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バラ園と新たなる季節

02 ヘルプミー!


『ちょっと落ち着いて。……何があったの? 話してみて』
慌てるこちらの対応には慣れているのだろう。長畑の声は冷静だった。
──そうだ。
具合が悪いのはこの同級生で、しんどいのもこの同級生だ。自分ではない。こちらが一人であわあわしていてどうするのだ。
とにかく落ち着かなくては、と八束は深呼吸のように、息を吸って吐いた。
「……同じクラスの奴なんですけど、すごく具合が悪そうなんです。喘息らしくて」
『喘息?』
「はい。俺、喘息の発作とか見たの初めてだったから驚いて。今は少し落ち着いてきてるみたいなんですが、心配かけるから誰にも言いたくないみたいな事言ってて。どうしたらいいのかわからなくて……本人は平気って言うんですけど」
『今学校前にいるの?』
「はい」
八束がそう頷きながら答えると、長畑は少し黙った。
『今近場にいるから、ちょっと行こうか。車だから10分くらいで着くと思う。待ってて』
「え……」
八束が何か言う前に、電話は切れた。
──来るって?
思わず呆然としてしまう。
自分は、あの人を呼びつける様な真似をしてしまったわけか。
八束は携帯電話を握りしめるとため息を吐いて、その同級生の隣に座った。
(……近場にいたって……仕事中だったんだろうしな)
助けて下さい、なんて。
軽くパニックだったとはいえ、情けなく安易に助けを求めた自分が本当に──情けない。
あの人の仕事の邪魔にだけは、なりたくないと思っていたくせに。
「……用事あったんじゃないの?……その、バイトとか」
少し落ち着いてきた呼吸で、隣に座る同級生は八束に恐る恐る、といった様子で声をかけた。
ん、と八束がちらりと見ると、彼は気まずそうに視線を逸らす。
人見知りするほうなのだろうか。そう、あからさまに顔背けなくなっていいじゃないか、と思う。
「まぁそれはいい……ことはないんだけど、大丈夫。一応」
雇い主様に話はしているから、と苦笑いすれば、隣の同級生は少しだけ笑った。
(女の子みたいな奴)
八束は横目で、じっと隣に座る生徒を見る。
瞬きをするたびに動く長いまつ毛。色白。目元にある泣きぼくろ。
きっと長い髪の毛のかつらなんてのせてみたら、きっとよく似合うだろう。そんな顔をしている。
横目で見ていたら、ふいにその同級生はこちらを見た。
「もしかして、同じクラスだった……?」
「あぁ……うん。確か」
八束は曖昧に頷いた。互いに、見覚えはあるらしい。ただ名前を覚えるまでは至っていない、というところか。
地元からの生徒が大半を占めるこの学校で、小中学生から全く顔を見たことがない、という生徒も珍しいと思った。
たまに学区外から通ってくる生徒もいるので、彼はそうなのだろう、と八束は勝手に納得してみる。
「俺、八束っていうんだけど」
「……俺は霧島」
なんとなく、気まずい空気のまま、自己紹介を終える。
だがその後が続かなかった。
まだ冷たい春の風が吹き荒れる中、時折咳き込む隣の霧島を気遣いながら、八束は果てしなく長いと思える時間を過ごしていた。

「八束!」
時間はきっちり10分。
気まずい時を過ごしていると、バス停の近くに車が止まり、長畑が降りてきた。
作業着姿だという事は、やはり仕事中だったのだろう。申し訳ない気持ちになりながら、八束はベンチを立った。
「長畑さん……すみません!」
出会いがしらに思い切り頭を下げる。
「……なんで謝るの? それより、一緒にいる子大丈夫?」
八束の謝罪を全く意に介していない様子の長畑は、霧島の座るバス停のベンチに歩み寄る。
霧島はこちらを呆然と見つめていた。
いきなり現れたでかい男に驚いているのだろう。気持ちはよくわかるのだが、八束もどう説明すれば、という心境だった。
長畑はかまわず霧島に話かける。
「君、少しは落ち着いた?」
「あ、はい……」
霧島は恐る恐る頷きながらも、怪訝な顔で八束の方を見た。
「あー、えっとね、俺のバイト先の人なんだけど」
さっき話してた、と言えばあぁ、と少し納得がいったようだった。
「家の人とか、連絡はしてるの?」
そう長畑が問えば、霧島は首を横に振る。
それきり、霧島は黙り込んだ。
先ほど先生呼ぼうか、と言った時も「親に伝わるから」と彼は嫌がった。
何故そこまで体調不良を隠したいと思うのだろう?
「……じゃあ家まで送るよ」
「え」
長畑の言葉に、霧島が目を丸くした。
「まだ寒いし、ここで休んでても風邪ひいたりしたら余計に大変でしょ? 喘息悪化するだろうし、あまり動かない方が良い」
「あ……でも」
霧島は困ったような顔をする。
見知らぬ人間にそんな申し出をされても、確かに迷うだろう。
「住所さえ案内してくれればいいから。八束も乗って」
霧島は少し不安そうな顔で八束を見た。
八束は「この人大丈夫だから」という意味を込めて、頷いた。

霧島が告げた住所は、学校から歩いて20分程度の市街地だった。車であれば5分程度で済む場所だ。
意外に近くに住んでいた事を、八束は意外に思う。
助手席に乗った八束は、バックミラーで後部座席に乗る霧島の顔を見た。
顔色は多少良くなったようだが、元々白い顔色が、彼の虚弱そうな雰囲気を増している。
「あ……この辺りでいいです。家、あそこなんで」
霧島の指差した方向には、道路際に立つ大きな門構えの家があった。門の奥に庭が広がって、その奥に建っているのは伝統的な黒い瓦の、大きな日本建築の家屋。
(めっちゃ金持ちっぽそう……)
八束はそんな感想を抱く。
周囲もそこそこ裕福そうな戸建が並ぶが、そこの中でも抜きん出て家が大きい。
「じゃあ、ここで停めるね。気を付けて」
長畑が道路わきに車を停めたので、八束は持っていた霧島の鞄を後部座席にいる本人に渡す。
「お大事にな。しっかり休めよ」
「ありがとう……あの、本当に、ありがとうございました」
霧島は車を降りると、もう一度こちらへ向けてしっかりと頭を下げて歩いて行った。
その後ろ姿は、例の大きな門の中へと消えていく。
「……大丈夫そうでよかったね。彼」
「長畑さんほんとにごめんなさい!」
「え、何が?」
霧島の後姿を見送っていた長畑は、いきなりがばりと頭を下げた八束に面食らった様子だった。
「だって仕事中だったのに呼び出すような真似して使っちゃって、ごめんなさい!」
「いいよ、帰るところだったし。だって君の友達でしょう?」
「と、友達っていうか……今日同じクラスになったばっかりって言うか……」
「あ、そうなんだ。でも心配だったんでしょ? 君、優しいからなぁ」
「……」
八束は黙る。
確かに心配ではあったのだが、長畑を頼るのはちょっと違った気がした。
「君、前から思ってたけど」
黙る八束を見て、長畑が少し苦笑いを浮かべる。
「僕に対して気を遣いすぎ」
「……気を遣わないってのは無理ですよ」
だって、この人は大人だ。自分は高校生。
ちょっと先輩、どころじゃなく大人で、自分が尊敬する男で、どうしようもなく好きな相手だ。
嫌われたくないし、迷惑はかけたくなかった。
「あのね。好きな子が困ってたら、なんとかしてあげたいって思うでしょ?」
好きな子。
その言葉は嬉しいが、自分の情けなさは変わらない。
「でも俺は、長畑さんに何とかしてもらってばっかりで……」
「それはお互い様だからいいんだよ。僕だって助けてもらってるわけだから」
「……俺、何かできましたか?」
「たとえば……グラハムの事とかかな」
「え?」
意外な言葉に、八束は長畑の顔を見た。
長畑はこちらを見て、少し照れくさそうに笑っている。
「君が間に入ってくれなかったら、僕は多分、まだ意地を張ってたんだと思う。僕が折れなきゃいけなかったのに、できなかったから。あのままいってたら、互いにとって良くないってのはわかってたのに。……だから力を貸してくれた事は、とても感謝してる」
「……俺グラハムさんにあっちこっち引っ張りまわされてただけですけど」
「あれ、彼なりの可愛がり方だよ。気に入ってくれたみたいだからね、君の事」
長畑の手が、八束の頭をわしわしと撫でる。
顔が熱くなるのがわかった。

「好きだよ」
「っ……!」

耳元で低く囁かれて、飛び上がるかと思った。
「長畑さん、その、昼間から刺激強い……」
「そう? あ、君真っ赤」
「……いいから仕事しに戻りましょうよ!」
長畑の体を運転席に押し戻すと、彼は笑った。
「はいはい、君も働き者だね──あ」
長畑がふと、窓の外に目をやったので、八束もつられて外を見た。
見れば、先ほどの家からでてきた濃紺のスーツを着た男が、まっすぐこちらに小走りでやってくるのが見えた。
「あの、すみません!」
眼鏡をかけた知的な顔立ちの若い男は、運転席の傍へ駆け寄ると声をかけてきた。
「霧島礼の兄です。このたびは弟が、大変ご迷惑をおかけしまして」
あきらかに生真面目で気遣い屋──といった風貌の若い男は、模範的な角度でこちらに頭を下げる。
兄。
先ほど別れた霧島の顔を思い浮かべながら、結構歳の離れた兄がいるんだなと思った。
長畑が少し窓を開ける。
「礼ならば僕より、彼に行って下さい。具合悪くしていたところにずっと付いてたみたいなので」
「え」
なんで俺に振るんだと、八束は慌てた。
そもそもずっとじゃないし。そんなに長い時間でもなかったし、介抱なんてできてないし、どうしたらよいのかわからずおろおろしてただけで、帰るに帰れなかっただけで──。
「お友達、ですか?」
「え、あ、まぁ……」
霧島兄に申し訳なさそうな瞳で言われては、「今日同じクラスになっただけの関係です」なんて言えなかった。
「新学期早々迷惑をかけてしまってごめんなさい。できたら、これからも仲良くしてやってほしいんですが」
穏やかにほほ笑まれると、素直に頷くしかなかった。
「あの、このままではなんですので、是非お礼がしたいのですが」
霧島兄は、長畑に向けて頭を下げつつ言う。
え、と面食らったのは長畑だった。
「いや、結構ですよ。霧島君にお大事にとお伝え頂ければ。こちらも成り行きですし、この後仕事もありますので……」
「……そうですか、では」
そう言うと、霧島兄は上着から名刺を取り出し、長畑に差し出した。
「後日、ご都合のよろしいときにご連絡下さい」
「あ、ご丁寧に……すみません」
長畑は車から出ると、慌てて作業着の胸ポケットをさぐる。
彼も名刺を取り出し、渡した。
「でも、お礼だとかそういうのは、本当に結構ですよ」
「いえ。そういうわけにはいきませんから。……お引止めしてしまって、申し訳ありませんでした。よろしければこれを」
そう言って手渡してきたのは、高そうな箱入りの菓子だった。
「……」
なかなか「NO」 と言わせてくれない押しの強さに、若干長畑が引いているのがわかる。
というか、八束も若干引いている。
そのとき、携帯電話が鳴った。
霧島兄の物のようだ。
「あ、申し訳ありません、ちょっと……」
「いえ。それでは、こちらも失礼します」
互いに会釈をすると、霧島兄は慌ただしく家の方へ戻り始めた。忙しい男なのだな、と八束は思う。
長畑も車に乗り込むと、八束に「持ってて」と手渡された菓子の箱を渡す。箱はずっしりと重い。
中は焼き菓子の詰め合わせのようなのだが、明らかにデパートなどで買い求める様な品だった。
高そう、という庶民的な感想しか浮かばない。
霧島の兄。
知的で賢そうな細目の男だった。……押しは凄まじく強かったが。
ただ体調の悪い同級生を送って行っただけなのだが、ここまでされると少々困る。
「……って言うか、長畑さんも名刺持ってたんですね」
そちらの方が八束としては驚きだった。
「あー、うん。一応作ってたんだよね。あまり使う機会ないけど」
今日初めてまともに役立ちました、と長畑は貰った名刺を眺めている。
「お金持ちそうな家だなーと思ってたけど……」
「?」
八束がへ? と問うと、長畑が名刺を差し出してきた。
八束もそれを手に取ってみる。肩書を目で追っていて、思わず目を丸くした。
「……議員秘書?」
あまりに自分と馴染みのない職業だった。
「家もそれっぽいし、身内が議員なのかも。さっきの人は秘書兼政治家修行中って感じなんじゃないかな」
長畑が深い息を吐いた。
確かに、名刺を見ればそんな感じのような。押しの強さも、なんとなく納得してしまう。
霧島要。それが先ほどの霧島兄の名前らしい。
「よう……って読むんですかね、下の名前?」
「かなめ、じゃない? 知らないけど」
言いながら、長畑は車のエンジンをかけた。
「お礼とか別にいいから、ってあの子と会ったら言っておいてね」
「はい」
八束は頷いた。
体調が良ければ霧島は明日も学校に来るだろう。そのときちょっと話してみようか。
案外素直な性格のようだから、もしかしたら友達くらいにはなれるかもしれない。
(ただ、兄の方はちょっとめんどくさそうだなぁ……)
押しが強い性格の異国の男を知っているが、それとはまたタイプが違う。 生真面目で丁寧なぶん、余計に困ると言うか。 八束は動き出した車の中で、その名刺を見つめながらそんな事を考えてた。