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バラ園と新たなる季節

11 本当は殴りたい


──ひとまず、謝罪はしなくては。
貰ったケーキを箱にしまい、冷蔵庫に入れた八束は、テーブルの隅に置かれていた白い封筒を長畑に差し出した。
「……あの。霧島のお兄さんがくれた花束の中に、手紙が入ってたんですけど」
「手紙?」
中までよく見ていなかったらしく、手紙の存在に本当に気づいていなかった様子の長畑は、八束が差し出した手紙を見て首を傾げた。
「お礼状みたいです。……勝手に読んで、ごめんなさい」
「開けちゃったのは私なんだけどね。封してなかったものだから、つい。ごめんよ」
グラハムも素直に謝った。
つい、とは言うが、この男は最初から見る気満々だった。
この手紙を巡って八束はグラハムと、いい年こいて狭い部屋の中をどったんばったんやるはめになったわけだが……今更説明するのも面倒なので、そこは省く事にする。
長畑は手紙を受け取ると、中を確認した。
「……あぁ、いいよ。あの人もまめな人だよね。貰ってばっかりだし何かお返ししないと……あの人、何が好きとか、知ってる?」
「え。さ、さぁ……」
問われて、八束は言葉を濁した。少々付き合いはあるが、好みまでは知らない。
「弟の方に聞いてみます」
そう言いながら、八束は霧島弟の顔を思い浮かべた。多分彼は、「そんなの兄貴が勝手にやってるんだから気にしなくていいよ」とか言うのだろう。
あの兄弟は仲は悪くないのだろうが、少々温度差がある。
「うん、ごめんね。じゃあ僕は部屋で調べものしてるから、何かあったら呼んで」
八束の言葉に頷いて席を立つと、長畑は台所を出て行った。
出たり入ったり、忙しそうだ。
(……なんか今いろいろ言うの、悪いな)
八束は長畑が今出て行った開き戸を見つめながら、軽くため息をついた。
──自分が思っている事を言ってみようか。
そう決心はしてみたのだが、考えてみれば……考えなくとも、今は時期的に忙しい。
眠っていた植物が目を覚ます春。
八束も新学期になって微妙に環境が変わり、あれこれ考える事が多くて慌ただしいのに、長畑だって忙しくないわけがない。

──君は僕に気を遣いすぎ。

以前車内でそう言われた言葉が、八束の脳裏に浮かぶ。
(……気は遣うよ)
考えてみたが、やっぱり気を遣わない、というのは自分には無理だと八束は思った。
嫌われたくない。負担になりたくない。いつも結局彼に頼ってしまうが、そういう自分からも卒業したい。
(いつも俺に合わせてくれてるし)
だから。
言いたい事は確かにあって、相談もしたいのだが、忙しいときにそんな事を言うのも、悪い。
長畑はそういうときでも聞いてくれるのだろうが、そんなの申し訳ない。
だが彼は、八束がうだうだと悩んでいることくらい、見透かしている。
ただ八束が言わないから、深く聞こうとしないだけだ。
自主性を重んじるという事なのか、ただ余計な事には口を出したくないというだけなのかはわからない。
(無理にでも聞き出してほしいって思うのは……ただの甘えか)
八束はテーブルの上の、ガラスの花瓶に生けられたバラに視線をやる。
どこまでが「気を遣いすぎ」で、どこからが「甘えすぎ」になるのか、未だによくわからない。
しかもその「言いたい事」が大したことではなくて、己の嫉妬だとか不安になってるとかその程度だという事が、八束としても情けないのだ。

「言いたい事あるならさっさと言って来れば? 私、邪魔しないからさ」

少々気の重さを感じながら立ち上がると、グラハムがノートパソコンの画面に視線を合わせたまま、八束に声をかけてきた。
「私が居るのが邪魔だって言うなら、そのへん散歩してくるけど?」
「……いえ」
そういうわけじゃ、と八束は顔をしかめる。
どうしてこんなときに、この男もらしくない事を言い出すのだろう。それほど今の自分は物言いたげな顔をしているのか、と八束は自分に呆れた。
「そんな気遣いはしなくていいですよ。俺も仕事してきますし……グラハムさんは」
八束の中途半端な呼びかけに、グラハムがこちらを見た。
「俺が、長畑さんの近くうろうろしてて、イライラしたりしなかったですか?」
「したよ? 最初はね」
あまりにもあっさりと言われて、八束としてはどう言葉を返したらいいのかわからなくなる。
この男も、長畑の事は好きだった。自分と少々形は異なるとしても。
罪悪感にも似た、複雑な気持ちになる。だがグラハムは機嫌よく笑っていた。
「でもね、直接喧嘩売るには君は若すぎてさぁ。子供いじめて泣かせるなんて、私のポリシーに反するわけよ」
「……まぁあなた子供好きみたいですからね」
八束は渋い顔をしつつ答えた。
子供子供というが、あのときだって言うほど子供でもなかったはずだった。40代も後半の男から見れば、10代なんていくつだろうとお子様なのかもしれないが。
「子供は確かに好きだよ。予想外の答えを出してきて面白いからねぇ。それは置いておいて……でも、いろいろ考えてるうちに、君ならいいかなと思えた。私も君の事は好ましいと思うしね。少なくとも、君なら私より長くあの子の傍にいてくれる計算になるし」
「計算?」
意味が分からずグラハムに問うと、彼は少しだけ、意味深げな表情を浮かべた。
「順番の話。普通に考えたら、年齢的にも私は永智より早く死ぬでしょう? 君はパートナーとしては随分若いけど、そのぶんあの子を一人にはしないだろうなと思って。長い目で見ればね」
「……そんな話」
八束は眉を寄せて、グラハムを睨んだ。
「あの人の前でしたら、俺ぶん殴りますよ」
八束がそう言えば、グラハムは能天気に「あははー」と笑い声を漏らす。
「君に殴られるのはショックだろうなぁ。まぁ永智も嫌な顔するだろうし、もちろん言いませんよ。だからこれは、私と君だけの秘密のお話ね」 にっこりと、グラハムは腕を組んでこちらを見る。
「……」
何故こんな重い話を、笑顔でできるのか。
八束はこの男の事が、相変わらずよくわからないと思った。
「まぁ、そんな難しい事は今はいいんだけど、慣れなきゃだよ、君は」
「慣れる……?」
「人は綺麗なものが好きだからねぇ。中身が難物だろうが、ほいほい寄ってくる……今回みたいに。君、どうするの? あの子といる以上、こういうのってよくあると思うんだけど。毎回毎回大騒ぎして心配してたら君、パンクするよ?」
グラハムはテーブルの上のバラを、つん、と指で突いた。
「それは……そうなんでしょうけど」
八束は言葉を濁しつつ考えた。想像するだけで嫌だが、そうなのだろう。
もしかしたら、八束が知らなかっただけで、彼に言い寄った人間と言うのはこの1年の間にもいたのかもしれない。
思うだけでイラっとした。
(……だとしたら何で言ってくれなかった?)
そう不満の感情が生まれたが、これは妄想だ。あり得たかもしれない、という仮定の話なのに。
(無理)
八束は内心、頭を抱える。妄想でイライラできる自分に、慣れる事などできるはずがない。心が狭すぎる。
八束が脳内でそんな妄想を繰り広げ、頭を抱えたり唸ったり、顔面百面相祭りを開催していたからだろうか。
グラハムが少々あきれた様子でこちらを見ている。
「君が考えてる事が手に取るようにわかるのが嫌だわー……そんなだから、何かあっても言わないんじゃない? あの子、内々に対処すると思うよ。君がわめくの、わかってるし」
「わ、わめくとか……!」
さすがにしない、と言いかけたが、どうだろうかと八束は途中で言葉を止めた。
今回、八束は霧島兄の「好意」を、察しただけではっきりと聞いたわけではない。
もしそんな話、直接聞くか見るかしていたら。
──わめいていたかも、しれない。
(俺、やりかねん……)
八束はがっくりと肩を落とした。そんな八束の姿を見て、グラハムが密かに「……おもしろい」とにやにや呟いたのが聞こえた。
こちらは面白くもなんともない。
傍観者は見ているだけだから面白いのだ。
八束は歯を噛みしめる。
慣れるしかないのか。あきらかに自分と釣り合わないような人間に手を出したのだから、こういう事は仕方ない、と諦めるしかないというのか。
こんな気持ちになるのも嫉妬で苦しむのも、初めてだ。 この目の前の英国人が現れたときも、ここまで強い嫉妬は抱かなかったというのに。
「……グラハムさんはどうしてたんですか? そういう光景、ずっと見てたんでしょう?」
八束がそう問えば、グラハムは意外そうな顔をしてこちらを見る。
「私? まぁ一応。でも私があの子とつるんでた頃は、あの子まだ子供だったから、君の参考にはならないと思うけど」
「でも変態殴り飛ばしたりしてたんでしょう? ちゃんと守ってたんだなって……」
そう言うと、グラハムが眉を寄せた。
「……誰に聞いたのそれ。って永智しかいないか。あの子が言ったわけ?」
黙って頷くと、はーっとグラハムが呆れる様なため息をもらした。
「言っとくけど、私、普段はそこまで野蛮な人間じゃないからね。あれは仕方なく。悪意しかないど変態に、あの子の人生傷つけられたらたまらないでしょうが。……再犯考えられない程度には潰したけど」
「つぶし……」
ぼそり、と呟かれた最後の小さな一言が、物騒だった。
何を? と言いかけて八束は止める。
本能的になんだか、聞かない方が良い気がした。
「じゃあ、あの人が大人になってからは?」
「うーん……」
グラハムは腕を組む。
「大人になってからは、私はあまり関与してないし。親でもないのに、『おかしなのと一緒にいるな』とか、あまり言えないでしょう? 言いたかったけどさ。私の立場なんてそんなもんだよ。君に愚痴っても仕方ないけど」
とにかく歯がゆかったなぁと、グラハムは昔の事を思い出すような表情で言った。
好き放題、言いたい放題の男だとは思っていたが、微妙な立場なりに遠慮している部分もあったのだなと、八束は初めて思った。

──この男は、見守るような愛情を長畑に向けている。

年季の入った思いの前に、八束は毎度「敵わない」と思わされる。
長畑がグラハムに当たりがきついのは、そういったものに照れがあるからなのかもしれない、とも思う。彼にとって、この男はなんだかんだで誰とも比べられないような大事な人間なのだ。
二人の特殊な関係に、八束は踏み込めない。
踏み込もうとは思わないくらい、そこには彼らしかわからないものがある。
グラハムから見て、ぽっと出のよくわからない己の存在など、淘汰されてもおかしくなかったのだ、と八束は思う。
しかしこの男は許してくれた。
情けなくどうしようもない事を相談する事も、だ。
答えの出ない事で立ち止まっていても仕方ないと思った。
これ以上この男の前で、情けない姿をさらしたくない。
「あの。ぐだぐだ言うのは終わりにしたいんですが、最後に懺悔がありまして」
「ほう。……内容によるけど、どうぞ?」
グラハムに促され、八束は息を吸った。
今回うだうだしている原因は己の嫉妬と心が狭い事が原因なのだが、それ以外にも問題がいくつかあった。
進路の事や……友人についてだ。
「……俺、この前友達に好きって言われました」
正しくは「好き、かも」だったが。
霧島はそう言った後すぐに言葉を濁し、それ以降はこの話題に触れていない。
きちんと言葉を返さなかったことに悪い事をしたような、だが触れないでいた方がいいような……別に彼とは普通に話せるのだが、なんとなくたまに思い出して、少し困っていたりする。
「あー……」
グラハムも少し、返答に困ったような顔をした。
「うやむやになってて、結局それっきりなんですが。……誰にもこんな事言えなくて」
別にそれが嫌だとか、そういうわけではなかった。
本当にどうしていいのかわからない。それだけなのだ。
「あのさ、悪い事言わないから、あの子にはそれ、黙っておきなさいね。結構嫉妬深いところあるからなぁ……」
「想像したらなんか寒くなってきちゃった」とグラハムは呟く。
想像したら、とはその話が長畑に伝わったときの事だろう。
考えて、八束も黙って頷く。
先ほど八束は妄想の中で、『もし長畑がこの一年の間に誰かに好意を伝えられていたとしたら』と考えて「なぜ言ってくれなかったのだ」と勝手に憤慨していた。
……だが、考えてみれば自分も似たような事実を長畑に言っていないのである。
反応がわからないのが怖い。
「へぇ」で終わるのか、どうなのか。
もし機嫌を損ねでもしたら、こちらは死活問題だ。今のぐだぐだの比ではない。
だからこんな事誰にも、長畑にも相談できなかった。
霧島の為にも、己の心の中にとどめておけばよかったのだろうが、いっぱいいっぱいの自分にはそれもできなかった。
新しくできた友人は大人しいが良い奴なだけに、内心非情に複雑だったのだ。
「さっきの話は俺が墓まで持って行きますから、これも言わないで下さい。自分でなんとかしますんで」
「……了解。男同士の約束ね」
ここに友情が生まれたのかどうかはわからないが、今更、硬い握手を交わした。
そしてたくさんある仕事を早く手伝うべく、八束も慌ただしく庭へと出た。


外に出ると、春と言うのは様々なものが目覚める季節なのだな、と実感させられる。
庭のバラ達も、次々と艶やかな新芽を付けている。つい数か月前までは葉も落ちて殺風景だったのに、今は日に日にたくさんの葉をつけて、新しい枝が伸びていく。
……だが同時に雑草達も目を覚ましているので、草を抜いたり忙しい。
庭の掃除や梱包から始めた仕事も、いつのまにか簡単な苗の世話や在庫管理までやるようになった。
1年経って振り返ってみると、できる事も知っているバラの品種も増えた。
前よりは少し役に立てている、と思えば、少し嬉しくもなる。

──お前も庭師になるの?

庭先の草をぶちぶち抜いていたとき、霧島の言葉がふと、脳内に再生された。
「……どうかなぁ」
苦笑しながらそう、独り言で返してみる。
わからない。決めてない。
いっそこのまま、ここへ就職してしまおうか。そう考えない事もなかった。
だが長畑と自分を比べてみたとき、八束は彼と比べて植物への愛情も志も足りないと思う。
そこまで彼におんぶにだっこという状況は、どうなのだ。
確かにこの仕事は嫌いではないし、手伝ううちにいろいろ知りたい、とは思うようにはなったのだが、それは自分が見つけた夢中になれるもの、とも違う気がする。
──自分が独り立ちできるもの。
(あるのか? そんなの……)
そう悩むが、これはいずれは決めねばならないものだ。しかもあまり時間がない。選択肢も多くない。
恋愛とか友達とか進路とか。
悩みはどれか一つにしれくれればいい、と八束は思う。複合的なものなど、どこから答えを出せばよいのだ。

「こんにちは」

そう思った時だった。背後から声をかけられる。
聞き覚えのある声に振り向いた八束は、驚いた。
そこに立っていたのは、霧島の兄だった。
思わず「うぇっ」とかおかしな声が出かけたのを、必死に押さえる。
「……こんにちは。どうしたんですか?」
慌てて立ち上がると、「ごめんなさい突然」と霧島兄は申し訳なさそうに笑った。
「例の、探してもらってるバラ。花を写した写真があったので、持ってきたんです。渡しておいて頂けますか?」
彼は白い封筒を差し出した。
恐らく長畑も「写真があれば見せてください」などと言っていたのだろう。
差し出されたのは、先ほどのお礼状の封筒と同じものだった。
「渡しておきます。……長畑さんもいるので、呼んできますけど?」
「いえ、お話したいのは山々なんですが、この後僕も用事があって」
渡していただけるだけで結構です、と霧島兄は苦笑いを浮かべた。
この男も、忙しそうだ。
「それでは」と戻りかけて、ふと思い出したように霧島兄はこちらを向いた。
「……あの人、バラは飾って頂けたでしょうか?」
バラ。
きっと、貰って来たあのバラの花束だろう。
「飾ってますよ、台所に」
──最初は花瓶がなくてポリバケツに突っ込まれていたが。
飾っている、という八束の言葉に、霧島兄はわずかに安堵のような表情を浮かべた。
「なら良かったです。あったものを勢いで渡してしまったので、変に思われていないかと思って。やらかしたかなと思いました」
「いや、大丈夫だと思います。あの人、あまり気にしてないみたいだし……」
(この人もそんな事不安に思うんだなぁ……)
八束はそう思った。
ぐいぐい気にせず、押して行ける人だと思っていたからだ。この男も自分と同じ人の子か、と思うと少し親近感がわく。
「そういえば、お礼しないとって言ってました。何が好きか知りたいって言ってたんで、よければ教えてください」
そう言えば、霧島兄は目に見えて戸惑ったようだった。「いえいえ」と慌てて胸の前で手を振る。
「いいんですよそんな。こちらも無理言って押し付けてしまったようなものですから。気にしないでくれとお伝えください」
「え、でもすっごい高いバラだって言っ……」
そう言いかけて、八束は言葉を慌てて止めた。
金額の高い安いでしか物の価値を見れない安っぽい自分、というのが恥ずかしいと思ったからだが、そんな八束を見て、霧島兄は穏やかに苦笑を浮かべた。
「いいんですよ。これは僕の自己満足ですから。君と違って、僕はこれくらいしか、自分をアピールできる方法というのがないんです」
その言葉に、八束は目を見開いた。
目の前の、知性的な若者は穏やかだった。
穏やかなまま瞳のまま、告げた。
「君は、あの方に特別な感情を持っているのでしょう? それをどう、とは言いません。多分僕も、君と同じ気持ちでしょうから」
八束は、無言で目の前に立つ若者を見上げた。
その言葉のどこにも、からかいだとか冗談とか、そういったものはないように思った。
世間話の延長のような雰囲気だった。
「……多分、ってなんですか」
「まだはっきりとは分からない、という事です。認めたくないと言う気持ちも若干あるのかもしれません」
認めたくない、とは長畑を、男を好きになったという事をだろうか。
まだ冷たい風が、山から庭を吹き抜ける。
──君と同じ。
八束は、その言葉の意味を噛みしめた。
この男が長畑に好意を持った、というのを、八束は雰囲気で察した。
だがこの男も、自分と付き合ううちにこちらの感情を察した、という事なのだろうか。自分がわかったのだから、この男もそれを感じ取っていたって不思議ではない。だが──。
(……俺だだ漏れかよ)
情けなさに笑いが出そうだった。
悔しい。
だが、目の前のこの男は、八束を脅すわけでもなく淡々と、己の気持ちを正直に告げる。
「以前、君に言いましたね。僕は、恋愛は追いかける方が好きだと。余裕ぶった事を言いました。でも本当は出会ってから、どうしたら交友を持てるだろう、とそればかり考えている。中学生の恋愛みたいで、恥ずかしい事ですが」
「……別に普通ですよ」
己の感覚では、と八束は心の中で付け加えた。
愛想なく言ったからだろか。霧島兄は、少しおかしそうに笑った。
「やはり君は、あの人の一番近いところにいるんですね。昨日の夜、駅前で一緒にいるところを見かけました。プライベートでも付き合いがあるのだなと思って」
「……」
八束は黙って、極力平静を装いながら目の前の男を見上げる。
見られていたとは気付かなかった。だが弁解しなければいけないような、やましい事は何もない。
──それにしても、この男とは、街中で良く会う。
その事実に少々げんなりしただけだ。
「……それが、何か?」
「別に何も。ただ君でなければ、もっと遠慮なくいけるのに、と思ったりしました。八束君の事は嫌いではないです。弟にも良くしてくれますし、個人的にもお話しやすい。だからこんな事を言うと、嫌われるでしょうし嫌なのですが、冗談で言っているわけではない事だけは、わかって頂きたい」
霧島兄は、ためらいもなく言った。
「君には正直に言っておきます。僕も、あの方が好きです」