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バラ園と新たなる季節

03 愛が重い


次の日の朝は、よく晴れていた。
八束が自転車を学校の駐輪場に置いて玄関に向かっていると、校門前に停められた車から降りてくる霧島の姿を見かけた。
昨日は凄まじく具合が悪そうだったが、今日朝から登校しているという事は、身体の方は大丈夫なのだろう。
八束は昨日のこともあったので、挨拶でもしてそれとなく話をしようかとも思ったのだが、駆け寄って声をかけるほど親しいわけでもない。
歩きながら彼の様子をうかがっていたのだが、霧島は運転席の人間と話をしているのか、なかなかこちらへ歩いてくる様子がなかった。
「どうした?」
そんな感じで歩いていると、後ろから聞きなれた声がした。
少し遅れてやってきた佐々木だった。
「あー、おはよ」
「あぁ……ってあれ、もしかして……」
こちらの挨拶に言葉を返しかけた佐々木は、ふと霧島の方を見て足を止めた。
「知ってんの?」
一応、昨日から同じクラスになったのだから、「知ってるのか」と問うのはおかしい気もしたが、八束は問う。
佐々木はうーん、と頭を捻るような顔をすると、玄関に向かって歩き始める。
「昨日教室で見たとき、なんとなく見た覚えがあったけど、どこで見たのかまで思い出せなかった。小学生のときに一緒のクラスだった事あるわ。名前、確か……」
「霧島」
「そう、それだ。八束よく覚えてるな」
俺一日そこらじゃクラスの人間の名前覚えられねーわ、と佐々木は笑う。
「……俺もそうだけど。昨日、あいつとはちょっと話す機会あったからさ。家がすごくでかくてびっくりした」
八束が素直な感想をもらせば、佐々木は「そうそう」と懐かしそうに言った。
「あいつの家、代々地元の議員ってやつだから。小学生のとき遊びに行った事あるけど、すっげぇの。中庭に池があって錦鯉うじゃうじゃいるし、長い廊下に赤絨毯が引いてあってさー。小学生なりに固まったもんね。……お前、あいつと知り合いだったの?」
「知り合いというか、昨日知り合った。昨日お前が俺裏切って帰った後、先生の手伝いして帰ろうとしたらあいつも残っててさ。喘息の発作起こしてたみたいで、俺たまたま長畑さんと電話してたところで。話したら来てくれたから、あいつの家まで一緒に送っていったの」
「へぇ……そりゃ大変だったんだな。そういやあいつ、喘息もちだった。それで転校したくらいだし」
「転校?」
意外な思いで、八束は佐々木の顔を見た。
佐々木とは小学生のときは学区が違ったので、そのころの付き合いというものを八束は全く知らない。
「小4の頃かな。あいつ体弱くて、結構休みがちだった。で、夏休み終わってみたら、もういなかった。どっかの空気のいいとこへ転校したって聞かされて、それっきり」
「空気の良いところって……この辺りも十分田舎だろ……」
「だから、もっと空気の良いところなんだろ。ここより田舎の学校なんてたくさんあるだろうし、親も金持ってるんだから、どこでも入れるだろうし」
でも帰ってきてたって知らなかったなぁ、と佐々木は呟いた。
「連絡くらいくれたら、俺だって手紙くらい書いてたのに」
「お前、絶対返事とか書かないタイプじゃないか……」
「あはは、まあねー」
佐々木はそう言って笑うが、この様子では子供の頃、それなりに仲の良い友人だったのだろう。
今ではすっかり疎遠、というやつらしいが。
八束も昨日の事があるので、もう一度彼には声をかけねばならないと思った。
そう思って振り返ると、車のドアを閉め、こちらに向き直った霧島と目が合った。
彼は、八束に向けて小さく会釈をする。
八束も連れらるように、小さく頭を下げた。
──クラスメイト同士の挨拶が会釈。
(なんか変な感じ……)
なんとなく、距離感の掴みにくい奴だなぁ、と八束は思った。
人見知りもするようだし、あまり馴れ馴れしく話しかけるのもよくないのかもしれない。

その日は教室移動が多く、バタバタとしていた。
ようやく落ち着いたのが昼休み。
昼食を終え、八束は教室内を見渡してみる。
昼休みが始まってすぐ霧島はいなくなってしまい、彼の席は誰か別の生徒が陣取っていた。
戻ってくる様子はない。
(……外で食ってんのか?)
窓から外を眺めてみれば、まだ風は少し冷たいながらも、雲一つない晴天が広がっている。
友人たちに「ちょっと出てくる」と断って、八束は教室を出た。

(おせっかい、かなこれ)
廊下を歩きながら、八束は少々悩む。
自分としては、彼の事が心配だった。昨日の今日で、元気そうではあるがなんとなく気になる。
しかし長畑も言った通り、あれは成り行きだったのだから、あまりこちらがしつこく気にかけるのも良くないのかもしれない。
向こうだって進んでこちらに話しかけてはこない以上、「面倒くさいやつ」と思われても嫌だ。
でも、あれから全く知らんふり、というのも自分の中で気持ち悪い。「お礼なんていいから」というのも、伝えなければならないし。
悩みながら廊下の窓の外を見る。
「……あ」
八束は足を止めた。
校舎裏の日陰を歩く霧島の姿を見つけたのだ。
(何もこんな肌寒い日に、あんなところで飯食わんでも)
校舎裏は今では使用されていない焼却炉と、大きな柳の木がいくつか植わっていて、夜はかなり不気味な場所だ。
昼間でも生徒の姿はほとんどない。
でもなんとなく、そんなところで一人飯を食う彼を「らしいな」と思ってしまった。
霧島は、どこか影のある男だ。
とにかく八束は彼に追いつくため、走って廊下を駆け抜けた。

柳の木が揺れる校舎の軒下で弁当を広げていた霧島は、こちらにやってくる八束の姿を見ると目を丸くした。
「……どうしたの?」
「いや、どうしたのはこっちっていうか」
座る霧島の目の前に立つ形になった八束は、言葉に困った。
「お前の事、気になってたから……いや別に、深い意味はなくて。体平気なのかなと思って」
うまく言葉にならない。
何言い訳みたいな事をしゃべっているのだ、と八束は少々焦ってきた。
いかん、落ち着け自分、と八束は自分に言い聞かせる。
(──長畑さんだっていつも言うじゃないか。君は少々落ち着けって)
気持ちを落ち着かせるように、息を吐く。
「俺が勝手に、気になって心配してただけ。元気になったなら、いいんだけど」
八束が少し苦笑いを浮かべると、霧島も少し笑った。
「……人が良いって言われない?」
「え」
霧島にそんな事を言われて、八束は少々戸惑う。
「……どうかな。わかんないけど」
隣、座ってもいい? と聞くと、霧島は荷物を避けてくれた。
「昨日はありがとう。……なんか気を遣わせちゃったみたいで、ごめん」
座ると、霧島はぼそりとそう言った。
「いや、そんなことは。こっちこそ、お前のお兄さんに菓子まで貰って二人で恐縮してたよ。あ、お兄さんに伝えてほしいんだけど、お礼とかいいからって」
八束がそう言えば、霧島は箸を止めてこちらを見た。
「すごく押しが強かったでしょ」
「あー……はい」
素直に頷けば、霧島は申し訳なさそうに苦々しい笑顔を浮かべた。
「ごめん。あの人も悪気はないんだけど、仕事始めてからずっとああだから」
「議員秘書の仕事?」
「……知ってるの?」
「名刺貰った。お礼したいから、あとで都合のいいときに連絡くれって、長畑さんに」
八束の言葉に、霧島は額を押さえる。
「……ごめん。逆に迷惑だったよね」
「いや、そういうわけじゃ。ただ俺も長畑さんもあんまりああいうの慣れてないって言うか……」
あはは、と笑うと、霧島は黙って食べ終えた弁当箱を片付け始めた。
あまり多弁ではなさそうな霧島の横顔を見て、八束は少々悩みながらも問う。
「あのさ、おせっかいかもしれないんだけど」
霧島が「なに?」とこちらを見た。
「昨日言ってた事。お前が具合悪いの、俺が学校に伝えようかって言ったらお前親に伝わるって嫌がっただろ?……あれ、なんで?」
そこが少し気になって、話をしてみたかったというのもある。
何故あんなときに、そんな事を言ったのだろう?
「……八束は、さ」
霧島の目が、八束をじっと見た。
「親に放っておかれるのと、過剰に心配されるの、どっちがいい?」
「え」
突然の質問に、八束は言葉に詰まる。
「……どっちも困るけど」
八束は頭を捻る。
放っておかれっぱなし、というのもどうかと思うが、過剰に心配されるのも少々重荷かもしれない。自分の母親が割と放任なのに慣れているだけに。
「俺の家さ」
霧島は小さくため息を吐いた。
「親が心配しすぎるんだ。なんていうのか、愛が重い」
「……愛、ですか?」
思わず敬語になった八束の言葉に、霧島は「愛です」頷いた。
なんとなく八束に警戒を解いたのか、霧島はぽつぽつと自分の事を話してくれた。
今はそうでもないが、幼いころは喘息がひどく、何度も緊急入院したこと。
末っ子でもあった彼はその為ひどく溺愛され、風邪を引いても転んでも、生きるか死ぬかのような大騒ぎされるようになったこと。
少しでも健康になるために、と小学生のときに親類がいる田舎の小学校へ無理やり転校させられた事。
「転校したの、本当になにもないところでさ……見渡す限りの山と田んぼ、みたいな」
「それ、逆に大丈夫だったのか? 急な発作とか……」
「大きい病院は一応あったからね。元々は呼吸器関係の、療養所みたいなとこだったらしいけど。でもそれが嫌だったってわけじゃないんだ。心配してくれていたのは、わかっているし」
確かに、彼の喘息はそれから少し改善したらしい。
彼はその後、中学までをその地域で過ごし、高校生になってこの地に帰ってきた。
最近はほとんど発作を起こすことはなく過ごし、昨日のが本当に何年ぶりの喘息発作だった、という。
「もう大丈夫だって帰ってきた手前、発作起きましたなんて言ったら親がどれだけ大慌てするかと思ったら、伝えたくなくて。また田舎で暮らしなさい! なんて言われたら困る」
「なんかよくわからんけど、大変なんだなお前の家も……」
人の家にはそれぞれ何かしらあるのだなぁ、と八束は思った。
「でも、俺が意地はったからお前らに迷惑かけちゃったし。……あんな意地、張るべきじゃなかった。悪かったなって思ってる。ごめん」
素直に謝られると、八束も困ってしまう。
結局、あのとき家から彼の兄が飛び出してきたという事は、彼の喘息発作は家族に知れているのだろう。
大騒ぎ、されたのだろうか?
「だから今日、車だった?」
「そう。しばらく送迎付き」
「へ、へぇ……」
いいのか悪いのか。しかし彼はあまり送迎してもらいたくないようだった。
八束が言葉に困っていると、昼休みが終わるチャイムが鳴る。
「あ、休み終わっちゃうな。悪い、長々と」
「いえ、こちらこそ」
互いに頭をぺこりと下げる図は、まだ友人とは言い難い。
立ち上がった八束は、カバンを持ち立ち上がろうとする霧島を見下ろした。
──なにも、こんな柳の木の下の幽霊が出そうな場所で、一人弁当を食わんでも。
そう思うと、またおせっかいとは思ったが、八束は声をかけてしまった。
「なぁ。……明日から、俺らと弁当食わね?」
「え?」
意外そうな顔で、霧島はこちらを見た。
「いや、なんつーか……」
群れたくないタイプだったらどうしよう、と思い、八束は頭を掻く。
「だって、一人で食うのさびしいだろ? 雨の日どうするんだよ。あ、俺の友達の佐々木、元お前の同級生だって言ってたから……」
仲良くできると思うし。そう八束が言いながら困っていると、霧島はおかしそうに笑った。
「なんだよ」
「いや。お前、やっぱ良い奴なんだなって思って」
「……そうか?」
立ち上がると八束より少々背の高い霧島を眺めながら、八束は眉を寄せた。
女顔の同級生は、こちらをにこにこと微笑みながら見下ろしている。
……なぜだろう。少し面白がられているような気がする。
「行こうか。次美術だから移動あるし」
「あ、うん」
八束は歩き出した霧島の後を追う。
なんとなく打ち解けてくれたらしい雰囲気は漂う。
これはそろそろ友達、と言ってもいいのだろうか?
彼は悪い奴ではないようだし、新学期早々新しい友人ができそうだという事は良い事だろう。

ただ新しい出会いは、時として波乱も招くという事に、八束はまだ気づいていなかった。