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薔薇色の道

01 日本脱出予定


夏休みも目前の教室。
昼休み、弁当を食べている最中に「夏休みの予定決まった?」という話題が出た。
なので、八束が何気なく「イギリス行ってくる」告げると、一緒に弁当を食べていた、佐々木と霧島の箸の動きがぴたりと止まった。
「……お前さぁ、『コンビニ行ってくる』くらいのノリで言うなよ」
佐々木が「俺そんな事、一言も聞いていないんですけど」と、じと目で八束の方を見る。
「お前、外国とか興味ありません、ってタイプだったじゃん」
「いや、そうだったんだけど……。誘われてるし、旅費も相手が持ってくれるって言うし、親の許可も貰えたし。せっかくだから」
言いながら、八束は卵焼きを口の中に放り込んだ。

パスポートを取る関係で、母親には随分前に相談をした。
「自費で行くの?」と問われたので、旅費は向こうにいる人が出すと言ってくれている事、長畑も一緒だし、路頭には迷わないはずという事を説明した。
「……へぇ。あんたもいろんな人と友達になってるのねぇ」
母親はそう感心しつつも、「お土産よろしく」とあっさりと息子を海の向こうに放り出す事を決めたらしい。
それが意外だったので、「もっと何か言われるのかと思っていた」と八束が言えば、母親は「あんたが、何かしたいって自分から言うのが珍しいから」と答えた。
「迷惑じゃなくて、本当に向こう様がそう言ってくれてるなら、行っていいよ。男には冒険も必要だって、父さんも言ってたしね。あんた、堅実すぎてちょっとつまらないところあるから、そういうの、良い機会かなと思って」
「……」
「実の息子に『つまらない』と言うのは、親としてどうなのだ」と思ったが、事実なので八束は何も言わなかった。
長畑と、向こうの人に迷惑をかけないように、とだけ耳にタコができるほど言われた。

「旅費出してくれるって、前に会ったあの人? あの、背のでっかい外国人のおじさん」
ずるずるとパックのコーヒー牛乳をすすりながら、霧島が問う。
霧島と佐々木は、グラハムに強引に誘われて、一緒に茶を飲んだ経験がある。
「そうそう。よく覚えてるね」
そう八束が言えば、霧島は苦笑いを浮かべた。あのとき、霧島は人見知りしていたらしく、グラハム相手に一言も喋らなかった。
八束は後にグラハムから「可愛い顔してあの子、究極のシャイボーイだねぇ……」とのお言葉を頂いている。
「あの人とまた会えたら、あのときの事謝りたいな。今度はきちんと、話してみたいんだけど……」
「いや、あの人は全然気にしてないから、大丈夫だと思うよ」
多分そのうち来るし、と八束も苦笑しながら言えば、霧島は「いや」と首を横に振って、空になったコーヒー牛乳のパックを机の上に置く。
「あの人と話して、俺に必要なのは、あれくらいの積極性だなと思ったから。あれくらいになるのは無理だとしても、もうちょっと積極的になれたら、人生変わりそうな気がするんだ……」
「あ……そ、そう?」
霧島がじっとりとした視線で見つめてくるので、八束は少々困った。
三年生になって友人となったこの同級生とは、良い関係でここまで来ていると八束は思っている。
ただ時々、彼は妙にねっとりとした、はっきりとしない視線でこちらを見つめてくるときがあり、八束は反応に困るのだ。
それが以前言われた「お前の事好き、かも」という言葉に関係しているという事くらい、八束にもわかっている。
だがどう答えていいのか、全くわからない。
霧島自身も、そうした気配はすぐに引っ込めてしまう。八束の心には、もやもやしたものだけが残る。
(こいつは、こいつの兄ちゃんと足して二で割れば丁度いいんだろうなぁ……)
八束はそんな事を思いながら、彼の兄の顔を思い浮かべた。

霧島兄はと言えば、未だに片思いの真っ最中、という事らしい。
長畑のところに行くと、ときどき部屋に新しいバラの花が生けてある。霧島兄が、会うたびに新しい花をくれるのだと言う。
長畑も少々困惑気味に「あそこまで振っても堪えない人、初めて見た……」と呟いていた。
八束もこの前会う機会があったので少し話をしたのだが、霧島兄は「あぁもう僕ストーカーに近いかもしれませんね。犯罪の一線は越えませんけどね。ぎりぎりですね」とよくわからない事を言っていた。
当の長畑も、彼の好意に対してはばっさり断りを入れているらしいのだが、めげずに接触を図ってくる霧島兄の事を「友人」として見ていないわけでもないようだ。
長畑曰く「取り繕わなくていいから、付き合うのが楽」という事らしい。
時々一緒に飲んでいる事もあるようで、八束も稀に参加させてもらっている。
八束から参加したいと言っているわけではない。
長畑が「僕がこの人と二人で遊んでいるのも、八束に悪いから」という100%の善意から誘ってくれるのだ。
長畑から誘ってくれるのは嬉しいので、呼ばれればホイホイと参加するのだが、参加したら参加したで、八束は胃の痛い思いをしながらジュースを飲んでいる。
悔しい事に霧島兄も、八束にとても気を遣ってくれる「いい人」なので、不満を持って行く場所がない。
ストレスの種が消えたわけではないが、なんとなく周囲はバランスを保ちつつ、うまい具合に回っている。

「で、どれくらいの期間行くの?」
「一週間、かな」 佐々木の問いに、八束はペットボトルのお茶を飲みつつ答えた。
長畑は留守中の事を、三崎に頼んでいた。
長く留守にしてしまって申し訳ない、と長畑は謝っていたが、三崎は快く引き受けてくれたようで、「先祖供養も子孫の務めだからねぇ」と笑っていた。
ただ、「お土産よろしく」と念は押していた。
長畑も苦笑しながら「なんなりと」と答えていたので、お買いものタイムは存在するらしい。母親と妹のお土産はそのときに買おう、と思った。
「で、なんか観光とかするわけ?」
「さぁ。俺は長畑さんの帰省に、くっ付いて行くだけだから、プランは知らない」
「なんだ。やっぱりあの人がらみ、ってわけね」
佐々木は長畑の顔でも思い浮かべたようで、「ほうほう仲のよろしい事で……」とオッサンのような事を言いながら唸った。
「さすがに、英語も喋れないのに俺個人じゃ行こうとは思わないよ。グラハムさんも、長畑さんに帰ってきてほしいだけだから。俺はオマケ」
「……長畑さんって、八束のバイト先の人だよね?」
「うん」
霧島の問いに八束が頷けば、霧島はまた、ねっとりとした視線を八束に向けた。
「仲良いとは思ってたけど、一緒に旅行に行くくらい仲良いんだ……いいね」
「う、うん。まぁ、非常に良くして頂いていますよ……」
あはははは、と乾いた笑いをもらしながら、八束は答えた。
そんなこちらの攻防には全く気付かず、佐々木が「旅行かぁ」と腕を組む。
「まぁ、アレだな。卒業したらみんなどうなるかわかんないし、その前に俺らもどっか行っときたいよな」
「そうだね」
佐々木の言葉に、霧島は素直に頷く。
八束も、頷いた。
もう卒業したら、といった単語が当たり前のように出てくる。
夏休みが終われば忙しい秋が来て、すぐに年が明けて、あっと言う間に卒業だ。
高校生活も、残り半年程度しか残っていない。
(……楽しかった、よな)
思い起こせば、平凡に流れていた学生生活は、二年生の春ごろに一変した。
それまでも楽しくなかったわけではなく、周囲の友人達とはそれなりにうまくやっていたし、家族の仲だって悪くなかった。
だが長畑と初めて会った時の事は、周囲が色とりどりの華やかなバラだらけだったという事もあって、未だ鮮やかな思い出となっている。
あの男と出会わなければ感じなくても良かった、悩まなくても良かった出来事というのもたくさんある。
でもそれを煩わしいとは、今は思わない。
最初はうわべだけの優しさでしか接してこなかった長畑が、様々な感情を見せてくれるようになったように、八束自身も多少影響を受けて変化して、周囲もまた、同様に変わりつつある。
その変化の流れというのは、自分たちがこうしてここで根を張って、様々な事があってもなんとか対応して過ごしてきた、という歴史のようなものだ。
時には反発しつつ、時には痛い目を見ながら相手を受け入れつつ。
そうやって流れてきた時間を過ごして、今はこうして笑っていられる。
思い出というにはまだ新しいのかもしれない。
でもそれらは、心から楽しかった、と八束には思えた。
「……」
いろいろな事を思い出して、八束は思わず笑ってしまう。
「……何笑ってるんだよ、お前」
そんな姿を不気味に思ったのか、佐々木が机の下で、八束の足を軽く蹴る。
「いや、ちょっと思い出し笑いと言うか、感慨深くなって」
「早くね? そういうのは、卒業のときにしろよ。夏休み前なんだからさぁ」
「うん。ごめん」
八束が謝っていると、霧島も静かに、穏やかな笑みを向けてきた。
「俺も海外とかまだ、行ったことないから。帰って来たら、いろいろ教えてよ。あと、気を付けてね」
「……うん」
毒気のない事を言われると、少々照れる。
「お前さ、ちょっとは日常会話的な英語勉強して行けよ? 通訳してくれる人はいるかもしれんが、もし一人になったとき、危ねーからな」
佐々木も一応、こちらの事を案じてくれているらしい。
二人の気持ちは有難いので、八束も素直に頷いた。