」
「あ、いや。それは大丈夫ですよ。そこまでご迷惑かけるわけにはいきませんから」
紅茶を飲み干して、八束は立ち上がった。
「もう行くの?」
グラハムの問いに、八束は苦笑いを浮かべた。
「……はい。お世話になりました」
「なんか不安そうな顔してるけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。また手がかりなくなっちゃったなって……」
笑顔を浮かべるのに必死だった。暑くもないのに、背に汗が流れ落ちる。
穏やかな空間なのに、不気味さを感じた。己の妄想が見せている世界だとしたら、なおさらだった。
はやくこの空間から逃げ出したかった。
「ありがとうございました」
頭を深々と下げて、八束は玄関に向かって歩く。
「ねぇ、君」
ソファに座ったままのグラハムが、八束の背に向かって声をかけた。
「変な事聞くんだけどさ……私たち、どっかで会った?」
「……」
ぞわり、と何かが心の中に広がっていく。
何故かその言葉を、とても怖く感じた。
ここに来たころの警戒や威圧。そんなものはいつのまにか、この男から消えていたのに。
何気ない一言が、怖い。
「初対面だと思いますよ」
「……だよねぇ」
おかしいな、とグラハムが小さく呟いたのか聞こえた。
心底不思議そうな声だった。
(この夢、怖い)
もう一度、笑顔でグラハムに別れを告げて、速足で玄関へ向かった。
できればこの扉を開ければ、そこは八束の知る空間であってほしい。
もう終わってほしい。
そんな期待を浮かべて扉を開ける。
隙間から、猛烈な日差しが差し込んできた。
午後の日差しだ。
まぶしさに八束が目を細めると、植物のかげにあの少年が見えた。
──長畑さん。
八束は、口の中で小さく呟く。
夢はまだ終わっていない。世界は途切れてはくれなかった。
軽く疲れを感じ息を吐き出すと、八束は玄関前に突っ立ったまま、その少年の姿を見つめる。
少年は庭の中心で、庭木の葉を手に取って眺めていた。
視線に気づいたのか、彼がこちらを見る。
「お話は、終わったんですか?」
小さく笑って、幼い長畑は問いかけてきた。
良く知る愛想笑いだったが、彼がこちらに敬語を使っているのに違和感を覚える。
「……終わりました」
八束がそう答えると、少年は体をこちらへ向ける。
「何か手がかりありました?」
「え? あ、いや、何も……」
そういえば、人を探しているなんて嘘をついたのだった。
自分が語った設定を忘れるところだった。
八束が苦笑いを浮かべると、少年は申し訳なさそうな顔をする。
「僕が何か知ってたら良かったんですけど、ごめんなさい。僕の親なら何か知ってるかもしれないですが、今いないので」
「……いいんですよ。そんな」
嘘に親身になられると、胸が痛む。
賢そうな子供だなぁ、と八束は笑みを浮かべる。自分が彼と同じくらいの歳だったころは、こんなふうには話せていなかった。
この人もグラハムも、自分が知る彼らとさほど変わらない。
不思議なものだな、と八束は思った。
姿は違えど、彼らなのだ。
「こちらには、来たばかりなんですか?」
「はい、まだ2か月です。僕はまだ言葉もよくわからないので、毎日困ってます」
長畑は幼い顔に、苦笑いを浮かべた。
──イギリスに行った頃は全く喋れなかった。
先ほど聞いた長畑の言葉がよみがえった。
「だから、貴方を見て日本人だと思って、懐かしくて思わずあんな事を言ってしまって。ごめんなさい」
「あぁ」
貴方は日本人? と聞いてきた事だろう。
「気にしてないですよ。でもきっと、すぐ覚えれると思います」
「……みんなそう言います。だと良いんですけどね」
少年は大人びた顔で笑う。

(──大丈夫ですよ)

八束は心の中でつぶやく。
貴方は賢いから、すぐに覚える。話せるようになる。
不安にならなくても、それは大丈夫だから。

「植物、好きですか?」
葉を撫でている少年を見ていると、八束は微笑ましく感じてしまう。
そう言うと、長畑は照れくさそうに笑った。
「好きですね。なんていうか、綺麗じゃないですか?花だけじゃなくて、葉っぱも光って」
周囲は午後の日差しに照らされて、光を透かした木々の葉はきらきらと輝いて見える。
確かにこの庭は、綺麗だ。この人の思い出に残るのも無理はないと思う。
「あの……」
八束の言葉に、長畑が大きな目でこちらを見上げてきた。
普段、見上げてばかりの自分が見上げられる。やはり慣れない。不思議な感覚だと思った。
「ご両親、お忙しいみたいですけど……さびしいとかは、ない?」
「仕事なので、仕方ないですね。でも一人でいるわけではないので」
平気ですよ、と少年は言う。
両親は家を空けがちだが、この少年はきちんと愛されて育っている。少年もそれをわかっている。
愛されていないなんて、微塵も思っちゃいない。
「そういえば」
長畑が、少し首を傾げたように八束に問う。
「どうしてうちの苗字知ってたんですか?」
「え……あぁ」
そう言われてみれば、彼の姿を初めて見たとき、確かに呼んでしまっていた。長畑さん、と。
八束は困ったように、頬を掻いた。
「……似てたんです。雰囲気とかが」
「僕と?」
八束は、頷く。
「……俺が探してる人と。名前も一緒で」
「──そりゃ、美人さんなんだねぇ羨ましい」
突然聞こえた男の声に、八束は驚いた。
声の方を振り向けば、玄関のところにグラハムが立っている。
自分がなかなか出て行かないし、長畑と話し込んでいるしで心配になって出て来たに違いない。
「恋人でも探してるの?」
グラハムはにやり、とこちらを見て笑った。
「……恋人ですよ」
八束もその目から視線を逸らさずに答える。グラハムは楽しそうに八束を見ている。
「ふぅん……意外だね。君みたいなのが」
「失礼な事言っちゃ駄目だよ」
少年が、たしなめるような小言を言いながらグラハムの元へ行く。
グラハムは少年の頭を一撫でして、こちらを見た。
「まぁでも、そういう話、嫌いじゃないからね。早く見つかるよう祈ってるよ」
その言葉に、八束は笑みで返した。
──その幼い少年は、今は貴方のものなのだろう。
お互い傍にいる事を、何の疑問にも思っちゃいない。
こちらは完全に迷い込んだ異物だ。来るところを間違えた、そんな感じさえする。
何故自分の見る夢で、こんな孤独と後味の悪さを感じなければならないのだろう。
この後、彼らがどうなるか、八束にはわかってしまっている。
この今見ている夢の光景は、いつか終わる。
それが数年後なのか数日後に起こる事なのかはわからない。
彼らに、自分は何か言うべきなのだろうか。
少し悩んだが、この空間を壊すことはできない。そう感じた。
これはひどいが、ただの夢だ。
過去を変えるなんてそんな力、あるはずがない。
「……そういえば、どこから出ればいいんですか?」
少し歩いて、八束は立ち止まった。庭は広い。出口どこだよと思いながらグラハムを振り向けば、彼は呆れた顔をしていた。
「ほんと、どっから入ったんだい君は……」
やれやれと言いながらもこちらへ彼は歩いてくる。
「門開けたげるからこっち来……」
グラハムの声が、急に遠くなった。
同時に、耳がつーんと痛くなる。
日差しが急に強くなり、辺りは真っ白になった。
あまりのまぶしさに、八束は目を手で庇う。
二人の姿が見えない。景色も見えない。
光に飲み込まれたような感覚だった。

「……ねぇ」

ぼんやりとした意識の中で、どこかで聞いた事のある声がする。
「……ちょっと、起きて」
誰かが体をゆすっている。
「……」
夢が、終わった?
そう思いながら八束がかすむ目を開けると、目の前には見知った男が二人いた。
グラハムと長畑だった。見慣れた、自分が知るいつもの彼らだった。
「……」
視線を周囲にやれば、そこはあの庭ではなかった。
自分がついさきほど、居眠りを開始したソファの上だ。
「君、うなされてたよ。大丈夫?」
長畑が、八束の顔を覗き込んで言う。
先ほど自分が出会っていたあの幼い少年の面影を感じた。目の色も同じだった。
(──やっぱり、夢だった)
あの優しくも恐ろしい夢の世界から帰ってきたのだと思うと、猛烈に安心感が湧いてきた。
口が震える。
「……でかい」
「え?」
「……長畑さんがでかいー!」
安心した反動で、八束は目の前の長畑に、思いきり抱きついた。
うわ、と長畑が少しバランスを崩す。
「……僕がでかいのは今に始まった話じゃないよね?」
長畑はよく状況がつかめていないらしいが、己の首にしがみつく八束の頭を、よしよしと撫でている。
「……ちっちゃいのも可愛かったけど」
「うん?」
「俺はやっぱ今のあなたがいいです」
絞り出すようにして言えば、長畑が少し首を傾げた。
「うーん……何か怖い夢でも見たのかなぁ」
君いじめたでしょ、と長畑は隣にいるグラハムを横目で見る。
「えー……いじめてない。今回はいじめてない」
「今回、は?」
長畑の声が、途端に冷えた。
その声に、グラハムはため息をつく。
「濡れ衣ですよー。私はずっと八束君可愛がってますもん! 愛でてるもん! 一応!」
「いい年こいた男がもんとか言うんじゃないよ。……え、ちょっと君泣いてるの? そんなに怖かった?」
長畑の問いに、八束はしがみついたまま首を横に振った。
「……怖かったから、じゃないんですよ」
いい年こいて恥ずかしいのはこっちだ。
夢見て泣くとか、俺歳いくつだよ、と思う。
「……安心したんです」
目の前にいるのが自分の良く知る彼であった事に、とても安心したのだ。
あの夢の中に、自分の居場所などなかった。
自分が好きな人はいたが、自分の知る彼ではなかった。
それが、とても怖かった。
八束の言葉に、大人二人は顔に「?」を浮かべている。
「……まぁ、安心したならよかったね。大丈夫大丈夫」
子供にするようにぽんぽん背を叩かれる。
普段なら、子供扱いされていると悔しく思うのかもしれないが、今は長畑の優しさが有難かった。
「あはは、八束君役得だねぇ」
グラハムが笑いながら言うが──目は笑っていない事に、八束は気づいていた。
だが今回は、あえて空気は読まなかった。
ごめんなさい、とは思いつつも。
小さかった頃のこの人は、貴方のものだったんだろう。
だが今のこの人は、自分のものなのだと、何がなんでも主張したかった。

薔薇園とワンダーランド(終)