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薔薇色の道

13 公園と撒き餌


連れてこられたのは、とても綺麗な広場だった。
一面に芝生が広がり、少し先には緑濃い雑木林も見える。
そばには大きくゆったりとした川も流れており、住宅密集地から少し外れた場所という事もあって、静かで落ち着きのある場所だった。
それだけ見ていれば、ここはただの「整備の行き届いた綺麗な公園」にも見える。しかし芝生の中には、いくつもの人工的な石が均等に配置されていた。石全体に芸術的な彫刻を施したものもあれば、平面的に芝生に埋もれるようにして存在しているものもある。それらは全て、真新しい墓石だ。連れてこられたこの場所は、公園ではなくれっきとした墓地なのだ。
(日本の墓地っていう感覚と、また違うんだろうなぁ)
はぐれないように大人たちの背にくっ付いて歩きながら、八束は興味深く周囲を見渡していた。墓地というものは、もう少し人を寄せ付けない、静かで特別な場所なのだと思っていた。だがここでは、墓地の存在など全く気にせず、近くの自然を楽しんだり、散策しながら写真を撮ってる人々の姿すら見かける。
「前のお墓は、離れたところなんですか?」
八束は、慣れた様子で歩いている長畑を見上げた。
「あぁ、前の墓地は近いよ。あの林の向こうの方。だから、すごく移動したわけでもないんだけどね」
長畑はそう笑って答えながら、林の奥を指差した。林の奥に向かって歩いて行けるような細い遊歩道が見えたが、あまり管理はされていないようで、木々は遊歩道にはみ出すように、好き放題に枝を伸ばしている。良く晴れた昼間だと言うのに、林の奥は薄暗い印象だった。
今回の墓地移転の理由は、近くの工事が原因で墓地周辺の水はけが悪くなったから、とは聞いているが、もともと日当たりのよくない場所のように見えた。
「でも、随分良い環境のところに移してくれたんだね。手続き、大変だったでしょう」
長畑は横を歩くグラハムに向けて、穏やかな表情を浮かべて言った。素直に感謝しているような言葉に、グラハムが一瞬、目を丸くした。
「ちょっとやめてよー、いきなりそんな事言うの。びっくりするじゃないの」
「びっくりしなくてもいいじゃない。感謝してるよ君には。申し訳ないとも思ってるし」
「ちょっとちょっと、今の聞いた八束君?」
グラハムが弾んだ声と共に、八束の肩をがっしりと掴む。
「永智があんな事言ってますよ。超マイルド!」
「うん、まぁ、良かったですね……」
何とも言い難かったので、八束は曖昧に頷いておいた。
何だかよくわからないが、素直に感謝されてグラハムは非常に喜んでいるらしい。先ほど、凍りついた表情で蹴られた反動なのかもしれない。
長畑が呆れた表情でこちらを見ているので、八束としても頷いておくしかなかったのだが。
「あ、そうそう。はしゃいでおいてなんですけど、ここが君の両親の、新しいお墓ね」
先導していたグラハムが、急に立ち止まった。彼の前には、一つの墓石がある。
真新しいその墓石は、装飾もないシンプルなものだった。白く四角い墓石が、芝に埋もれるようにして空を見上げている。
八束はその墓石を見て、なんとなく「らしいな」と思った。長畑の両親を知っているわけではないのだが、普段あまり飾り気のない長畑の姿と、重なるものがあった。
「……凄く綺麗にして貰ったんだなぁ。よかったね」
長畑が墓石の上に、そう語りかけながら白の花束を置いた。
八束は、黙って墓石を見つめている長畑の背を見ながら、彼の昨日の言葉を思い出していた。
彼は、自分の一言が両親の死の原因を作ったのでは、と思っている。
だがそれは、よくある子供の一言で、八束にはそれが「悪いこと」だとは思えない。彼がそんな事を言わなかったとしても、両親は亡くなっていたのかもしれない。ただ巡りあわせが悪かっただけなのかもしれない。もう誰にもわからない事なのだから、残された彼が、真剣に気に病む必要などないはずだ、とは思う。
(でも、俺だったら……やっぱり悩むだろうな)
八束は、白い墓石に視線を落とした。 もし、自分が同じ立場だったら──八束は、数年前に亡くなった父親の事を思いだした。
八束の父親も、仕事帰りの事故で命を落としている。事故の連絡を受けて病院に行ったとき、父はもう意識がない状態で、そのまま自分達のもとへ帰ってくることはなかった。覚悟も何もできない状態で、ただ茫然とするしかなかったのを覚えている。
そんな、今思い出しても息ができなくなるような感覚の中に、「もしかしたら自分のせいで」という罪悪感まで抱えていかなければならなかったとしたら。
(……やめよう)
八束は、小さく頭を横に振った。もう、そんな事は考えたくなかった。
だが自分の立場だとしても、きっと同じように引きずるのだろう、という事はわかった。その出来事が、彼の本音を隠す性格に拍車をかけたのだろう、という事も。
長畑は普段、あまり愚痴も吐かず感情を荒げる事もなく、わりと淡々と生きている男だ。グラハムの前では頑固であったりこだわりが強かったりと多少血の気の強い部分も見せるが、少なくとも自分の前ではそうだったと、八束は今までの事を思いだす。
いつも穏やかに笑っているこの男は、見た目通り確かに優しいのだ。
だが今まで何度も、長畑の考えている事がよくわからず、不安になった事があった。腹を割って話してくれない部分が多いので、彼に我慢をさせていないか、不快に思わせていないか、こちらが心配になってしまうのだ。
(でも、そういうのを止めてって言いたいわけじゃない)
説教する資格も諭す資格も、自分にはないと八束は思う。
長畑は今自分を好いてくれて、ここまで連れて来てくれた。
だからと言って、自分がそこまで偉そうな事を言える立場になったわけではない。勘違いしてはいけないのだ。グラハムの言うとおり、彼と出会ってこの一年、自分が進歩しているとは思えないし、同じところをうろちょろとしている気がする。
大人びようとしてもボロが出る事はわかっているし、長畑もすぐに見抜くだろう。そんな馬鹿な事はしたくなかった。
長畑自身もどうにもならないとわかっている事で、そもそもこちらに助けなんて求めていないし、打ち明けて楽になる、という話でもない。
(でも俺は、この人の為に何をしたらいいんだろう)
いろいろと話してくれるようになったのは嬉しい。だがそれで自分だけが喜んでいては駄目だとも思う。一人真剣に考えてみたのだが、やはり思い浮かばばなかった。
(なんか、こんな状態で、この人のご両親に顔見せるとか、なんか情けないよな)
できればもう少し自分がしっかりしてからにしたかった、と八束は思う。だが長畑が「一緒に」と言ってくれたのだし、こんなふうに共に海外へ訪れる機会など、今後ないかもしれない。だとすれば、こんな甘えた事を言っている場合ではないのだ。
「……」
八束は悩みながらも、長畑の隣に歩み寄る。
「俺も、手を合わせてもいいですか?」
「どうぞ」
長畑はいつもの綺麗な笑顔で、答えてくれた。彼の隣で手を合わせようとして、八束はふと気付く。ここは異国で、周囲も洋風の墓ばかりだ。そもそも、彼の宗教なんて聞いた事がない。普通にお仏壇に対するような気持ちで、手を合わせていいものなのかわからなかった。
少し戸惑いながら長畑を見ると、一瞬動作の止まったこちらを見ながら、彼はくすくすと笑っていた。
「好きにしていいよ。気持ちで十分」
「はい」
しゃがんで、墓石に向かって手を合わせる。目を瞑って、写真でしか見た事のない長畑の両親の顔を思い浮かべた。
東欧人だったという彼の母は映画女優のように美しく、大学教授だったという日本人の父は知的で、品のある雰囲気を写真からも感じる様な二人だった。
この男はその二人の良いところばかり受け継いだのだな、とすら思う。
隣の男は今、久しぶりに訪れた異国で、新しい両親の墓石を前に何を思っているのだろう。
目を閉じているので、彼の様子はわからなかった。
昨日言っていた通り、謝罪をしているのだろうか。そう思いながら、八束は再び意識を目の前の墓石へ向ける。
向かい合っているのはどちらも故人だ。八束にとっては、面識もない。
(パートナーって言うかなんて言うか、そんなのはまだ全然おこがましいとは思うんですけど)
会った事もない人の墓前に、八束は一生懸命に語りかける。
中途半端な気持ちで共にいるわけではない事を、わかってほしかった。
甘え過ぎては駄目だとわかっている。
だが、家族以外に心から信頼できる大人がいる事が、自分にとってどれだけ心強い事だったか、考え出すときりがない。
この男の事を好きになってから悩まなくても良い事で悩んだり、情けなく醜態をさらしたりといろいろあった気がするが、「好きにならなければよかった」と思う事がないのが、不思議だった。
(ちゃんと考えてこの人の迷惑にならないように頑張って、はやくしっかりするように頑張って、この人を安心させられるように頑張って……)
そこまで考えて、「頑張る」しか言っていない事に気付く。具体的な誓いが何一つない。
(語彙が貧困だなぁ……)
情けなく思いながら目を開けると、長畑がじっとこちらを見ていた。
「……なんですか?」
「いや」
長畑の唇が、にんまりと弧を描く。
「眉間に皺寄せて、一生懸命なんかお祈りしてるなぁと思って。大丈夫だよ、夢に出てきて祟るような人たちじゃないから」
「あ……まぁ、優しそうな人たちでしたもんね」
八束は苦笑いをしながら、そう答えた。別に怖いから、一生懸命祈っていたわけでもないのだ。だが考えていたことを口にするのはあまりに恥ずかしすぎたので、そういうことにしておこうと思った。
「じゃあ、長居するのもなんだし、そろそろ帰ろうか」
伸びをしながら、長畑が立ち上がる。
「いいんですか? もう」
「いいのいいの。言う事は言ったし不義理は謝った。本当は、もっと僕が来るべきなんだけどね。親不孝してるものだから……」
そこまで言いかけて、長畑が言葉を止めた。
怪訝に思って長畑の視線を追うと、グラハムとサーシャが何やら川沿いで話している。後ろがやけに静かだと思っていたら、英国人二人は少し離れたところに移動していたらしい。
「どうしたんですか?」
近寄って声をかけると、サーシャは川沿いのベンチに腰を下ろし、具合が悪そうにうなだれていた。
「……すみません。ほんと、こんなときに、すみません……」
サーシャが消え入りそうな声で、何やらうなだれたままぶつぶつと呟いている。
「どうしたの?」
長畑も近寄ってきて、グラハムに声をかけた。
「いや、なんかねー」
グラハムは苦笑いを浮かべながら、サーシャの隣に腰かける。
「どうも、二日酔いの後に朝ごはん食べさせて歩かせたのが悪かったみたいです。いい歳こいて川に撒き餌してたよ、さっきまで」
「撒き餌って……」
グラハムの言いたい事は、なんとなくわかった。
「でも君らの邪魔にならないように大人しく頑張って吐いてたので、許してあげてください。でも大丈夫かね、本当に」
そう言いながら、グラハムはサーシャの背をさすってやるが、サーシャは力なく首を横に振っている。「大丈夫ではない」という事なのだろう。
自分達が真面目に墓前にいた間、英国人二人がやけに静かだったのは、そういう事だったらしい。
「昨日結構、二人して飲んだからねぇ……なんかごめんね」
「……いえ。あなたが元気なのは良い事なので。一緒に飲めて嬉しかったですし」
「自分が悪いんです」と呟くサーシャの声は相変わらず死にそうなものだったが、心配そうに問いかける長畑自身は全く元気そうだった。八束も、昨日テーブルの上にごろごろと転がっていく酒の空き瓶を見ている。
「あの、長畑さんは全然平気……?」
「うーん……二日酔いとかはないねぇ」
見上げて問えば、長畑は少々複雑そうな顔で笑って見せた。
「そろそろ、ザルだって認めた方がいいんじゃないですか」
「……君までそういうことを言うかい」
八束としては、心の底からそう思ったのだが、長畑は何故か不名誉だと思っているようで、頑なに認めてくれなかった。