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バラ園と新たなる季節

10 小型の忠犬


いっちょいってみましょうか、なんて言われても困る。
八束はその封書を持ったまま、じわじわと後ずさりを開始した。
「君だって気になってるくせに」と言われたが、それは間違っていない。
自分だって、この手紙の中身には興味がある。
「赤いバラとかコテコテ過ぎるだろ」とか、「何思わせぶりに手紙なんて仕込んでるんだよ」とか、「俺のあの人に何してくれてんだよ」とか、思う事はたくさんある。
長畑はおそらく、花束の内側に挟まれていたこの手紙の存在にはまだ気付いていない。多分「高いもの貰っちゃったなぁ」くらしか思っていないのだ。
(あの人ほんとに鈍い……!)
思わず歯をぎりぎり噛みしめたくなるが、今はそこに腹を立てている場合ではない。
いろいろ思うが、これを貰ったのは彼だ。
自分が勝手に見ていいものじゃないだろう。人間の良心的な意味で。
「……やっぱ駄目です。こういうのはまず、本人が見ないと」
首をぶんぶん横に振りながら八束が言うと、グラハムは「ふーん」と若干不機嫌そうに椅子に腰かけたまま腕を組んだ。
「あくまで判断はあの子に任すって事? じゃあ、君はもし誰かから『あの人に渡してー』って、熱烈なラブレターとか押し付けられても、素直にあの子に渡すの? あの子に判断してもらうの?」
う、と八束は言葉に困る。
そんな状況は嫌だ。嫌だが……。
「それは、自分で渡せって言いますよ」
「あのさぁ、そこは『俺のもんだふざけんなボケが』くらい言ってみせなさいよ」
「いや、そんな宣言もちょっと……」
と言いかけた瞬間、伸びてきた腕に手紙を引ったくられた。
「だっ……!」
駄目です、と慌てて取り返そうとするが、立ち上がった長身の男が頭上に掲げた手紙に──情けないが、手が届かない。
「……」
八束は今度こそ、ぎりぎりと歯を噛みしめた。
己の背の低さが……憎い。
「君は良い子なんだけどねー。私は悪い大人なので」
グラハムはにんまりと、悪い笑顔を浮かべた。
「中、見ちゃいます」
「だーかーらー!」
跳ねながら取り返そうとする八束をひょいひょいとかわしながら、グラハムはさわやかな笑みを浮かべる。
「あはは、君はとってもいじめがいがあるなぁ」
「んな事言われても嬉しくないし大人げないですよ!」
「大人げないとか耳にタコができるほどいろんな人から言われてますー」
「じゃあ直しましょうよそこは!」
返して、と狭い部屋の中グラハムを追いかけるのだが、この男は案外すばしっこい。
「何とでも言いたまえ。……あ」
封筒から中身を取り出したグラハムが、何かに気付いたように呟く。
「な……なんですか?」
何と書いてあるのか、八束はグラハムの反応にびくびくしながらも固まる。
緊張の中じっと見ていると、グラハムが困ったような視線をこちらに向けてきた。
「……奪ったはいいんだけど、私漢字交じり読めなかったわ。ごめん」
(誰かこの人殴れよ……!)
八束はがっくり床に手を付く。床に額を打ち付けたい気分だ。唯一対抗できそうな人間が、外出中である事が憎らしい。
「でも開けちゃったしなー。八束君、通訳通訳」
グラハムが白い紙を差し出してきた。白い二つ折りのカードである。読め、という事らしい。
「後で怒られたら、連帯責任ですからね」
じと目で、八束はグラハムを見上げる。
「うん。二人で怒られようね。まぁ私は怒られ慣れてるしー」
「本気で怒られたらめっちゃ凹む癖に……」
ぶつぶつと呟きながら、八束は白いカードを受け取った。
盗み見をするようで少々心が痛むのだが、こうなっては仕方ない、と腹をくくった。
文章は短い。
霧島兄の字なのだろうか。手書きだった。習字でも習っていたんだろうなと思うような、整った字だった。
八束は額に皺を寄せながら、それを読み上げる事にする。

「えっと……お世話になっております。同じバラが見つかるかもしれないと、母親も大変喜んでおります。このバラは本来別件で用意したものですが、予定がなくなってしまったものです。失礼かとは思いますが、花を愛する方に渡った方がこのバラも幸せでしょうし、個人的にこのバラの赤は貴方に大変お似合いだと思っております。部屋にでも飾って頂ければ幸いです……」

八束の、読む手が軽く震えた。
お礼文と言えばそうかもしれない、が。
「すげー事をさらっと……」
「うーん微妙ー。なんか煮え切らないなぁ。普通のお礼状っぽい?」
予想ではもう少し熱烈なものを想像していたらしいグラハムには、期待外れだったらしい。
「つまんなーい」」と興味を失ったように、椅子に座る。
手紙を読み終わった八束は、カードをたたんで封筒に入れた。
「とりあえず俺、仕事してくるんでこれ置いておいて下さい……」
「どうしたの? テンションの下がり具合が半端ないけど」
「だって……『このバラは貴方にお似合いです』とか……やっぱめっちゃその気なんだなって……」
「そうかなぁ? こんなのラブレターのうちにも入らんでしょ。君もさぁ、この程度の事で一喜一憂してちゃ駄目だよ」
「そういうものですか……?」
外国人のこの男と、感性と言うのは異なる気がする。
ラブレターなんて縁もなく、書いた事もないのだが、そんなものなのだろうか。
そう思いながら振り向くと、椅子に腰かけたグラハムがにんまり、毒気のない顔で笑っていた。
「君、さっき言ってたでしょ? もし誰かがあの子を好きだって言っても、判断はあの子に任すって。それってあの子を信頼しているからでしょう? 任せるなら、あまりグダグダ言うのもかっこ悪いよ? 任せるなら、黙ってお任せする」
「……」
グラハムの言葉に、八束は黙り込んだ。
確かにそうだと思った。
相手の気持ちをなんとなく察しながら、自分は静観を決め込んでいる。……今のところは。
長畑の事は信頼している。
自分たちは大丈夫だ、と昨日思った。
それなのに、自分は周囲の感情にやはり振り回されて、ぎゃあぎゃあ喚く。
確かに、かっこ悪いとは思う。でも、平然としていられるほど、余裕もない。
「相手知ってるんでしょ? いっそ俺のもんって言っちゃえばいいのに。言えないの?」
「……言えないわけじゃないです。言えるなら言いたい」
八束は深い息を吐き出す。そして、まっすぐグラハムを見上げた。
「俺のものだって言えるなら、そう言ってますよ。でもそんな事、安易に言えないじゃないですか。あの人の立場もあるし、ここ田舎なんで、変な噂はあっと言う間に広がります。ここに、いられなくなるかもしれない。そんなのは絶対に避けたいんですよ。だから、俺はあの人の事好きだけど、あの人も好きだって言ってくれて嬉しいけど……そこはわきまえなきゃって思うし」

自身の保身の為でもあるのだろう? と言われればそうなのだろう。
家族には言い出せないし、このことを知っているのはごく一部の友人だけだ。

「俺馬鹿だしガキだから、下手に動いてあの人に迷惑かけたくない。だから少々の事は我慢しなきゃいけない。ぐだぐだしてるのは、俺が悪いんですよ。あの人は裏切らないってわかってるのに、振り回されてる自分が悪いんです」
まっすぐ、八束はグラハムに向けて言った。
これは、自分が責任をとらなければいけない話なのだと思っている。
自分が「好きだ」なんて言い出さなければ、好きにさえならなければ、そんなリスクを長畑に背負わせる事はなかったのだ。
もっと釣り合うような人間との出会いだって、いくらでもあったはずだった。
自分を好きだと言ってもらえて嬉しい。一緒にいれて、幸せだと思う。
でもこうなった以上、自分はできる範囲であの男を守りたいと思った。
できる事なんて限られているだろうが、最低限は。
そんな八束を、グラハムはじっと見ている。
頬杖をつきながらぽつりと「……チュウケン」と呟いた。
「中堅?」
「あ、違う。忠犬、かな。普段はご主人さまーって尻尾ちぎれそうなくらいであの子にまとわりついてるのに、ちゃんとあの子を守ろうとするんだなって。小型犬のくせに」
「……」
その微妙な例えに、八束は頭をかかえた。
褒めているのだろうか? 馬鹿にされている気もするが。
「まぁ、でも君が矢面に立ちすぎるのも、あの子心配するからやめてね。八つ当たりが私に全部来るから」
「だから心配かけたくないんだって言ってるじゃないですか」
「君がうだうだしててあんまりあの子に相談しないから、永智も心配してるのわからないの? 君が気を遣う以上に、あの子も君に気を遣ってんだけど。付き合ってる人間にあそこまで優しいあの子、初めて見てるわ私」
「……え」
確か以前言っていた。
付き合った人間はそういない。自分を好いてくれるのは変わり者だけだ、と。
「もー付き合う人間男も女もくずばっかり。どこでこんなの拾ってくるのって感じだったよ。で、久々に会ったら君でしょう? また変わったところいったなぁって思ってたら、想像以上に健全なお付き合いで私驚きました」
「ど、どんなのと付き合ってたんですかあの人……」
「それはちょっと教育上良くないのでやめとくー。聞きたいならあの子から直接聞きなさいね」
グラハムはにっこり笑って、八束の頭をわしわし撫でた。

「……あんまり悪い事教えるんじゃないよ?」

そのとき、背後から突然聞こえた声に、二人して驚いた。
振り向くと、部屋の入り口に長畑が立っている。買い物にでも行って来ていたのか、両手に白いビニール袋を持っている。
「ちょっと永智さーん、気配無さすぎ。ただいまくらい言いなさいよ」
「……ただいま」
グラハムの小言に付け足すように言うと、長畑は台所のテーブルの上に、重量のあるものが入ったビニール袋を置いた。
近くのホームセンターの袋だった。中には大きな縦長の、ガラスの器のようなものが入っている。
「花瓶ですか?」
「そう。さすがにバケツじゃ失礼かなと思ったから」
八束の問いに、長畑はにっこり笑って答えた。
「あともう一つ。君も座って」
「え?」
「いいから。別に叱るわけじゃないんだし」
そう長畑に言われて、八束も戸惑いながら椅子に座る。
叱るわけじゃないんだし、とは言うが。
(……いや、でも仕事してなかったしな……俺怒られるのかな……)
しかも人の手紙まで見てしまった。
非はこちらにあり過ぎる。
内心びくびくしていると、テーブルの上に白い箱が置かれた。
「……なんですかこれ」
「いいから開けて」
促されるように言われたので、八束は恐る恐る、箱を開けた。中身はなんだか柔らかそうな物のような気がする。
「あ」
ぱかりと蓋を開けて出てきたのは、フルーツがこれでもかと乗ったホールケーキだった。
「……?」
何故にケーキ?と 長畑を見る。
長畑は八束の反応を見て、意外そうな顔をしていた。
「……もしかして忘れてた? 君の誕生日なんだけど、今日」
「え」
言われて、慌てて壁にあるカレンダーを見た。4月12日。
──確かに、今日は自分の誕生日だ。
「そ、そうだった……!」
なんだかいろいろ忙しくて、忘れていた。
新学期始まって早々の誕生日なんて、そもそも同級生には忘れられがちで、家族以外に祝ってもらった経験と言うのがあまりない。
家庭も金欠なので、ホールケーキなんてまともに見たのは久しぶりだ。
「……そんな事だろうと思ってたよ。ごめんね、リクエスト聞く暇がなくて」
「そんな事ないですよ! っていうかホールでとか有難すぎる……」
「もちろん全部食べろとは言わないよ。良かったら家に持って帰って。奈々子ちゃんにも分けてあげてね。あ、なら切ってあるやついろいろ買って来ればよかったね。そこまで頭回らなかった」
八束はぶんぶん首を横に振った。
──嬉しい。
自分でさえすっかり忘れていたのに、この人が覚えていてくれて、かつ家族のぶんまで気を遣ってくれた事が。
「……永智ひどい。八束君の誕生日って教えてくれなかったし。これ買いに行くって聞いてたならついて行ったのに。プレゼントとかいろいろ選びたかったのに……!」
グラハムが何故か拗ねた視線で長畑を見ている。
「……あのね。僕でさえ高校生が何欲しいのかわからないのに、僕より年上の君がそういうのわかるわけないじゃない」
「君よりはセンスいいって思うもん! 八束君良かったねぇ。私がいるうちに何か買いに行こうね。何でも欲しがるがいいよ。今こそ社長の本気を見せる時」
「君はいいから先に仕事どうにかしなさいね……」
八束を撫で繰り回すグラハムを横目で見ながら、長畑は静かに呟いた。
「あの、長畑さん。覚えててくれて、ありがとうございます」
八束はグラハムに捕獲されたまま、ぺこりと頭を下げる。
「いいんだよ。忘れるわけないじゃない。……おめでとう」
長畑は静かにほほ笑む。
嬉しいとかを越えた何かだった。
余所の男とか進路だとか友人だとか、この恋愛そのものに関してだとか、いろいろ悩むところはある。
でも今は、この「大事にされている」という感覚に浸っていたかった。
八束はテーブルに置かれた、白い封筒を見る。
勝手に見てしまった事は謝らないといけないだろう。もう少しだけこの幸せの余韻を味わったら、自分の考えている事を含めて、正直にいろいろ話してみようと思った。
この男は、自分の話を馬鹿にして、聞いてくれないような男ではない。