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母と息子

(番外編)母と息子


「そういえば、三崎さんってここで働いて長いんですか?」
ある日の夕方。八束はなんとなく気になって、休憩中の三崎へ聞いてみた。
彼女は八束がここへ来た時からいて、長畑とも付き合いが長いらしく、わかりにくい彼の人間性も 理解している珍しい人間である。
以前ここに勤め出した理由を聞いたときは「お客として来てから縁あって」的な事を言っていたので、 きっと三崎も園芸が好きで長畑と知り合ったのだと、八束は思っていたのだが。
「あー、そうねぇ。来てから何年くらいだっけ? 結構たつよね、長畑さん? 」
台所のテーブルでお茶を飲んでいた三崎は、向かいの席で新聞を読んでいた長畑に話を振る。
「そうですね。もう5年くらい経つと思いますけど」
長畑が新聞を折りたたんで、こちらを見た。
「そんなにたってた?」
「たってますよ」
二人は顔を合わせて笑った。
三崎は長畑の事を、主に生活面で叱っていたりするが、彼も三崎に言われるのは構わないらしい。 言われたところで直さないのだが。
しかし仕事面では、互いに信頼し合っているパートナー、という感じがして、八束としては少し羨ましかったりする。
「ここで働こうと思ったきっかけってあるんですか? 植物好きだったとか?」
進路に悩む八束としては、なんとなく聞いておきたい話題だった。
そう少しわくわくして問えば、三崎は苦笑いを浮かべる。
「まぁねー、園芸は元々好きだったけど、あくまで趣味だったしね。でも大本のきっかけは、長畑さんの腕の骨折っちゃった事かなぁ……」
「え……骨……えっ?」
予想に反した物騒な言葉に八束が言葉に詰まっていると「ありましたねーそんなこと」と穏やかな笑顔を浮かべながら 長畑が言う。
「腕っていうか、手首でしたけどね、あれは」
「そうだったけ? どちらにしろ悪い事したなーって今でも思ってるのよ?」
「いや、もう昔の事ですし」
あはは、と大人二人は穏やかなトークを繰り広げている。が、八束だけはついていけていない。
(骨折った……?)
この上品そうな女性が何をしたら、長畑の手首を折れるのだ?
「あの……説明お願いします……」
八束は軽く挙手しながら、二人へ告げた。

聞けば、話は約5年前にさかのぼるらしい。
「確か、あのときは地元の駅にいてね。秋の行楽シーズンで、私も旅行帰りで荷物いっぱい抱えてて。 でもエスカレーター工事中で、自力で階段上ってたのよ」
三崎は懐かしむように、当時の事を語ってくれた。お茶の温かな湯気が立ちのぼる。
「まぁ私、力あるからそれは平気だったんだけど、階段上がりきったところで人とぶつかって、バランス崩しちゃってねぇ」
「……落ちたんですか?」
「そう。落ちたんだけど、実はすぐ後ろにこの人いたのよねぇ。巻き添えにしちゃって」
「……」
八束は隣の長畑に視線をやる。
八束の視線に気付いた長畑は、「いやまぁそうなんだけど」と苦笑いを浮かべた。
「僕もちゃんと前見てれば良かったんだけど、よそ見しててね。気づいたら女の人がこっちに落ちて来てて。 ……そこでがっしり助けられたら格好良かったんだろうけど」
「落ちたんだよね」
「落ちたのよねー」
二人の声が重なった。
話だけ聞いても大惨事である。八束は地元の駅の光景を思い浮かべる。
在来線側も新幹線側も、階段は急で長い。
三崎は一口、茶を飲んだ。
「私は、この人下敷きにしてたからほぼ無傷だったんだけど、長畑さんに結構怪我させちゃってね。 あちこち擦り剥いてたし、骨も折っちゃって」
「骨折以外は大したことなかったんですよ。あれは僕が、落ちた時に片腕を地面に変に突いたせいですね。二人分の体重かけたものだから、ぼきっといっちゃって」
僕が重いものですから、と長畑は軽く笑った。
「いや、ほんと悪かったと思ってるのよ」
三崎は申し訳なさそうに呟いて、話を続けた。
「……で。落ちてるときは気づかなかったけど、落ちてみたら外国人みたいな人に怪我させちゃってるじゃない。 この人も地元の人っぽくなかったから、『あーやばい旅行者か留学生に怪我させちゃったんだわー』って思って。 あのときの長畑さん、あんまり喋らなかったから、日本語できないのかと思ってまた焦って」
「あー……すみません。痛かったのと人見知りであまり喋れなかったんですよ……若かったし愛想ふりまく余裕がなくて。言い訳ですが」
「へ、へぇ……」
「で、病院一緒に行って話聞いたら、二日くらい前にこっち来たばかりの人って言うじゃない。 手当て終わってタクシーでここまで一緒に来たら、まだ荷ほどきも全然終わってないでしょ? それなのに 利き手の骨折っちゃって『これじゃ生活できない!』って思って。お詫びで家の掃除とか、しばらくお手伝いに来てたのよ。 おせっかいかなと思いつつも」
職業聞いたらまた青くなったわ、と三崎はため息をついて言った。
──職業庭師。
確かに、この土地に来たばかりだとしても、腕が使えなければ仕事にならない。
思い出して落ち込んでいる三崎に、長畑が慌てて声をかけた。
「いやでも、すごく助かったんですよ? 僕来たばっかりだし、日本久しぶりだったしで戸惑うことも多くて。 近所の事とかいろいろ教えてもらったり。怪我の功名と言うか」
「……そう言ってもらえるならよかったけどね。で、しばらくお世話させてもらったんだけど、怪我が良くなってからは止めてたの。 少し経って様子お伺いに来てみたら、この人結構丁寧な仕事してるんだなーってお花を見て思って。 異国で一人だと大変そうだったし、良かったら手伝わせてって言ったの。それでずるずると」
「……異国っていうか僕、国籍こっちなんですが。まぁ、でもすごく助かってます。ありがとうございます」
「いえいえこちらこそ」
お互いにぺこりと頭を下げる図というのは、普段の二人を見ているこちらからすれば少し不思議なものだ。
しかしさりげない関係に見えるのに、ドラマがあるのだなぁと八束は思った。少々過激ではあったが。
「で、手はもう大丈夫なんですか?」
「うん。折ったって言っても、綺麗に折れていたからすぐにくっ付いたし。全快してるよ」
そう、長畑は右手を挙げて見せた。
「もうね、後遺症とか残させなくてほんと良かったと思ってます。ほんとにね。あとは良い奥さんとか見つけて、 早く安心させて頂戴」
「えっ」
「えっ」
長畑が言葉に詰まる。そして何故か八束も動揺してしまい、声を漏らしていた。
「……まぁ、そうなったら三崎さんには紹介しますよ。日本での僕のお母さんみたいなものですからね」
「ほんとに? チェック厳しいからね、私」
上手い事言ってかわした長畑の言葉に、三崎はにんまりと笑った。
「お母さん」扱いも不快ではないらしい。
ちょっと一瞬、どきどきしてしまった八束は安堵の息を吐きながら、改めて二人を見た。
なんとなく、この二人の間に漂う空気。
ずっともやもやとしていたのだが、ようやく当てはまる言葉を見つけた気がする。
(駄目息子とお母さん、だ……)
いやいや長畑さんは駄目じゃないですけどね、雰囲気的にね、と思いながら、八束は残りのお茶を飲んだ。
(終)