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バラ園と新たなる季節

01 新学期の学校で


新学期になった。 クラス替えもあったが、運が良く八束の仲の良い友人たちは大体同じクラスに固まっている。
これは幸先良い新年度と言えるだろう。
結構俺ついてるじゃん、と思いながら新しい教室に入ると、窓際の机で明らかに重苦しい雰囲気を放ちながら俯せている友人、佐々木が目に入った。
「……あり得ない。まじあり得ない」
机に突っ伏しながらも、何かぶつくさ呟いている。
「どうした、お前……」
少々引きながらも八束が近寄って声をかけると、佐々木はちらりと視線を上げた。
「おはよう、リア充」
八束の顔を見てそんな事を言うので、「これはこいつの恋愛関係で何かあったな」と八束は悟った。
「俺も、そこまでいばれるほど充実はしてないんですけど」
「でも俺よりは充実しているはずだ」
「はぁ」
何を言っても彼の心のギスギスはなくならない。
「……で、何があったわけ?」
これはもう単刀直入に聞いた方がいい、と八束は近くの席に腰かけながら言った。
リア充。
それに自分があてはまるのかどうかは別として、リア充と言うならお前だろ、と八束は思う。
佐々木は男の八束から見ても見た目は良いし、話も上手で女の子には良くもてる。
こちらは彼の数々の武勇伝に巻き込まれ続けてきたのだ。
小言を言いたいのはこちらだ。
しかし女の子をとっかえひっかえしていた彼も、高2の頃から他校の女子と付き合い始め、以前よりも落ち着いた。
誰と付き合っても長続きしなかった彼が、いつのまにか1年近く同じ女の子と付き合っているのだ。
よっぽど気が合うのか、本気なのだなと八束は思っていたのだが。

「……邪魔だって言われた」
「あ?」

佐々木の言葉に、八束は怪訝な顔をして首を傾げた。
「あいつ、国立大学受験するって言ってたろ? 集中したいんだってさ。俺は大学志望じゃないし、ふらふらしてるのと一緒にいてもきついんだと」
要約すると邪魔だって事だろ? と佐々木はため息をついた。
「ふぅん……その子大丈夫なわけ? なんか聞いてて、受験で結構やられてるような気がするんだけど」
この時期からすでに追いつめられているというか。
──ただ、受験を口実に別れたかっただけかもしれないが。
その可能性については、八束は口にしなかった。
「いや、あいつは病んでるっていうか……でもさ、結構追いつめられてる奴は多いかもよ。ほら、俺らのクラスだって特進じゃねぇけど、新学期早々お勉強してるやつらもいるし」
佐々木の言葉に教室を見渡せば、確かに参考書を見つめている生徒もちらほらいたりする。
「特進のクラスはクラス替えないし、結構2年の終わりくらいからギスギスしてるって言ってた。俺はやだね。人間関係切ってまでお勉強とか」
「……それで荒れてたのかよ」
それはご愁傷様でした、と八束は思う。
「つーか俺! 振られたの人生初めてなんだよ!」
「あー、お前は飽きたら振ってたから……」
それも後腐れなく。
佐々木は、とにかく人生で初めてまともに付き合った人間に振られたのが、かなりこたえているらしい。
男から見れば悪い奴ではないのだが、結構遊び人なところのあったこの男の、初めての真剣な恋愛だったという事なのだろうか。
女の子に振られる佐々木、というのを始めて見た八束は、佐々木のぐだぐだな姿が意外だった。
「で、お前は失恋に嘆く俺を放り投げて、今日もあの人のとこ行くのか」
「別に放り投げたいわけじゃないんだけど、バイトなんで」
そんなじと目で見られても困る、と八束は思う。八つ当たりはやめてほしい。
別に友人より恋人を優先しているわけではないのだが、恋人は雇い主でもあるわけだ。仕事に関しては甘やかしてはもらえない。
「……俺は長畑さんに嫉妬しそうだ」
「そんな事言われても困るし、あの人に嫉妬してもらっても困る」
長畑なら、「僕と遊んでくれるのもいいけど、友達も大事にしなよ」とか言いそうだが、あれでいてかなり執着心の強い男のようなので、燃料投下はしてほしくない。こじらせるとあの男が誰よりも面倒くさいというのは、自分だってわかっているのだ。
「まぁ明日はバイト休みだからさ。愚痴ぐらい聞くよ」
「すっぽかしやがったら、俺泣くからな」
「……」
佐々木は受験の悩みではないが、色恋沙汰のもつれによっていろいろキているらしい。
まるで酔っ払いの愚痴を聞く気分だ。
「うんまぁ……約束」
そう言えば、佐々木の機嫌は若干よくなった。
(考えたくないけど……)
ふと、八束は自分の身に、この問題を置き換えてみる。
もし自分たちが別れでもしたら、どうなるのだろう?
自分は好きすぎて欠片もそう思えないわけだが、何かのきっかけでそうなったらどうなるのだろう。
──君は、待たせた僕を裏切らない?
長畑の氷の刃のような言葉が、脳裏をよぎる。
(……裏切りませんとも)
今はこんなにヘタレで子供過ぎる自分だけど、釣り合うような大人になるから待っていて、と自分は言ったわけだ。
差なんていつ埋まるのかわからない。一回り近く歳の離れた男との差なんて一生埋まらないのかもしれないが、自分は早く大人にならなければならない。
でないとあの人には寄ってくる虫が多そうで、こっちだって安らかではいられないのだ。
焦りだってある。
今の状態で余裕をぶっこいていられるわけがないのだ。

その日は始業式が終われば学校は半日で終わるはずだったのだが、帰りに八束は教師に呼び止められた。
「良く働きそうだから」という勝手な理由で、休み中の課題運びを手伝わされる事になったのだ。
一緒にいた佐々木は「俺用事あるんで」とするりとかわして帰ってしまった。
友情ってなんだっけ、と八束は思う。
仕方なくすぐ終わると思って手伝うことにしたのだが、意外に全クラスの課題は量があり、教室間をばたばたと何往復もしていると教師に「八束は小さいのによく動くなぁ」と褒められた。
全く嬉しくない褒め言葉だ。
その後も何だかんだでいろいろ頼まれ、断る事もできず解放されたのは昼の14時過ぎだった。
うまい具合に使われた気がするが、断れない自分も悪いのだと思う。
一応長引いたから、とお礼に缶ジュースを一本奢ってもらった。

「……結構遅くなったな」
やれやれ、と息を吐きながら八束は携帯を取り出す。
今日は15時には行きます、と言っていたのに、間に合いそうにない。少し遅れる旨の連絡を長畑に入れようと思った。
いつもは隙間なく詰まっている自転車置き場がガラガラだ。ほとんどの生徒が下校しているようだった。
「新学期早々居残る奴もあまりいないよなぁ」と思いながら自転車のカゴに自分の鞄をひっかけ、携帯を操作していると……ふと玄関から男子生徒が一人出てくるのが見えた。
その後ろ姿にどこか見おぼえがある。
(あいつ……誰だっけ)
八束は眉を寄せながら考えた。確か同じクラスになったはずだ。
こんな時間まで残っていたとは意外だ。先ほどカバンを取りに教室に戻ってみたが、誰もいなかったはずなのに。
名前は……と考えていると、八束はその生徒の様子が何かおかしい事に気が付いた。
背を丸めて、胸を押さえているように見える。
──なんか苦しそうだ、と思った瞬間、その生徒がしゃがみこんだ。
八束は驚いて、思わず駆け寄る。
「ちょっと、大丈夫? 誰か呼んでこようか?」
その生徒は八束の顔をちらりと見るが、すぐに首を縦に振った。
「……大丈夫。よく、あるから」
そう言いながらも青い顔をして、生徒は立ち上がるとゆっくりと校門の方へ歩いていく。
その足取りは今にも倒れそうだ。
(大丈夫かよあれ……)
なんだか尋常じゃなかった。息も荒かったし、腹が痛いとかそういうレベルではないのはわかる。
(名前何て言ったっけ……見た事はあるんだけどなぁ)
思い出そうとするのだが、思い出せない。
線の細い、影の薄い男だ。八束はここまでほとんど面識がなかった生徒だ。近くで初めて顔をじっくり見て、その肌の青白さにびっくりした。
佐々木がいれば彼ならなら顔も広いし、誰かすぐわかったかもしれないのだが。
どうしよう、と八束は悩む。
すさまじく具合が悪そうな彼は、校門を出ていく。
本人にも「大丈夫」と言われた手前、こちらが大騒ぎしてもよくないだろうが、その様子が八束には心配だった。
「あ、電話……」
ともかく、遅れる事は長畑には電話しておかねばならない。
八束は自転車を押して歩きながら電話をかける。
数コールの後、長畑は出た。
『もしもし?』
電話の向こうから、聞きなじんだ声がする。慌てた手前、声を聞いて少し安堵した。
「あ、すみません八束です」
『うん。どうしたの?』
携帯電話なのに名乗ったからだろうか。長畑が少し笑った。
「ごめんなさい、学校の用事で少し遅れます。今学校出るところなんで」
『あぁ、それはいいよ。気を付けて来てね』
「はい、わかり──」
わかりました、と言いかけたところで、八束は言葉を止めた。
校門を出て、しばらく行ったところにあるバス停。
そこのベンチの上で、先ほどの男子生徒がぐったりしている。
八束は自転車を置き、慌てて駆け寄った。
ベンチに座ったその男子生徒は、脂汗を浮かべてぜいぜいといういうような荒い息を吐いている。
「……やっぱり大丈夫じゃないじゃないか!!」
『ちょっと、どうしたの?』
握りしめたままの携帯から長畑の声がする。
男子生徒は意識はあるようだが、苦しそうに時折咳き込む。
「先生呼んでくるよ、俺」
八束の焦った言葉に、その生徒は目を開いた。
「……学校は駄目だ」
「はぁ? 駄目って言ったって……」
「駄目。伝わって、親が大騒ぎする……」
「親?」
それよりも自分の体調だろうが、と八束は苛立つ。
こいつ、まさかこんな状態のままバスに乗って帰るとでも言うのだろうか。
「バス、来るのか?」
「……俺バスじゃない。……歩き」
そういうと、男子生徒は激しく咳き込んだ。
荒い息。ひゅうひゅうと鳴る喉。
「……喘息か何か?」
「そう。……薬飲んだから、じき治ま……」
そう言うと、その生徒は苦しそうに深い息を吐き出した。
『八束!』
握ったままの電話から漏れた長畑の声に、八束ははっとした。
電話は切れていなかったらしい。自分の挙動が不自然だったからだろう。
『何? 何かあったの?』
慌てて耳に当てると、長畑の声が苛立っている。
「ご、ごめんなさい、俺はなんともないんですけど……」
八束は答えながら、ベンチに座る同級生を見下ろした。
──どうしよう、と思う。
名前も思い出せないくらい付き合いがない、今日同じクラスになっただけの男子生徒。
彼はどこかに連絡している様子はない。
本気で発作が治まったら自力で帰るつもりなのだろう。──しかも徒歩で?
しかし学校には言うなと言うし、本人は平気だと言うが、こんな状態で話し込んでしまった以上、ほったらかしで帰るわけにもいかない気がした。
八束は喘息に詳しくもないが、軽い病気だとも思えなかった。
事実目の前のこの同級生はとても苦しそうだし、薬は飲んだとは言っているが、下手したら命に関わる場合だってあるはずだ。
自分はどうすればいい?
学校はすぐそこだし、教師に知らせるべきか。
救急車?
彼の言う「大丈夫」を信じていいのか?
「──長畑さん、助けてください!」
どうしたらいいのか、八束も若干パニックになっていたのだろう。
そう情けなく、電話に向かって叫んでしまった。