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他人の庭

(番外編)他人の庭


待合場所は、駅から少し離れたところにある小さなファミレスだった。
約束の時間は、午後三時。
佐々木は珍しく早めに来て待っていたのだが、約束の時間になっても彼女はやってこない。
普段は、待ち合わせの時間に遅れるタイプでもない。五分前には来るような人間だ。
気になった佐々木がちょうどメールを送ろうとしたときに、そのメールは届いた。

──人身事故があったみたいなので、電車が止まってる。遅れます。

「……さいですか」
小さな声でつぶやいて、軽く息をつく。

土曜日の午後。
今日は一緒に勉強をしよう、と約束をしていた。
彼女は、県外の国立大学合格を目指す受験生だ。
佐々木は、美容師の専門学校に行きたいと思っている。
ただ同じ美容師の父親に、専門学校進学を反対されており、しぶしぶ出された進学条件が途方もない学力アップ、だった。
父親は別に佐々木の美容師という夢を反対しているわけではなく「学校なんて行かずに、どこかの店に入って下積みからやって上がってこい」という考え方なだけだ。
どちらが結果的に良いのかわからないが、佐々木はそれでも学校に行きたいと思っている。
彼女にもそれをぼやいたところ、「じゃあ、ときどき一緒に勉強しようか」と言われた。
その彼女も一時は、受験に対して自分を追い込むあまりノイローゼ気味になり、ふらふらしているこちらに噛みついて「別れて」とまで言ってきたりしたが、仲直りしてからは程よく、うまいことやっていると佐々木は思っている。
彼女がそうなったのは、真面目さゆえだ。
それからは無理に「会いたい」と言って相手を困らせたりだとか、そういう事は控えるようにした。
たまにこうして顔を合わせ、互いに黙々と自分の勉強をする。
向こうに多少余裕がありそうであれば、わからないところを質問したりする。
彼女は機嫌が良ければ、丁寧に教えてくれた。
これをデートと呼べるのかどうかはわからないが、佐々木は「随分と健全なお付き合いだし、学生のときしかできないし、いいんじゃないの?」と気に入っている。
以前の遊んでばかりの「お付き合い」とはまるで逆だ。
今の彼女と付き合うようになって、佐々木の思考と生活は少々変わった。
良い影響を受けているのかもしれない。だが逆に、こちらは良い影響を与えられているのかどうか。
それを考えると、情けなくなるので、いつも考えるのを止めてしまう。
考えるまでもなく、あきらかに向こうの方がしっかりした人間だからだ。
(……あー、雨まで降り始めたよ)
佐々木は窓際の席から、外を眺めつつ思った。
今日は朝から薄曇りであったが、昼過ぎから空はどんどん黒くなってきていた。湿っぽい風が吹いていたので雨が降るだろうとは思っていたが、降り出したのはバケツをひっくり返したような豪雨だ。
人身事故に、豪雨。
これは、復旧が遅れるのではないだろうか。
突然降り出した雨に、外を行き交う通行人たちが、慌てて店の軒下で雨宿りを始める。
道路に面した窓の向こうが人で埋まるのを煩わしく思いながら、「まぁ気長に待ちながら待ちましょうか」と参考書を開こうとしたところで、佐々木はふと窓の向こうに、どこかで見たことがあるような人間がいるのに気付いた。
「……」
ちょうどその人物が、自分の席の窓の前を通り過ぎようとしたところで、佐々木は考えるより先に、窓ガラスをこつんと叩いていた。
その仕草に気付いたのか、窓の向こうの人物が足を止め、こちらを見る。
背の高い男だ。
彼もこちらが誰か気付いたらしく、「あ」という顔をした。
それに片手をあげ、応える。
だが佐々木は、呼び止めた事を今更後悔していた。
窓の外にいるのは、何度か会った事のある男だ。
だがこちらからまともに話をした覚えなんて、全くない。
佐々木が思わず呼び止めてしまったのは、自分の一番親しい友人の、恋人というか相方というか、そんな「男」だった。
反応から見て、あの男は一応自分の存在を覚えていてくれたのだろう。忘れられていなかった事には安堵した。
佐々木はちょいちょい、とその男に向かって手招きをする。
自分は今、一人。
向こうにも、連れはいない様子。
突然呼び止めたこちらの姿は、相手にはおかしく見えるかもしれない。
だが佐々木は、この男と二人きりで話してみたい、と思った。


「いきなり窓叩かれたから、ちょっとびくっとしたよ」
目の前の席に座るその男は、「びくっとした」とは言うが、そんな様子もなく気を悪くした様子もなく、穏やかに笑っていた。
買い物に来ていて、雨に降られたらしい。
少し肩と、髪が濡れていた。
注文を取りに来たウェイトレスにコーヒーを頼んで、その男は佐々木の方に、再度視線を向ける。
(水も滴る、良い男って奴ですな)
佐々木もじっと、観察するようにその男を見る。
初めて会った時から気になったのは、その目の色だ。
色素の薄い茶色をしていて、髪も眉も、その瞳と同じ色をしている。目鼻のあたりの雰囲気は「外国人」という言葉を思い起こさせた。
ハーフか何からしく、一応本当に外国の血も混じっているらしい。
そして、町のへんぴなところにある薔薇園の主。
佐々木の知っているこの男の情報など、それくらいのものだ。
親友である八束は、この男を「長畑さん」と呼び、非常に慕っている。

「なんか、お久しぶりですね」
この男をこんな間近で見たのは、かなり前の事だ。だから思わず無遠慮に、じろじろと見てしまっていた。
「年末に一度、会ったよね。あれ以来かな」
長畑はそう言うと、コーヒーを運んできたウェイトレスに会釈をした。
確かに、人の良さそうな男ではある。
綺麗だし頭が良いし、良い人なのだと八束も言う。というか、耳にタコができるほどそう聞かされていた。
まぁそうなのだろう、と佐々木も目の前の男を見つめる。
どこかおかしな人間であれば、八束があそこまで慕わないだろうと思ったからだ。
八束も非常に素直で人の良い反面、人間観察はよくしている。
(ただねぇ……)
八束には言えないが、数えるほどしか顔を合わせていないというのに、佐々木はこの男が少々苦手だと感じていた。
隙というものが、まるで見当たらないからだ。
この男の容姿というのは、佐々木から見ても、すれ違っただけで視線をそちらに向けてしまうような整い方をしている。
現にこの男が店に入って来たとき、周囲が若干静まった。
前も見たような地味な作業着姿だというのに、こういった人間というのはいるのだなぁ、と思わされる。
それにとっつきにくさを感じている、というのもあった。
「よく、僕が外にいたって気付いたね」
「長畑さんって、目立つから」
「え」
「……あ、えっと」
開口一番に失礼過ぎると思い、佐々木は慌てて言葉を濁した。
「いや、背も高いし、大勢の中に混じっててもすぐわかるなぁ、みたいな……」
言いながらどんどん墓穴を掘っている気がしてきた。だが長畑は、特に気分を害した様子もない。
「あぁ。そうみたい。僕外人顔だからねぇ。さっきも外で、英語で話しかけられてしまって」
戸惑った、と長畑は苦笑しながら、運ばれてきたコーヒーを飲む。
「……」
「そこじゃねぇ」とは言えなかった。
苦手だと思うのは、見た目だけではない。
この、のらりくらりとしたところだ。
良く言えば常に笑顔で、優しげな雰囲気を放っている。
だが怒っているのか本当に笑っているのか、よくわからない。長く付き合えばわかるのかもしれないが、立ち話程度しかした事がない佐々木には、それがわからないのだ。
(時々目が笑ってないからなーこの人……)
佐々木がじっと、長畑を見ていたからだろうか。
彼もなんとなく、佐々木に呼ばれた意味を考え始めたらしい。
「……そんなに観察されると、緊張する」
にんまりと唇で、長畑は笑った。まるで緊張なんてしていない様子だったが。
「何か、話でもあった?」
「話って言うか、ただ見かけたから呼び止めた──だけなんですけど、聞いてみたい事は確かにあります。八束に聞けないような事とか」
「あぁ、成程」
そう言うと、長畑も失礼でない程度に、佐々木をじっと見た。
彼にとっても、佐々木は「八束の親しい友人」以上の何者でもないのだろう。
何度か言葉は交わしたが、その程度だ。
「……失礼だったらすみません。ただ誤解してほしくないんですけど、これは俺がわからないから聞きたいだけで、別に八束が何か言ってたわけじゃないって事です。できれば、あいつにはオフレコでお願いします」
多分、自分がこの男にこんな口をきいていると知れたら、八束は怒るだろう。
言い訳のように言えば、目の前の男は目を細めた。
「別にそれはいいし、怒りはしないよ。君を怒らせたら、怒られるのは僕だろうし」
「……あいつ、長畑さんに説教かましたりするんですか?」
「たまにね」
にっこり、長畑は笑う。
「……なんか、想像できないですけどね」
生意気、と自覚のあるこちらとは違い、あの友人は年上をたてる。
そもそもどんな会話をしているのか、それすらも佐々木にはわからない。
知りたいような、知りたくないような気持ちだった。
佐々木の頼んだアイスティーの氷が、かしゃんと音をたてて崩れる。
「……髪、染めたりとかしてないんですよね、それ」
「あぁ、うん。染めた事はない。黒くしようかなと思った事あるけど、似合わないからって止められたよ」
「あー、それは俺も思いますね。今くらいの色、好きです。俺も卒業したら、それくらいに明るくしたい」
「そう言えば君、家が美容院だって言ってたね」
「はい。八束から聞きました?」
「うん」
自分の事まで、いろいろ話しているのだな、と佐々木は思った。
それが嫌だというわけではない。
ただ考えてもわからないのは、何故、八束はこんな男に惹かれたりしたのだろう、という事だった。
八束はそれまで、色恋の話題にのってくるような人間でもなかった。男同士の、下ネタ満載の会話の中にいたりはしたが、「はいはい」と聞いている事の方が多かった。
それがある日、突然好きな人がいる、と言い出した。
「はよ言え」とおだてる佐々木に、八束は「年上の美人だ」と言い難そうに告げた。
佐々木としては、それが非常に面白くもあったし、嬉しかったのだ。
勉強も人並に真面目にやり、遊びもするがバイトばかりで付き合いはあまり良くない。
目立たないが性格は良いので、男の友人はそれなりにいる。
そんな親友が、いきなりそういったものに目覚めた。
できる限り応援してやろうと思ったのだが、八束はそれ以降の情報をあまり佐々木にくれなかっ
──うまくいっていないのか。
下手に騒いで、うまくいきかけたものが駄目になってしまっても悪い。
そう考えて、佐々木は気になる心を抑え込み、沈黙を守っていた。
だが随分と月日が流れて、佐々木はこの目の前の男と会うことになる。
年上の美人。
それは確かに間違ってはいないのだろうが、「まさか」と思った。
だが、八束の表情は違った。
同い年の友人たちとじゃれるそれでもなく、佐々木も見たことがない、誰かをまっすぐに慕うものだった。 それを見て、八束がこの男を「好き」と言うのは、嘘でも冗談でもないと知ったのだ。
(……否定はしない)
佐々木は、そういうスタンスを貫いている。
誰かを好き、という気持ちがこちらもわからないでもなかったし、下手に何かを言ったところで八束はむきになっただろう。
反対はしない。何も言わない。
佐々木は、そう決めた。
八束もこの事は言いにくそうにしていたし、後ろめたいものは多少感じていたのだろう。
だから、この事は誰にも言わないと決めた。

──好きにすればいい。でも、早く目が覚めればいい。

佐々木は内心、そう思っていた。
だが友人の目が覚めるなんて事はなく、八束はときどき疲れたような悩んでいるような顔を見せつつも、付き合いというのは続いている。
佐々木は一度「あいつをお願いします」と、長畑に頭を下げた事がある。
だからといって、この男に好印象を持っていたかと言えば、そうでもないのだ。

(大人なら、断りゃ良かったんだ)

この人が断ってさえくれれば、八束もああはならなかった。
(付き合ったところで、この先なんて、ないわけだし)
明るい未来なんて全くない。佐々木にはそうとしか思えない。
この男が本当に賢く、八束を大事に想ってくれるなら、いくら八束が好きだと言ったところで、断るべきだった。
──それが大人の、正しい子供の導きからだろう。
そんな佐々木の思いは、いつの間にか視線に乗って、長畑に届いていたらしい。

「……そんなに敵意を込められると、僕もどうすればいいのかわからないんだけど」

長畑はそう言いながらも、佐々木の視線を静かに受け止めている。
多少不機嫌そうな仕草でもしてくれれば、何かいじりようがあるのにと佐々木は思った。だがこの男は腹が立つほど、穏やかな表情を崩さない。舐められているような気分になる。
「……長畑さんって、どんな感じで怒るんですか?」
佐々木の疑問の声に、長畑は首を傾げた。
「俺がこうやって半分喧嘩売ってるのに、平然としてるから」
「怒られる意味がわからないから、怒り様もないよね。場合による。まぁ大体検討はつくけど。君は、気に入らないんでしょう?」
微笑を浮かべて、長畑は佐々木に言葉を投げかけた。
「君は、僕が八束といる事が気に入らない。そういうことでしょう?……友達思いなんだね」
「あなたの、そういう余裕のあるところも、気に入らないですけど」
「そう?」
「……すみません、文句ばっかりで。でもあなたは何かふわふわしている感じがして、つかみどころがないし、わからない。だから不安しかないんですよ。一度ちゃんと腹割って話してみたかった、それだけです」
「ふぅん……わからないってのは、よく言われるけど」
長畑は、高校生に生意気を言われていると言うのに、逆に納得したような顔をした。
気が短く結論を急ぐこちらとは対照的な人間なのだ、と佐々木は思った。
「でもわからないのは、当たり前の事だよ。僕と君は、ほとんど話したことがない。僕も君の事は、彼から聞く程度にしか知らないから」
「……俺の事は、あいつなんて言ってます?」
「世渡り上手の、よくモテる奴だって。でもすごく良い奴だとも言ってた。それは、ちょっとわかったかな」
「……」
感心したように笑う長畑を見て、佐々木は複雑な心境になった。
一回りも年下の学生にいきなりこんな憤りをぶつけられても、この男は憤りで返してこない。
腹の中でどう考えているのか知らないが、殴りつけても殴っている感触がないような感じだ。
打っても、響かない。
長く話す事は、不毛だと思った。
「……俺は、別にそういうの、偏見とかないつもりです。別に八束が誰を好きになろうが、それはいいと思ってる。それがあなたでも、仕方なかったと思ってる。でも本当にあなたが賢い大人なら、あなたが断ってあげるべきだったんじゃないかって思う。あいつの将来を考えるなら」
佐々木がまっすぐ、長畑の目を見て言ったとき、遠くで雷鳴が響いた。
雨足が強くなっている。
静かに睨むように告げる佐々木の顔を、長畑はじっと見ていた。
「……君の言い方では、まるで、あの子が何か間違いを犯したみたいだね」
「どっから見ても、間違いでしょう」
「偏見はないって言うけど、間違いだとは思うんだ」
「……」
長畑の一言に、佐々木は黙った。
本人には「別にいいけど」と言って、見守るような立場をとりながら、本心では「早く別れればいいのに」だなんて思っている。
こんな事は、とてもじゃないが八束には言えない。
言えないから、八束の知らないところでこの男に当り散らしている。そして、それを本人には言わないでほしいと事前に頼んでいる。
(俺も嫌な人間だ)
佐々木は、自身に対して嫌悪を感じていた。
「……でもね、君の言いたい事もわかるよ」
情けなく黙る佐々木をフォローするかのように、長畑も少しの沈黙の後、口を開いた。
「僕といる事で、あの子がこの先嫌な目に合ったりするのが嫌って事でしょう? そう思うのも当然だろうし、八束を思っての事なんだから、責めはしないよ」
その言葉に、佐々木は余計にいらりとした。
どこまでも余裕をもって、狼狽えもしないこの男が本当に嫌だった。
「……でも、あなただったら、あいつじゃなくてもほかにいい人選べたでしょう? わざわざあいつなんか選ぶ必要ないじゃないですか。もっと……」
「佐々木君」
佐々木がそう言った途端、少しだけ冷えついた声で、長畑は佐々木の名を呼んだ。
「あいつなんか、って言うのは止めてよ。あと、僕にも選ぶ権利くらいある。そこは他人にガタガタ言われる事じゃない」
「……。すみません、でした」
佐々木は唇を噛み、素直に頭を下げる。
友人の為だと言いながら、気付かない間に友人を馬鹿にするような言い方をしてしまった。
そこが長畑の気に障ったらしい。
(この人、こうやって怒るのか)
静かに、だが不快に思えばそれを隠さない。年下だろうが恋人の友人だろうが、容赦なく叱る。
ふわふわした男ではないのだ。
気まずさに、佐々木は氷の溶けたアイスティーを口に運ぶが、味もよくわからなかった。
自分でふっかけた喧嘩のくせに、混乱してしまっている。
「あの……あなたを怒らせるだけかもしれませんが、どうしてもわからないので、教えてください」
佐々木はグラスをテーブルに置いて、目の前の長畑を見る。
「男と付き合う事、抵抗ないんですか?」
佐々木の無遠慮な言葉に、長畑は少しだけ困ったような顔をした。
「……君、ほんとにがんがん来るタイプだね」
「よく言われます」
「いや、褒めてないけど」
長畑は苦笑いを浮かべて、佐々木を見た。
「僕は正直、楽しければどっちでもっていうやつだから。だから、どちらの役もやった事あるよ。こだわりもないしね」
「……どっちの役もって」
「そのあたりは、君の豊かそうな想像力にまかせる」
「……」
佐々木は言葉に詰まった。
(どっちもって、どっちも? ふーん。へー。ほー……)
感心すればいいのか何なのか、よくわからない。様々な言葉が、脳内を駆け巡る。
「……長畑さん。上品そうな顔して、結構遊んでましたね?」
「まぁ、若気の至りってやつで。最近は、そうでもない」
長畑は品の良い笑顔で、にっこりと笑った。
「……そういう話は個人的に大好きなんで、興味ありますけど」
「それはまた今度ね。こんなところで言うお話でもないし」
それもそうだ、と佐々木は思った。
雨から逃げ込んできた客で、店内は少々ざわつき始めている。
休日の昼間っから、こんなところでそんな話を繰り広げるのもどうか、だ。
「それで、君のイライラは多少晴れたのかな?」
「まぁ、多少は。正直まだ、よくわからないところが多いですけど」
佐々木の言葉に、長畑は苦笑した。
「そりゃあ、君と僕が何もかもこの程度で分かり合えたら、相性ぴったりって事で、付き合ってもおかしくないかもよ」
佐々木は眉を寄せる。この男は、意外に笑えない冗談を言うらしい。
「……わかりあえなくてよかったなって、思いました」
佐々木の渋い顔を見て、長畑も笑う。
「だね。まぁ……僕は思うんだけど。いろんな人間がいて、いろんな人と話して、その中から相性のいい人とか、仲の良い人ができるよね」
佐々木が頷くと、長畑は言葉を続けた。
「そんな中で心底大事にしたいとか、守ってあげたいって思う人と出会う。とても低い確率。でも、だからこそ、そういった出会いは大事にしたいし、その人を絶対に大事にしたいって思う。ちょっと、ロマンチストみたいで恥ずかしいけども」
長畑はそう言うと、佐々木を見て穏やかに笑った。
「……長畑さんは、八束と会えてよかった、って思ってるんですか」
「うん。彼がいなきゃ、今の僕はないだろうから」
「……そうですか」
棘のない表情で、素直に返された言葉を聞いて、佐々木は納得した。
この男も、きちんと好きなのだ。
八束もこの男の事が大好きで、この男もそうなのだ。
八束の事を思い接し叱り、八束の見ているこちらが恥ずかしくなるような真っ直ぐな好意に、応えようと必死なのだ。
自分が彼女に対して抱くような、「大事、好き」という感情と、変わりない。
そう考えると、先ほどまであれほど抱いていた敵意が、あっと言う間にしぼんでいくのを感じた。
「……生意気言って、すみませんでした。あいつの事、今後ともよろしくお願いします」
佐々木は深々と、テーブルに頭を打ち付けそうなほどに頭を下げる。
「いいよ、そんなのこちらこそ。……逆に、安心したくらい。彼にはこんないい友達がいて、心配してくれるんだなって」
「長畑さんはそう言う人、いないんですか?」
笑う長畑に問えば、彼は少し、考えるように黙った。
「友達かぁ。……最近できた僕の友達はね、僕をいつか抱くのが夢とかで、ご親切に会うたびにバラくれるよ。断ってもくれるわけ」
「え、それ友達っていうか、……え、男? えっ?」

──世の中には、己の理解を越えた人間というのも、たくさんいるらしい。
己が思う以上に、いろいろな世界があるようだ。
とにかく、この男も八束も、互いに良い影響を受けて生きている。
だったら、外野がうるさく言う必要なんて、ないのかもしれないなぁ──と思いながら、佐々木はアイスティーをずるずると飲み干した。 (終)