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バラ園と新たなる季節

05 勘の良さが嫌になる


「それでわざわざいらっしゃったんですか?」
町でたまたま会った霧島の兄を連れて長畑の元を訪ねれば、外で仕事をしていた園主はなんとも言えない顔をしていた。
自分と昨日の男がセット、という意味がよくわからなかったのだと八束は思う。
自分だって、なぜこうなったのかよくわからないのだが。事情を説明すれば「あー、成程」と長畑は頬をかいた。
「連絡頂けたら、こちらから伺いましたのに」
「いえ、いきなり呼びつける様な真似も、どうかと思って」
すみません、と眉を下げた笑顔で、霧島兄は笑う。
基本的に常に腰が低い調子で人と接するらしい。弟とは顔も違うが、根本的に性格も異なるようだ。
「とりあえず、立ち話もなんですからお話は中で伺いましょうか。八束も時間あるなら、お茶くらい飲んでいく?」
「あ、はい」
そもそも佐々木が「付き合え」と言って来たから、今日は何も予定を入れていなかったのだ。
時間だけは有り余っている。
どうぞ、と室内に招き入れる長畑の背を見つめて、霧島兄は軽く息を吐いた。
「……作業着の似合わない方だ」
「そうですか?」
八束は首を傾げた。自分はよく似合うと思っているのだが。
「あ、いや。悪い意味で言っているのではなくて」
八束の反応に、霧島兄は少し慌てた様子で付け加えた。
「……なんというか、始めてお会いしたときも思ったんですけど。こんな事を言うのもおかしい話なんですが、綺麗な方だと思って。若いのに、珍しいと思ったんです。こんな人が地元にいて、農業やっておられるというのが」
「あぁ……」
そういう意味か、と八束は思った。この男の言いたい事は、わからないでもない。
今はすっかり見慣れたが、自分だって驚いた一人だった。
こんな寂れた田舎に、こんな華やかな男が潜んでいるとは思わなかった、というやつだ。
「若いですけど仕事真面目だし、腕も良いと思いますよ。勉強家だし」
そう言うと、霧島兄は笑った。
「君はほんとに、あの人のこと尊敬してるんですね」
「え……あ、まぁ……」
そう、心から感心したように言われると返答に困る。
それじゃあお邪魔します、と先を行く霧島兄の後を、八束も慌てて小走りに追った。
(……ていうか長畑さん、なんでこの町だったんだろ?)
そういえば理由を聞いたことがないなと思った。ここに過去住んでいた、という話も聞かない。
ほどよく田舎で、生活するには困らない程度の町もある。だからだろうか?
今度時間があるときに聞いてみよう、と思いながら、八束は霧島の兄と共に室内に入った。


目の前には、湯飲みに入った緑茶が湯気を立てている。
居間に通され、長畑と霧島兄は向かい合う形でソファに腰かけた。
ちょうどお茶を沸かしていた三崎が長畑の隣に座ったので、八束は霧島兄の隣に腰を落ち着ける。
自己紹介をすれば、元々地元民の三崎は、霧島の家の事は知っていたらしい。
「うちの実家が霧島さんの家の近くにあったから、お父さんの事はよく知ってるわー。ずっと県議やられてるものね。秘書って、お父さんの?」
「えぇ。僕は父付きの秘書をやらせてもらっています」
「じゃあ将来は政治家目指してるの?」
「そのつもりではいますが……まだまだ勉強中ですよ」
居間のソファに腰かけた霧島兄は、三崎の質問に苦笑いを浮かべながら頭をかく。
「お時間、大丈夫なんですか? だったらお忙しいんじゃ……」
「あ、いいえ大丈夫です」
長畑の言葉に、霧島兄は慌てて首を振った。
「父に連絡したら、しっかりお願いしてきてくれと言われました。家族間で仕事していると、こういう融通が利くのは良い事かもしれませんね」
霧島兄の探している花とは、彼の母親が育てているバラの事らしい。
若いころの夫からのプレゼントという事で大事に育てていたらしいのだが、樹が老齢になったのか病害虫が原因か、年々弱ってきてしまったとの事だった。
どうにか回復させたいとは願っているらしいが、難しいらしい。
それを母親が悲しんでいるらしく、父親が「できれば同じバラをまた渡したい」と願っているらしいのだ。
「すごく仲が良いんですね」
八束はその話を聞いて、感心したような声で言った。
彼の両親となれば、双方ともよい年齢になっている頃だろう。
霧島兄は、八束の方を見て笑った。
「そのようですね。こちらが見ていて恥ずかしいくらい、仲は良いです」
「優しい旦那さんなのねぇ、いいなぁ。で、長畑さんどうなの? こういうのできそう?」
三崎が長畑の方を見た。長畑は少し考えて口を開く。
「……僕もまだ実物を見てないのでわからないですけど、特徴から探す事っていうのは可能かもしれません。ただ品種が膨大なので、すぐにこれっていう特定は難しいかも。年月経ってるものなら、品種自体が消えてる可能性もありますし」
「もちろんすぐに、とは言いません。もう何十年も前の話なので、見つからなくても仕方がない事です。探していただいてそういう結果なら、父もそれで納得すると思います」
お願いします、と霧島兄は頭を下げた。
「できれば僕も、母親を喜ばせてあげたいんです」
「あ、いや。頭は下げないで下さい。まだお力になれるかどうかもわからないですし」
少し困ったように、長畑は霧島を制した。
「でも僕でよければ、できる限りの事はさせて頂きます。こういうのは、結構好きなので」
長畑はふわりと笑顔を浮かべた。
「ご家族が大事にされているバラ、見つかればよいですね」
「……ありがとうございます」
長畑の笑顔に、霧島兄が再び深々と頭を下げた。
「……」
横で話を聞きながら、八束は黙ってお茶を飲む。知らず知らずの間に手に力が入っていたらしい。湯飲みが、みしりと音をたてた。
この隣に座る同級生の兄は、いい人だとは思う。
弟思いで、両親の願いをかなえるためにこうして頭を下げに来て、少々丁寧すぎるところはあるけれど、腰の低い良い人だと思う。
──だが。
(長畑さんと話しながらめっちゃ顔赤くなってるのは、俺どうすればいいんだ……)
緊張によるもの、と思えばいいのかもしれないが、これはそういう照れではない。
気付かなければ良かったのかもしれないが、わかってしまった自分が悲しい。
……同類の香りだった。
この男と長畑の出会いは、自分のときとよく似ていた。
約一年前になるが、あのときも自分は彼に「お願い」をしに来たのだった。
その綺麗さに目を奪われたのが最初。
あとは接するうちに、ずるずると来てしまった。
思えばこの男と付き合うようになって、今までこういった場面に遭遇しなかったのが奇跡なのかもしれない。
長畑は基本年配の女性には可愛がられるが、そこに彼と一緒になろう、というような思いまではない。テレビの向こうのアイドルへ向ける様な感情だろう。
グラハムは長畑への好意を隠さないが、彼の場合は少々特殊だ。長畑の中でも、グラハムの位置というのは他の人間とは少々異なる。
邪険に扱う事はあっても、だ。

────綺麗な花にはいろんな虫が寄ってくるわけよ。良い虫から害虫まで。

唐突に、そんなグラハムの台詞が脳内で再生された。
こんな言葉を彼の口から聞いたのはいつだっただろうか。よく思い出せないが、確かにそんな事を言われたことがある気がする。
そのときだって、納得はしたはずだ。だが今、ようやくそれを体験して実感している。
(この人は男だろうと女だろうとモテまくるのか……)
見た目綺麗で、しかも下手に優しいものだから。
ある意味才能だよな、と八束は思う。人生、ずっとこんな感じなのだろうか?
今まで言い寄る人間の間をすり抜けて、この男はここまで来たと言うのだろうか?
だがもし、この霧島兄が長畑に本気で好意を抱いていたとしても、自分の位置がそう簡単に揺らぐ、とは八束は思っていない。
思いたくないというのもあるが、そもそも長畑が簡単に他人の手を握るとは思えない。この男は愛想は良くて最初はとっつきやすそうな印象を与えるのだが、内心超絶に人見知りをしている上にガードが堅い。
そういった性質というのは、付き合いの中でわかってきた。
(俺は信じてる……けど)
この人は他の人間に迫られた場合、どういう反応をするのだろう?
そんなのを決して、見たいわけではないのだが。


八束がぐるぐると考えている間に、後日また霧島の家を訪ねるという事になり、話は終わった。
やはり霧島兄は忙しいらしく、話が終わると慌ただしく帰り支度を始めた。
「八束君も、そのうち遊びに来て下さいね。弟も喜ぶだろうし」
車が停めてあるところまで見送りに出た八束に、霧島兄は、笑顔で言う。
「あー……はい」
八束はあいまいに笑った。
まだ遊びに行けるほど、弟の方とは親しいわけでもない。でもどうせ知り合ったなら親しくなっておきたい。
明日もまたあいつには話しかけてみよう、と思いながら霧島兄を見ていると、彼は長畑にも笑顔で話しかけていた。
「ではまた、後日こちらからご連絡します」
そういうと、彼は車に乗って去っていった。山道を下り、車はあっと言う間に見えなくなる。
「……出会いってわかんないものだね」
車を見送って、長畑が少し笑いながら言った。
「昨日の今日で、お仕事頼まれるとは思わなかった」
「長畑さん」
「何?」
「……真面目に気づいてない?」
「何が?」
八束の問いに、長畑は「主語がなくてわかんないんだけど」と首を傾げた。
(……まぁ気づいているわけがないよなぁ)
彼は少々、他人の感情の揺れ動き、というのには鈍い。
「いや、なんでもないです。それよりもちょっと質問」
八束は、長畑の服の袖を掴んだ。
「長畑さんって、今まで何人くらいとお付き合いしてます?」
「え」
突然の質問に、長畑が目を丸くした。
「何その唐突な質問」
「純然たる興味です。長畑さんってもてそうだから、結構たくさんいるのかなと思って」
「そんなにいないよ。片手で足ります」
期待に添えなくて悪いけど、と長畑は片手を上げて苦笑する。
「……絶対嘘だ」
じと目で見る八束に、「嘘つくならもうちょっと見栄はるよ」と長畑は笑った。
「僕、話しかけづらいみたいだし、生意気だったし。僕を気に入ってくれる人なんて、相当の変わり者だからね」
「……俺も変わり者ですか?」
「だって学校に、同じ年頃にかわいい子がいっぱいいるんだろうし。そこで僕を選ぶあたりがそうだと思うけど」
そうなのだろうか、と八束は考える。
「子供の頃は?」
八束がそう問うと、「珍しく今日は突っ込んでくるねぇ」と言いながら彼は少し考えていた。
「小さいころは……嫌な方向にもててたかも。誘拐されかけたりとか」
「……は?」
誘拐? と八束は思わず眉を寄せて彼を見上げた。
「なんですかその物騒な話」
「いや、もちろん未遂ですけど?」
「未遂じゃなかったら洒落にならないですよ! 笑い話にしていいんですかそれは?」
動揺する八束に対し、長畑はぼんやり思い出すような顔で続けた。
「まぁもう昔だからね。僕があっち行ってた頃、まだ言葉もわかんないころかな。街中で男数人に手招きされてね。子供だったから疑いもなく近寄ったら」
──車に押し込められたんだよね、と長畑は他人事のように言った。
その発言に、八束は固まる。
「……なんのために? 身代金目的とかですか?」
「後で知ったのは悪戯目的だったって事だけど。どこにでもいるよ、そういう変態」
「……」
そういう趣向の人がいらっしゃる、というのはわかるのだが、八束は言葉も出なかった。
「よく無事だったと言うか……」
「まぁ、グラハムがたまたま一緒にいてね。彼が気づいてくれて。なんかよくわかんない事言いながら犯人ぼこぼこにしてて、大騒ぎになった。僕はそっちの光景の方がトラウマになってて、しばらくスプラッター映画観れなかった。だって犯人血塗れだったんだよ。やりすぎてその後警察に怒られるし」
だから、そっち系にはもててたかもねぇ、と長畑は苦笑いを浮かべてた。
八束は引きつった顔で、黙り込んでしまった。
あの賑やかな英国人とは、最近はそこそこ仲が良い。
顔立ちとそれっぽいスーツのせいで、このあたりの女子高生にも「イタリアのマフィア映画に出てそう」と言われていた彼は、確かにぱっと見怖そうだ。本人は「私イタリア関係ないもん」と言っていたが。
だがやっぱりというか、中身も怖い男だったという事なのか。あの男が犯人をリアル血祭りに上げる光景、というのを想像してみようとしたが、怖すぎて脳が考える事を拒否している。
──埋めるよ、は冗談ではなかったのかもしれない。
「まぁ彼も歳とって今は性格丸くなってるから……で、何? 何か気になる事あったの?」
「い、いえいいんです。なんでもありません……」
いろいろ聞きたかったのは事実だが、ぽろっと出てきた話が衝撃的過ぎて、八束はそれ以上を聞く気になれなかった。
この人の過去と言うのは、あまりつっ突かない方が良いのかもしれない。
「……で、結局霧島のお兄さんのとこ、行くんですか?」
「うん。実物見なきゃわかんないから。せっかくだからお庭見させて下さいって言ったら、どうぞどうぞって言われたし。勉強してくるつもり」
「確かに立派な庭はお持ちのようでしたけど……」
そういえばこの人、日本庭園は専門外だから勉強したい、とか言っていたなと八束は思い出す。
という事はしばらく交流は続くのだろう。
本人が全く気付いていないというのがまた面倒くさい。下手に口出しをして、嫉妬深い面倒くさい男と思われるのも嫌だ。
だが立場上、あまりおおっぴらに相手に付き合ってますから、なんて宣言できるわけもない。
(……まぁこの人は大丈夫だろうから、俺が下手に嫉妬しなきゃそれでいいんだろうけど)
それができないから、悩んでいたりする。