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薔薇色の道

17 自衛


「百点満点?」
八束の言った言葉に、長畑は首を傾げる。
「なにそれ」
それは、真顔の問いだった。
八束の言っている意味が、さっぱりわからないらしい。長畑は先ほどの色気も吹っ飛んだ顔をしている。
「いやその、そんなに俺もうまくは言えないんですけど……」
あまりにも真顔で問われたので、八束は返事に困ってしまった。
少々俯きながら、落ち着いて言葉を絞り出す。
「俺から見たら、長畑さんは落ち着いているし、しっかりしてるし賢いし、まともな事言うし……なんていうか、ある意味ひがみなのかもしれないんですけど、俺が頑張っても六十点くらいだとするなら、長畑さんは常に百点というか、勉強しなくても百点というか、そんな印象なわけです。俺の中で」
「……うん?」
目の前の男は、首を傾げつつも一応、相槌をうって見せた。
(俺多分、相当意味わかんない事を言ってるんだろうな)
そんな自覚はあった。
夜中の、しかも寝起きのテンションというのもあったが、普段から何か不満があるとき、こうして長畑によくわからない絡み方をしてしまう。
自分の気持ちを、きちんと整理しきれていないのだ。
だが長畑は、そんな珍妙なこちらの言葉を解読しようと頑張ってくれる。
そんな彼の、こちらの話を最初から斬り捨てず、理解してくれようとする姿勢は好きだった。
そんな絡み方をしてしまうのも、長畑が基本こちらを拒絶しないと、自分でもわかっているからなのだろう。
(意味はわからんし、説明もきちんとできないし、黙ってる癖に機嫌は悪いし、八つ当たりはしているし)
そう考えてみると、自己嫌悪しか感じない。
元々は、自分がすっぱりと物事を決める事ができないのが悪いのだ。男らしく、思いきりの良い決心もできない。
いつまでたっても、同じ場所でぐずぐずとしている。
この男に何を言われようが、自分の決心が揺るがなければ問題なんてなかったはずなのだ。
「すみません。意味わかんない事言ってるのは、自分でもわかってるんですけど」
「それはいつもの事だから、別に」
「……」
そうはっきり言われては、八束としても返す言葉がない。
「ただ、言いたい事があるならきちんと話してよ。君はため込むと、あまり良くないタイプだから」
「……長畑さんも、いろいろため込むタイプなんじゃないですか?」
「そうかもしれないけどね。僕は僕で、君は君でしょ? 今は君の話」
「まぁ、そうなんですけど……」
(こっち見て、とは言ったものの)
自分の事を見てほしかったのは確かなのだが、いざ「言いたい事を言ってみろ」言われても、言えない自分が嫌だった。
(でもどう考えても、口に出したらただの馬鹿だし)

──自分がいなくなっても、あなたは平気なのか? なんて。

この男の事を好きになったとき、八束はせめて、この男の邪魔にならないようにしようと思った。
自分の気持ちを受け入れてくれるとは到底思えなかったから、一生黙っておこうと思った。でも結局、気持ちを押さえておけなくなって、勢いで告白してしまった。
受け入れてくれたことは奇跡に近いのだから、せめてこの男の足枷とならないように振る舞わなくてはならないし、早く釣り合う人間にならなければ駄目だと思った。
その気持ちは、今でも変わっていない。
(ただ人間、環境に慣れてくると欲張りになってくるんだろうな)
そんな事を、八束は身を持って感じていた。
なんとなく恋人と呼べる関係になってからも、遠慮はあった。
それが次第に慣れて来て「多少は甘えてもいいんだ」と思ったからだろうか。
当初はなかった、わがままな気持ちが芽生え始めている。
この男を独占してしまいたいし、自分がこの男を「好きだ」と思う気持ちと同じ熱量で、自分を好いていてほしい。ずっと自分を見ていてほしい。
だからと言って長畑が冷たいとか、普段から愛情が足りないとか、そう言うことではない。
実際、こんな遠い国まで連れて来てくれた。
絶対に人に言わないような事も、昨日は言ってくれた。
──ただ、寂しかったのだ。
離れても平気という態度をとられた事も。
同じ道を目指したいと言った事に、大して反応してくれなかった事も。
(でもそんな事思うって事は、俺はこの人の気を引きたかっただけなのか?)
少し落ち込むと同時に、そんな事も思う。
何を期待していたのだろう。
それなりに勇気を持って言ってみたつもりだったのに、己の決意などそんなものだったのだろうか?
だんだん、わからなくなってきた。
「ねぇ八束」
長畑の手のひらが、八束の顔に触れた。
両頬を掴まれ、上を向かされる。
「僕にどうしてほしいの?」
「……」
長畑の鳶色の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。だが八束は即答できなかった。
八束がどことなく不機嫌というのは、長畑にも伝わっているのだろう。
「言ってくれなきゃわからない」
(俺がこんなに意味不明なのに、怒らないこの人は凄いな)
そんな場違いな事を考えながら、八束は目の前の男から視線をそらした。きっと自分の立場であれば「意味がわからん」と腹を立てていたに違いない。
「あの、やっぱりいいです。ごめんなさい。もう寝ますから……」
「駄目」
そう素早く腰を浮かしかけた瞬間、手首を掴まれ引っ張られた。
長畑がそんな荒っぽい事をするとは思わず、完全に油断していた八束はバランスを崩して、声を上げる間もなく長畑に向かって倒れ込んでしまった。
「え、あ……ちょっと」 長畑の腕に後ろから羽交い絞めにされるように、八束の体は簡単に彼の体の中に納まってしまう。
「……言うまで逃さない」
耳元で囁かれた吐息混じりの声にぎくりとして、八束はぎりぎりとぎこちなく首を後ろに回し、すぐ近くにあった長畑の顔を見る。
彼は、薄く笑っていた。
だがそれは、いつもの「優しくて誠実な大人」なだけの表情で葉なかった。
(……やばい)
危険だ、と自分の中の本能的なものが告げた。だが薄暗い部屋の中で見る、長畑のそういった表情から、八束は目を離す事ができなかった。
──剥き出しの何か。
きっと見たかったものは、彼の綺麗に取り繕った顔ではなく、こういった生の表情だったのだろう。
(でもこの人まさか、怒ってる?)
本気で怒られた事がないので、どんな怒り方をするのかよくわからない。長畑の視線が恐ろしく八束が体を固まらせていると、長畑は八束を捕まえたまま、空いた片手を八束のTシャツの裾から滑り込ませた。
八束は一瞬ぎくりと身を震わせたが、その手は子犬の腹でも撫でるかのように、優しかった。
「……えっと、あの、なんか」
優しい感触なのに、腹や胸に触れられるたび、体がぞわぞわする。
「どこ触ってんだこの人」と長畑に視線で抗議をしてみるが、彼は悪びれた様子もなく笑った。
「あれば触るよね」
(よねとか言われても困るんだけど)
真顔の回答に、八束は曖昧に頷くしかない。
相手に触りたいという欲求は、八束もないわけでもなかった。
八束の場合は、長畑の髪が柔らかくて好きだったので、それに触りたいと思って過去に実行したことはある。
だがこんな直接的は触れ方をされるのは初めてだったので、どうしていいのかわからず、長畑の手のひらが肌の上を這い回るたびに飛び上がりそうになってしまう。
声は、意地でも上げたくなかった。奥歯を噛みしめて、おかしな声が出そうになるのを必死にこらえる。
こんな場面を、今寝ているであろうこの家の主に見られでもしたら、恥ずかしさできっと死にたくなる。長畑はきっと、見られても平気なのだろうが。
「言ってごらん。怒らないから」
そんな状況でぶるぶると震えていると、優しい言葉と共に首筋に軽く歯を立てられた。
「いっ……!」
──正直、血でも吸われるのかと思う様な痛みがあった。
「い、言えないです余計に……!」
「痛い」とは言いたくなかった。声を押さえながら抗議の声を出したが、声が上ずっている。
「大丈夫、怖い事はしないから。ただのスキンシップだし」
「……過剰だと思いますけど」
絶対なんか違う、という視線で長畑を見たが、彼は軽く笑うだけだった。
「それは君が慣れてないからだよ……そんなに今にも泣きそうな顔しないでくれない? 僕が悪者みたいだし」
「な、泣きそうになんてなってませんけど!」
「ならいいけど。こっちも無理強いする趣味はないので」
笑って言いながら、長畑の指が部屋の隅を指した。
八束が出てきた寝室のドアが、若干開いている。
「君の不機嫌の理由、話してくれたら放してあげる。どうしても言いたくないって言うなら、僕を一発殴って振り払って、あそこに逃げ込めばいい。そこまで追いかけたりしないから」
「……無茶言わないで下さいよ」
「君、非力ではないでしょう? それなりに力があるのは知ってる。僕を殴るくらい言いたくないって言うなら、それは仕方ないし。もう聞かない」
そう言って、長畑は八束の首に再度口づけた。
「……」
八束は歯を噛みしめる。もう聞かないという言葉に、少し冷静になった。
彼がそう言うのであれば、この話題には二度と触れて来ないのだろう。
それはそれで、きっと自分はもやもやしたものをずっと引きずるのだろう──八束はそう思い、唇を噛んだ。
「……殴りたくないです。それに俺が長畑さんを殴ったら、グラハムさんに殺されます」
「痴話喧嘩に口を出すほど、彼も馬鹿じゃないでしょう」
(いやいやいやいや)
彼の不機嫌の矛先は、理由が何であれ絶対にこちらに向くに決まっている。長畑を殴りたくはないし、グラハムにも殴られたくない。あんな男に殴られたらと思うと、ぞっとする。
それに、この状況。
死ぬほど恥ずかしいしどうすればいいのかもわからないのだが、長畑を殴って逃げ出したいほど嫌かと言えば、そうでもない。腹を撫でられるのにも少し、慣れてきた。
「……逃げるのは諦めます。好きにしていいですけど、あの、ほどほどに」
「どっち?」
長畑は呆れるように言うと、八束の肩に顎をのせた。
「君、僕に腹を立ててる?」
「……そうじゃない、です。そうって言ったら多分、ただの八つ当たりだし」
「何が気にくわない?」
「……」
八束は、右肩に重みを感じつつ黙った。
喋れば喋るほど、自分がどれほど子供で思慮が浅いのか、長畑に暴露しているだけのような気分になるからだ。
「……腹が立ったのは、あなたの完璧さと、強さです」
「百点がどうとか言ってた、あれ?」
八束は無言で頷く。
「俺が、馬鹿みたいにのろのろ考えてて、自分でも情けないなって思ってるときも、長畑さんはいつも通りで、俺を思って大人な回答をくれるわけじゃないですか。……気持ちが切れなきゃ離れても平気だよって、すらっと言えちゃうわけじゃないですか」
八束は、深く息を吐きだした。
「あぁ、この人俺がいなくても平常運転なんだ──って思ったら、なんか」
なんだか、落ち込んでしまったのだ。
「長畑さんが俺の事思って、好きに決めてって言ってくれたのもわかってます。それなのにそんな事思う俺が悪いってのも、わかってるんです。でも俺が」
「……誰が平気って?」
硬質な声音に、一瞬びくりとした。
八束の体に絡みついている腕に、力がこもったのが分かった。
「……だ、だって、いつも言うじゃないですか。口出ししない、好きにすればいいって、そんな事ばっかり言うから、わかってても寂しくなるじゃないですか!」
「そう」
熱くなりかけた八束の言葉に対する相槌は、短かった。
反論されないのが逆に恐ろしく、八束は恐る恐る、長畑の顔を見た。
こういうときの長畑は、非常に感情が読みにくい顔をする。
だから怒っているのか不快なのか何なのか、よくわからない。
黙って見つめていると、長畑が張りつめた空気を抜くように、ため息をついた。
「……どう言えば良かったのか、自分でもわからないけどね。……どうかな。僕が君に、どこにも行かないでほしいって真剣にお願いしたら、君は安心したの?」
「……真剣に?」
「そう。真剣に」
長畑は小さく頷いた。
「やっぱり好きだから、自分の近くに置いておきたいって思う。君と何週間も会わない事がここ一年なかったから、離れる事をあまり実感できないけど。君が僕以外のところで働きたいんだってなるのは当たり前だし、来年卒業したら現実的にそうなるんだろうし……そうなるなら、事前に心構えしておかないと、多分、そうなったときにきつい。君に良からぬことを言いそうな気がする」
「……」
八束が黙って長畑の顔を見ていると、目が合った。彼は目を細めて笑う。
「これは、ただの自衛だよ。……それに寂しいなんて言ったら、君は優しいものだから、無理に僕に合わせようとしてしまうかもしれないし。それは嫌だ。本当は、君が僕と同じ道に進みたいんだって言ってくれたとき、嬉しかった。でも、僕に影響されただけなら駄目だと思って、もう少しゆっくり考えてほしかった。どうなのかな、そこは」
長畑の言葉を頭の中でゆっくりと溶かして考えながら、八束は思う。
「そういうのは……少しあったかもしれません」
長畑への思いは関係ないのだと思っていたが、彼の反応が薄いと落ち込んだ。
やはり期待している部分はあったのだろう、と思う。
「でも、興味があるのは本当です。本当にできるのかとか、もう少しいろいろ見てゆっくり考えたいとは思ってますけど」
「うん。それがいい」
長畑はそう笑って、八束の肩口に額を押し当てた。
(自衛、か)
八束は全身に人肌の温かみを感じながら、カーテンの隙間から差し込む光を見つめた。窓の外は、少しずつ明るくなってきているのだろう。 カーテンに隠れてしまって、朝日の姿は全く見えないが。
「……長畑さん」
「うん?」
「なんか、変な八つ当たりして、ごめんなさい」
八束が素直に謝罪を口にすると、長畑がくすくすと笑っているのがわかった。
(なんで笑うんだろう)
何がおかしいのか、よくわからなかった。