HOMEHOME CLAPCLAP

薔薇色の道

12 甘やかす人叱る人


「すみません。なかなか起きられなくて」
朝と言うよりは昼前にやってきたサーシャは、申し訳なさそうな顔をしてテーブルに着いていた。
「だからさっき電話したのに。絶対、私って確認してから切ったでしょう?」
半目で呆れるように見ながら、グラハムはサーシャの為にお茶を入れてやっている。
「……切ったのは覚えてないんですが、多分そうだと思う」
サーシャは額を押さえながら、深く息を吐きだした。若干、二日酔いらしい。
「どうせ寝起きで来ているのだろうから」と、この家の主は冷蔵庫からパンとハムを取り出して、本日二回目となる朝食の準備を始めていた。
「まぁ、昨日は遅くまで飲んでたから仕方ないね。僕も記憶すっ飛ばしてるから、人の事言えないし」
サーシャの隣の席で、長畑は苦い表情を浮かべながら笑っている。
「へぇ、それは面白い。酒豪のあなたが」
「酒豪かなぁ。酒豪ってのはちょっと違う気がするんだけど……」
長畑は少し納得いかないように首を傾げたが、八束から見れば、あれだけ一晩中飲んでいたくせに、多少饒舌になるくらいの酔い方しか見せなかった彼は、立派な酒豪だと思えた。
実際、昨日の酒も体に残っていないらしく、記憶を若干飛ばした以外はぴんぴんしている。
「でも酒豪とか、サーシャはよくそんなに言葉を覚えられるね。昨日も思ったけど、昔よりなんか上手になってる気がするし。こっちで喋る機会ないでしょう?」
最初は「頭疲れるので英語話させてくれ」と言っていたサーシャも、話しているうちに多少慣れてきているようで、スムーズに言葉が出るようになっていた。
「そうですね。機会はないですけど、完全にあの人の、映画好きの影響ですよね。日本の昔のマフィア物とか、古いモノクロ時代物映画をどこからか買ってきて」
サーシャは控え目に、この家の主がいる台所を指した。
「新しいDVD買ってきたーとか言って、私の家で強制上映会してくるので、本数は結構観ているんじゃないかなぁと。だから行った事もないのに、こんな事になってます」
「一人で観てもつまらないってやつなんだろうけど、はた迷惑な……。でもそれで覚えられるって、やっぱり語学の才能があるんだろうなぁ」
羨ましい、と長畑は呟いた。この男は完全に理系方面に特化しているタイプなので、「語学は気合入れないと無理」と以前言っていたのを、八束も覚えている。
「俺も、羨ましいです。俺とか、六年くらい学校で英語習ってるのに、全然身についてないし」
サーシャの向かいの席に座っていた八束がそう呟くと、サーシャは「そんなものですよ」と笑った。
「私だって学生時代に他の言語習いましたけど、使わないのは大体忘れてますからね。それに語学センスがあるのは、残念な事にグラハムの方ですよ。彼は耳が良いのか知りませんけど、どの国行っても大抵聞きかじって、現地に馴染みますから」
「それは思う……」
頬杖をつきながら、長畑は頷いた。
「そこはもう、天性の能力なんだろうね。僕は人見知りするから、そう言うのが難しくて。多少は見習わないといけないと思うんだけど」
「自分もです。付き合い長いのに、そこは真似できません」
気質が似ているシャイな大人二人は、顔を見合わせて笑う。
この二人は、人見知り同盟でも組んでいるのかと思うほど、仲が良い。長畑もサーシャを信頼しているようだし、サーシャも年下である長畑を「理解ある人」として見ているようでもある。グラハムが大事にしている人間だからという要素も、強いのだろう。
「八束君は、誰とでも話せそうな人ですよね」
サーシャにそう話を振られて、八束は「そうだろうか」と考えた。
「……あまり人見知りとかはしないんですけど、気が小さいので、あの人みたいにはがんがん行けないです」
「全然がんがん行かなくていいですよ。あそこまで行くと、対応に困りますから」
サーシャに真顔で言い切られて、八束は「あ、そうですか……」と苦笑いするしかなかった。
(この人は口が悪いって言うか、はっきり言い過ぎるところがあるんだろうなぁ)
だがこれくらいの強固さと鋭さを持った人間でなければ、グラハムの片腕なんて務まらないだろう。
そんな事を考えていると、サーシャは「あ、忘れていました」と持参していた大きな紙袋を、テーブルの上に置いた。
「寝坊の侘びがあるんです。まずこれは、八束君に」
言いながら、サーシャは紙で包まれているビスケットの袋を取り出した。
「近所の店のです。小腹がすいたときにどうぞ。あとこれは、永智さんに」
そう言ってサーシャが取り出したのは、白い花ばかりでまとめられた、清楚な花束だ。
「今日、ご両親のお墓に行かれるんでしょう? 慌てていたのであまり良い物は準備できませんでしたが、もしよろしければ、墓前に」
サーシャが差し出した花束を見て、長畑は「え」と目を丸くした。
「そんな、気を遣ってもらわなくてもよかったのに。こんな立派な花束」
「いえ、私もあなたのご両親には何度かお会いしたことがありますし、移転も無事済みましたからね。私は何もしていないので、これくらいは」
微笑みながら言うサーシャを複雑そうな目で見て、長畑は花束を受け取った。
「……ありがとう。何から何まで本当に君たちに任せきりで、申し訳なく思ってる」
「申し訳なく思う必要はないと思いますよ。あの男も当然だと思ってやっていますし。私から何か言うとすれば、お願いしますからグラハムとあんまり喧嘩しないでほしいな、というくらいなので」
そう言うサーシャの笑顔はさわやかだったが、「喧嘩しないで」と言う点に関しては、かなり切実な思いが込められていたように、八束には感じられた。
「……いや、その件では、本当に君に迷惑かけたかな、と」
「いえ、あの男が悪いなら、殴るなり蹴るなりして貰っても構わないですよ。あの件に関しては間違いなくあの男が悪いです。私だったらもっと派手に殴ってるでしょう。……ただ、あの男も、あなたの事を思うが故なんですよ。あなたの事を本心から馬鹿にした事は過去一度もありませんし、今後もないでしょう。そこは、私が誓ってもいいです」
「……君は結構、友達思いだよね」
長畑は黙って頷いたが、そう語るサーシャを見て、からかうように言う。
「普段は結構ボロクソに言うのに、何かあったらそうやって、庇うから」
「そんなんじゃないですよ。私は、あの男が不機嫌になるのが面倒なだけです」
「成程」
長畑は苦笑して椅子に深くもたれると、深く息を吐きだした。
「僕だって、別に喧嘩したいわけじゃないし、勿論彼の事は好きだよ。ただ、何でなのかな。うまくありがとうとか、そう言うのが言えなくて。性格悪いなって、いつも自分で思うんだけど」
「そのあたりは全然気にしてないと思いますよ? 永智さんと話した後、いつも『あの子はツンデレ』とかよくわからない事言って、喜んでますから」
サーシャの言葉に、長畑が「ツン……」と言葉を失ったのが、八束にはわかった。
「ただ、あまり意味がわからなくてですね。グラハムは面白がって教えてくれないし。どういう意味ですか?」
「……そこは、若者代表、どうぞ」
若干表情を凍らせている長畑の目が、八束をちらりと見た。
「えっ。俺ですか!?」
八束は慌てて、自分を指差す。
「だって、今時の言葉というやつじゃない……」
「あ、やっぱり。どうりで昔の映画には出てきてないなと」
(こんなときばっかり俺に振るんだからこの人……!)
一体、グラハムはどこでそんな言葉を覚えてくるのだろう。彼が留学していた頃には、なかった言葉だろうに。
文字を読むのは苦手らしいから、きっと来日しているときに何かで聞きかじったのだろう。
すぐに自分の言葉にしてしまう、その才能だけは尊敬できる。
八束がどう説明しようか悩んでいると、グラハムがサンドウィッチをのせた皿を手に、こちらへやって来た。
「お、綺麗な花じゃないの。サーシャはさすが、気が利くねぇ。で、何の話よ? 私も交ぜてよ」
「あなたが言っていた、ツンデレの意味を教えてくださいという会話です」
「あぁ!」
グラハムはにっかりと、楽しそうな表情浮かべた。
「それはね、萌えとい……痛ぁっ! ちょっと君、なんで蹴……すみません、なんでもありません」
テーブルの上からは何が起きたのか見えなかったが、長畑がグラハムの脛を、表情も変えずに蹴ったらしい。 一瞬文句を言いかけたグラハムだったが 、今にも舌打ちをしそうな長畑の表情を見て、瞬時に言葉を引っ込めた。
「……サーシャ君、こういう事です」
「なんだか全然わかりませんが、聞かない方が良いと言う事は理解した」
サーシャは真顔になって頷いた。
(超怖ぇ……!)
八束は、凍りついている長畑の表情を見つめながら、内心ガタガタと震えていた。


「なんかねぇ、そろそろ切実に優しさが欲しいんだよねぇ……」
その日の昼下がり。
墓地まではそう遠くないから、と徒歩で行く事となり、川沿いの木陰を男四人でぶらぶらと歩く。
グラハムは長畑に蹴られた事で若干落ち込んだらしく、八束を捕獲して愚痴を吐いていた。
サーシャと長畑は、少し離れた前方を歩いている。
「君にはあんなに優しいのに。私ばっかり。ずるい」
「そんな事言われても……」
自分より随分と年上の男に、子供の様な愚痴を吐かれて、八束はどうしたらいいのやらと、眉を寄せた。
「わかりきった事じゃないですか。あの人はまだ俺に気を遣ってるし、グラハムさんに対しては身内対応なだけですよ。あの人があんな感じで接するのはグラハムさんだけなんですから、いいじゃないですかそこは。オンリーワンですよ」
「痛みを伴うオンリーワンかぁ……」
「変な事言うからですよ。あの人の性格は一番わかってる癖に」
「だって構ってほしいんだもん」
(じゃあどうにもならねぇよ……)
八束は内心、ため息をついた。
この男は好きな物は愛でたい、とにかく触りたい可愛がりたいというタイプなのだが、生憎、世界で一番そうしたいと思っている相手は、それが好きではないのだ。
何でも言いたい事を言うこの男と、本心を隠す癖のある長畑では気質も全く異なる。
元々合わなくて当たり前、の部分もあるのだ。
「あの子は掴もうとしたら、うなぎみたいにつるっと逃げて行くもの。君の事はすごく甘やかして放さない癖に。ずるい」
「……」
「最愛の人間をうなぎに例えるのはどうなのか」と思いながら、八束はそんな事を言う男を見上げた。
珍しく嫉妬されている、と感じる。
だがあまりにもストレートに嫉妬されているので、気まずいとも何も思わなかった。今更それで、こじれる仲でもない。
なので、八束も感じている事を、正直に言ってみる事にした。
「……俺もありますよ。ずるいって言うのはないけど」
「ふぅん。聞いてあげようじゃないの」
上から目線の許可に「どうも」と答えながら、八束は言葉を続けた。
「例えば今日の、サーシャさんがくれた花束とかあるじゃないですか。俺、ああいうの全然してないし、思いつきもしなかったです。あれ見て、内心しまったと思いました」
「ほう。君は、サーシャの大人な気遣いに嫉妬したのかい?」
八束の告白は、グラハムの興味を引いたらしい。にやり、と嫌な笑みを浮かべて、グラハムはこちらを見ている。
八束は少し考えて、頷いた。
「でも、嫉妬とは違います。サーシャさんに対抗意識もありませんし。ただ、自分が気付けなかったって事が悔しいです」
「そりゃあ、サーシャも君の倍以上生きているし、その分視野は広いでしょう。むしろ、若い君と同じだったらまずいレベルですよ」
──まずいレベル。
(まぁ、その通りなんだろうけどな)
自分がまだ十代と若いから、見過ごしてもらっている部分もあるという事だ。
「気にしなくていいんじゃないの? こっちはお客様を迎える立場だけど、君らはお客様な立場なんだし。特に君はね。永智もそこまで君に求めてないよ」
「……でも」
八束が気弱に反論すると、グラハムがあからさまにため息をついたのがわかった。
「君も相変わらず、後ろ向きな子だよねぇ。ちょっと大人になってきたかと思ったら、何かあるたびに落ち込んでさぁ」
「……女々しいのはわかってますよ。ただ、俺が駄目過ぎて、何も求められてないってのは男としてどうなのかって、思うだけです」
「ふーん。でもね、そう言う心配は一人前になってから言う事。今の君は、求めれても応えれないでしょう? 自分で責任とれないでしょう」
「……」
「君はちょっと、理屈っぽ過ぎるね。そして自分に自信無さすぎ。しばらく君を見ているけど、全く進歩がないな」
「…………はい」
グラハムの駄目だしは、八束に深い部分を抉り込む。だが、その通り過ぎて「はい」と返事をする事しかできなかった。
些細な事に落ちこむこちらの姿は、グラハムから見れば「情けないやつ」にしか見えないだろう。そして、その「情けないやつ」が長畑の一番近いところにいる事に、彼は苛立つのだろう。
(久々に全否定された気がする)
怒られたのも久々だと思った。
だが、逆に頭は冷静になった。
実際今の自分なんて、社会的にはそんなものなのだ。
「君だって、別に何かしてほしくて、永智に近づいたわけじゃないでしょう? そうなるきっかけはあっただろうけど、なにか欲しいとか、守ってくれる便利な存在が欲しいとか」
「……それは違います」
打算なんてあったわけがない。八束は隣の長身の男を、睨むように見る。
この「気が小さい自分」が、後先なんて全く考えず突っ走ったのだ。
全ては、好きだったからだ。それ以外に、理由なんてない。
「ならいい」
グラハムは短く呟くと、張りつめそうになった空気を抜くように、息を吐きだした。
「そんなものなんだよ。もう、いるだけでいいってやつ。あえて言うなら、君は永智の癒しなのだよ。いるだけで」
「……なんかペットみたいですよね、それだと」
「ペットから抜け出したかったら、君が頑張るしかないね」
「外野には何もできませんからね」とグラハムは少し、意地悪く笑った。
「まぁ、今どうにもならない事でぐだぐだ言うのは止めるべきだね。彼のご両親にそんな情けないお顔で会う気? 男のプライドが少しでもあるなら、しゃんとしなさい」
「……はい」
八束は両手で、己の頬をぺしぺしと叩いた。
顔の筋肉が、苛立ちと不安で硬く強張っているのがわかる。
顔面をほぐしていると、グラハムが何故か、唐突に笑い出した。
こちらは大真面目に悩んでいるのに、面白がっているらしい。
「まぁ、若者とは何を言ったって、悩む生き物だからね。悩む事を放棄しているお馬鹿な子達に比べれば、君はまだマシなほうだよ。見どころがある」
「そうですか……?」
「そうそう」
グラハムは楽しそうに笑って答えた。
「今のうちにしっかり悩んで、考えておきなさい。そのうちいろんな問題が降って湧いてくるのだから、そのときに判断を迷わなければいいんだよ」
「……やっぱりグラハムさんは、なんか先生みたいですね」
八束は思わず、笑みを浮かべて隣を歩く男を見上げた。
「私?」
八束が、こくりと頷くと、グラハムは人好きのする笑みを浮かべて答えた。
「そうだねー。次の人生があったら教師もいいね。ちっちゃい子たち相手のがいい。可愛くないのはいらない」
「……」
八束は、なんと答えればいいのか非常に困った。
だが、甘やかされてばかりだと勘違いしそうになる。
たまにはこうして頭から叱ってくれる人間が近くにいる事を、有難いと思った。