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バラ園と新たなる季節

12 性癖の不一致


(だから、なんでそれを俺に言う)
わかっていた答えなのだが、なんとなく感じていたものと、真正面から切り出されたものでは、衝撃の度合いは違う。
八束は困惑しつつも、霧島兄の方へ身体を向けた。
目の前に立つのは、二十代も後半の、頭も賢く金もあって将来も有望そうな、自分とは全く違う生き物だ。
長畑はバラのお礼に、この男が「何が好きか」聞いておいてと八束に言ったわけだが、まさか「貴方が好きだそうですよ」なんてこちらの口から言うわけにもいかない。
……言いたくもないし、言ってやる義理もないのだ。
「俺に言っても進展しませんよ。そういうのは、本人に言うべきだ」
「人の敷地に勝手に入り込もうとしてるんですから、最低限の挨拶はいるでしょう?」
「人の……」
霧島兄の言葉に、八束はうんざりしたような顔になる。
この男は、八束が長畑とかなり近い関係であるとは感づいている。だからこの宣言らしいが、ある意味律儀な男だなとも思った。嫌だし、こんな挨拶はいらないと思うのだが。
どうするべきか、と身構えてみたが、目の前の男はそれを理由にこちらを脅したりだとか、そういった意図はないように感じる。
別に今どうこうするつもりはないが、ただ自分の気持ちを黙ってもいられなかった──という様子だった。
しかしそれでも、「言いたい事も言えずにぐるぐるしている自分よりはよっぽど潔い」と八束は思う。
守りに入ってしまった自分が失った勢いだ。
(……ばれてるなら、ここで熱くなってもな)
八束はため息をついた。
向こうは腹の内を明かしている。
ライバル宣言かと思えば嫌な気持ちになるが、ここでこちらがはぐらかせば、それはなんだか逃げているようで嫌だ。
向こうが何を言おうが思おうが勝手だが、「なぜそうなった?」というのが気になるのも、事実だった。

「……二つ、聞くんですけど」

八束が二本、ピースをするような形で指を伸ばして言うと、霧島兄は意外そうな顔する。
「こういうときって、『一つ聞きたい』って言いません?」
「二つです。いいですか?」
「どうぞ?」
八束の真面目な問いに、霧島兄は苦笑いを浮かべてそう言った。
「なんで俺が、あの人と一番近いって思いました? 昨日は確かに会いましたが、飯食っただけです。遊ぶには歳が離れてますけど、俺は雇い主と仲が良くて、かわいがってもらっているだけかもしれない。普通、そこまでぶっとんだ飛躍しないでしょう」
昨日駅前で一緒にいるところを見たとは言っていたが、それだけで思い込めれば大したものだ。
こちらは、あまり周囲におおっぴらにばれる様な事をした覚えはない。
何が原因でそう気づかせてしまったのか、それが聞きたかった。
そう問えば、霧島兄はずれた眼鏡を指で押し上げて、少し感心するような顔で言った。
「君、慌てるんじゃないかと思ったんですけど、案外冷静に聞いてきますね。君とあれこれ議論するのは、意外に楽しいかもしれない」
「……いや、それは絶対嫌ですけどね?」
「冗談です。そうですねぇ……僕もそこまでまだ、あの人と話しこんだわけでもないんですけど」
目の前のスーツの若者は、少し考えるように顎に手を当てた。
「あの人、ちょっと人に対して壁があると言うか。人当たりは良いんですけど、人見知りが激しいのかな。そういう感じがします」
「……」
男の言葉に、八束は驚いた。
──よく見ている。
ある程度親しくならないと、人見知りしている事さえあの男は気づかせないのに。
八束の顔を一瞬見て、霧島兄は言葉を続ける。
「……ただその中で、君と接してるときはちょっと違うなと思って。柔らかい、というのかな。眼差しが。だから、似てないとは思ってましたけど、兄弟かと聞いたんですよ。歳も離れているようだし、最初は身内かと思って」
「兄弟か」と問われたのは数日前の事だ。
あまりにも突拍子がなくて八束も一瞬沈黙したのだが、この男にしてみれば、それは適当に言ったわけでもなく、きちんと理由があったらしい。
「あと、君はあの人の事を、きらきらした目で見過ぎです。どう見ても好意です。わかっちゃいますよ」
「……」
霧島兄の付け加える様な一言に、八束は無言で頭を抱えた。
だだ漏れな事ほど、恥ずかしいものもない。
「……それだけで?」
「あとはまぁ勘、ですけど。否定しない辺り、そう思って正解だったんですよね?」
「……」
なんとも答え難く、八束が目を逸らすと、霧島兄は穏やかに笑った。
「別に悪いとは言いませんよ。僕も、自分が好きだからといって『君に諦めてくれ』なんて言いに来たわけではないんですから。……質問、あと一つあるんでしょう?」
「……」
八束は目の前の若者を、睨むように見上げた。
もう一つの、聞きたかったこと。どちらかと言えば、こちらの方が聞きたかったことだ。
「あなたはあの人の何を見て、好きになったのかなって」
「……うーん」
質問に、霧島兄も少し考えるように唸る。
「どストライクだった、じゃ駄目ですか?」
「ど……」
小首をかしげるようにして出てきた発言が、仕草に似合わず直球過ぎて、八束はむせて咳き込んだ。
「出会った時から、気にはなっていたんです。綺麗な人、賢そうな人……そして、とてもプライドが高そうな人。僕などはなかなか近くに寄る事も難しいでしょう。心を開いてもらうこともきっと難しい。でもだからこそ、追いかけがいがありそうだと思いました。この人が警戒心を解くと、どのような姿を見せるのだろう。プライドも何もかも剥き切ってしまったとき、あの人には何が残るのだろう。それに……」
そう言いかけて、霧島兄はふと何かに気付いたように口元に手を当てた。
「今わかりました。僕の、その根底にあるのは征服欲かもしれないですね。綺麗で優れたものに対する」
「……自己分析して今気づかないで下さいよ。もういいです、そういう変態発言は」
「自分ではもう少しノーマルなつもりでいたんですけど」
「いや、ホントにもう、お腹いっぱいなんで」
八束は遠慮するように、両手を男に向けて突き出す。

(ノーマルなつもり……ってどういう事だよ)

霧島兄が口にしたのは「征服欲」という言葉だ。あまり良いものではない。
──つまり今この男が長畑に向けている思考は、ノーマルではないと。
そう言う事か、と八束は納得した。
……考えたくはないが、この男が長畑をどう見ているのか、大体わかった。
そうとわかれば、湧いてくるのは敵意である。
「霧島さんって、意外にエロいって言われませんか」
「エロくない男なんていません。君だってそういう欲求くらいあるでしょう?」
「え? あ、まぁ……」
嫌味のつもりで言ったのに、けろりとさも当たり前のような顔で逆に問われて、八束は言葉に詰まる。しどろもどろになる自分が情けないとは思うが、そんな話題を昼間っからぶちかませるのもどうか、と思うのだ。
(さらっと吹っ飛んだこと言うなよ……)
八束は、目の前の見た目はひたすらに誠実そうで賢そうな若者を、少しあきれた目で見上げた。
こんな事に嫌悪感を感じる自分が変なのか。もう少しオブラートに包め……とか考えるこちらがおかしいのか、八束はよくわからなくなってくる。
八束だって、長畑に触りたい欲求、というのはある。
だがこの男ほど「どうしたい」とかは考えたことがあまりない。
精々、髪が柔らかそうなので触ってみたいとか、その程度の事だった。
「そういう」雰囲気になった事は過去にあった。だが八束が今は嫌だと言ったので、それっきりだ。
たまにキスくらいはするが、それは挨拶みたいなものになっていて、それ以上の意味は持たない。

(あ……そうか)

ふと、八束は以前の、一度だけ迫られたときの事を思い出した。
長畑の事は背中にしがみつきたいくらい好きなのだが、一線を越えるというのが怖くて、あのときはそこまで腹をくくる事ができなかった。

(俺が嫌だって言ったから、あの人ずっと)

──求めてこないのだ。
あのときは必至だったので、それからの事なんて考えていなかった。
好きだ好きだと喚く癖に、相手に応えもせず勝手にストレスをため込み、言いたい事も言えずイライラして……。

(わがままだよな俺)

八束はうなだれて歯を噛みしめる。
あれは嫌これは嫌、でも実際に行動はできない。
自分が下手に動かない事は彼を守る事だとは思っているが、心のどこかで保身もあるのだとはわかっている。
周囲にばれるのは怖い。
普通ではない関係であることは、わかっているのだ。
後戻りができなくなる前に、やめた方がいいという感情は心のどこかに常にある。
でもそれはできない。それよりも、ずっと好きだと言う気持ちの方が大きい。自分から手を放すなんて、絶対にできない。
できないから、こんなに無様な事になっている。
そう思うと、感情を抑えられなかった。自然に口が開く。

「……あなたが、あの人の事をどれだけ好きでも」

八束は拳を握る。
争いは嫌いだ。誰かとの関係を、望んで波風立てたいなんて思わない。自分が少々我慢して、周囲が円滑に回るのなら、それでいいとも思う。
だがこの状況で、八束は自分の気持ちに嘘はつけなかった。
この目の前の、こちらの庭に踏み込もうとする部外者に一声、吠えなければ気が済まなかった。

「あなたが入る隙間なんて絶対にないです」

はっきりと吠えたかったのに、出てきた声は震えていて、威嚇にもならなかった。
だが霧島兄は、八束の口から出てきた言葉には驚いたらしい。少しだけ、目を丸くしている。
「……なるほど。君も結構、自信家だ」
「自信家なら、もっと大きい事言ってますよ」
「十分大きいですよ。……?」
言いかけた霧島兄の視線が、何かに気付いたように動く。
「ごめんなさい、ちょっと長居しすぎましたね。主役がいらっしゃった」
目の前の男は、八束の背後に向けて小さく会釈をした。
何かと思った瞬間、背後に人の気配を感じた。八束が振り返るより前に、何かに強く腕を掴まれ、後ろに引っ張られる。
「っ……!」
驚いた八束は一瞬バランスを崩すが、傾いた体は何か大きいものにぶつかって倒れなかった。
ぶつかったものは、誰かの体。自分の腕を強く掴んだのは、見覚えのある大きな手。
その主を見上げた八束は、驚いて声を上げた。
「……長畑さん」
部屋にいたはずの長畑が、何故かこんな庭先にいるのか。身体も大きいくせに、相変わらず気配もなく後ろに立つ男だ。
びっくりした表情で見上げる八束に、長畑は静かに微笑んだ。

「……すみません。うちの子が、何か?」

にっこりと、それは見事な営業スマイルで、長畑は霧島兄に言う。だが八束の手は後ろ手に掴んだままだ。
(……なんか知らんけど、やばい)
八束は背筋が冷たくなるのを感じる。
長畑の笑顔は穏やかなものなのだが、手首を握る力がぎりぎりと、なんだかとても強い。
だが痛いとも言えず、八束は固まっていた。
(なんでだ)
恐る恐る、長畑の整った横顔を見上げる。長畑の視線はまっすぐ、目の前の霧島兄に注がれていた。
──敵意。
ふと、そんな言葉が浮かぶ。
一瞬客と喧嘩をしたから、自分が叱られているのかと思ったが、長畑は八束を見る事はなく、だが手は離さず、静かに霧島兄と対峙している。
どこか硬質の笑顔を向けられているというのに、霧島兄もそれを穏やかな微笑で受け止めていた。
むしろ長畑の棘の部分を見れたことを楽しんでいる様子でもある。
こちらが怒られているわけでもないのに、八束は怖くてたまらない。なのに霧島兄はどこか嬉しそうだ。
根本的に、この男とは同じ「どストライク」の対象であっても、求めるものは違うのだと思った。
霧島兄は、この気の強い男を組み伏せたい、ねじ伏せたいと思っている。
それが精神的になのか肉体的になのかは知らないが、人の好さと知的な素顔の裏で、そんな性癖を持っているのだ。
「……八束君は何も悪くありません。写真を渡しに来て、つい長話をしてしまいました。ごめんなさい、お忙しいのに」
霧島兄もにこり、と笑顔を返す。
表情だけ見れば、笑顔の当たり障りのない大人の社交辞令が続く。
だが辺りの空気はどんどん冷え込んでくる。
そんな雰囲気の中で、霧島兄は八束の方を見て笑いかけた。
「八束君もお仕事中にごめんなさいね。また、遊びに来てくれると嬉しいです。弟も喜びますから」
「……え、あ……はい」
急に話を振られて、八束は慌てて首を縦に振った。
八束の返事に満足したのか、こちらに一礼すると背を向け、霧島兄は庭の外へ消えて行った。
車で来ていたのだろう。下の道路を走り出した車の音は、どんどん小さくなり、やがて聞こえなくなった。

辺りに、静寂が戻る。

「……長畑さん」
八束は控え目に名を呼ぶ。霧島兄が去っても、長畑は八束の腕を離してくれなかった。
いい加減、血が止まりそうだ。
「長畑さん、痛い」
何度目かの八束の抗議で、はっとした表情を見せた長畑は、ようやく八束の手を放した。
「ごめん」
そう言いながらこちらを見た目は、いつもの穏やかな彼のものだった。
猛烈な敵意、というのは消えている。
「……君、あの人と何かあった?」
少し心配するような表情で、長畑は八束の方を見た。
「別に喧嘩してたとかじゃないんですけど……長畑さんこそなんで外に?」
確か中で調べものをしている、と言っていたはずなのだが。
そう怪訝な顔をして問えば、長畑は少し重い息を吐きだした。
「グラハムがね。君が『知らない男にいじめられてるよ』って言いに来たから」
「い……いじめ……られてはなかったんですけど……」
八束の顔が引きつる。グラハムがいつ外の様子に気付いたのかは知らないが、それで長畑に声をかけたのだろう。
「だから来たんだけど、相手霧島さんだし。でも近くに来てみたら、君なんだか怒ってるし。君はあまり自分から喧嘩ふっかけるタイプじゃないから、何か言われたのかと思った。違うの?」
「……」
確かに言われはしたが、それは別にこちらを罵倒されたわけでもなんでもない。
あの男が長畑を好きだ、という事だけははっきり宣言されたが、喧嘩を売られたわけでも挑発もされたわけでもない。
むしろ「あんたの入る余地なんかないから」的な事を言った自分の方が、喧嘩を売ったような気がする。
しばらく考えた後、八束はぽつりと呟く。

「……その。性癖の不一致でちょっと」
「……はい?」

その一点が強烈で、八束は時系列も説明することも無視してそう呟いてしまったのだが、長畑は当然理解できなかったらしい。
聞き返してきた顔は、今まで見てきた中で一番「この子の言ってる事がわかんない」という表情をしていた。