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薔薇色の道

19 別に仙人を目指しているわけではない


「それはまた、随分と片田舎に行って来たのですね。楽しかったですか?」
八束の目の前で、サーシャが笑顔で話しかけてくる。
彼は今、リビングのソファに腰かけて、そら豆の皮などを剥いていた。二日酔いはもうすっかり良くなったらしい。八束も頷きながら、反対側のソファで同じくそら豆の皮を剥いていた。
今自分たちは、グラハムの家に戻っている。
夕刻、ちょうど自分達が帰ったタイミングでやって来たサーシャは、実家から送られてきたというそら豆と、新たなワインの瓶を片手に握っていた。
「先日はご迷惑をおかけしたんですが、恥ずかしいのも申し訳ないのも、飲めば治るかなと思って」
そう言って酒瓶を差し出したサーシャを見て、八束は「酒飲みの発想って怖いなぁ」と思い、返す言葉に困ったのだった。

今、台所にはグラハムと長畑が立っている。一人暮らしにはそこそこ広い家ではあるのだが、さすがに男が三人も立つと、台所が狭い。グラハムも長畑も大柄なので尚更だ。はじき出される形で、八束はサーシャと一緒にリビングで豆の皮を剥く事になった。
「実家、農家か何かなんですか?」
尋ねると、サーシャは機嫌よく笑った。
「もともとは違うんですけどね。両親が歳を取って、畑に凝りだしたんですよ。よく送ってくれるんですが、男一人じゃなかなか消費できないですから。私は料理できませんし、こうやって人に配ったりしています」
「へぇ。なんか、サーシャさんは凝った料理とか作れそうに見えますけど」
「やり出したら楽しいのかもしれませんけど、結局やらないままこの歳になりましたからね。グラハムがうちに来たとき、いつも調理器具がないって勝手に怒っています」
「あぁ、あの人は何だかんだでまめですから……」
八束は思い出し、苦笑いを浮かべた。過去に何度か長畑の家で、グラハムの料理を頂いた事があるが、普通においしかった。
長畑もどちらかと言えば食に対して興味の薄い男で、何を食べても美味いともまずいともなかなか言わずにいるのだが、それがグラハムにとっては楽しくないらしい。料理の作り甲斐のない男だと嘆いていた。
なので、そのときは彼の鬱憤が全てこちらに向いたらしく「あれ食えこれ食え」と、やはり胃もたれするほど食べさせられて感想を求められた記憶がある。
「私は、食べるより飲んでいたいってタイプなので。君は、どうなんでしょうね? お酒」
「え?」
問われて、目を丸くする。
「あの人と一緒に飲むようになったら、やっぱり付き合い方は変わってくるのかな。君は、あんまり飲めるようには見えませんけど」
「……どうでしょう? 俺、まだ飲んだことないので」
八束は豆を剥きながら考えた。
亡き父も家ではそんなに飲まない方だったし、母は根っからの「酒より甘いもの」という人だ。自分の年齢もまだ、飲酒は法律的にアウトだし、酒もたばこも特別手を出して粋がりたいわけでもない。友人達の中には率先して手をだし、悪ぶっている奴もいるのだが、八束自身は特にそんな欲求もないまま今に至っている。
(でも、酒かぁ。長畑さんは、すごく静かに飲むからなぁ)
飲んでも馬鹿騒ぎとは無縁の男だな、と思う。
家ではあまり飲んでいないし、霧島の兄と時々つるんで一緒に飲んでいるが、どこで飲んでいるのかと尋ねると「普通に居酒屋とか、たまにバーとか」と答えるので、彼ら二人の飲み会というものも落ち着いた、大人の雰囲気に溢れるものなのだろう。
(バーって言うと、なんか響きはかっこいいけど)
さすがにそんなところまでは引っ付いて行けないし、八束も行きたいとは言わないのだが、そういった響きには憧れがないわけではない。
だが酒の名前もよくわからないし、敷居の高さは感じる。
もし無事に二十歳を迎えられる日が来たら、一緒に行ってみたいなとも思う。行きたいですと言ったら、あの男はどんな顔をするのだろうか。二十歳になった頃の自分と長畑は、どんな関係でいるのだろうか?
八束が真面目に考えていると、サーシャが目を細めた。
「……まぁ一緒に飲んでも、前も言いましたけど、同じペースで飲んじゃ駄目ですよ。先日の私みたいに、死にますから」
「いや俺も、そんな恐ろしい事はしたくないんで……」
さすがに、まだ命は惜しい。
「ただあの人は、飲んでもあまり普段と変わりないですから、酔った席での特別なお話とかは、特にできないかもしれないですけどね」
「……それが、そうでもないみたいです」
八束がぽつりと呟くと、サーシャは視線をこちらに寄こした。
「結構緩んでいるところはあるんだろうなって思います。ただ、あの人の自制心って半端ないので、酔ってないように見せたりとか、そういうのは得意だろうし、自然にやっちゃうんだろうなって思います」
「……成程。結構相手を観察しているんですね、君は」
サーシャの口元が、小さく笑った。少しだけ関心をしているようにも見えた。
「あまり本心で喋ってくれる人じゃないですからね。そういうところは逃したくないんですよ」
「ふぅん。君たちって、付き合ってどのくらいなの?」
「えっと……」
首を傾げながら考える。
「俺から好きですって言ったのは去年の夏だったので、一年位前ですけど。付き合えているんだって思えたのは、去年の年末くらいからですかね。だから、そこまで長いわけじゃないんです」
「へぇ。でも相性が良かったのでしょうね。濃い付き合いをしているように見えますから──そう言えば農場、どうでした? 君、永智さんと同じような業界に行きたいから見に行ったんでしょう?」
「そうですけど、俺サーシャさんにその事言いましたっけ?」
「グラハムから報告済みです。土産いるかって現地から電話かかってきたんで、事情は聴きましたし」
(いろいろ筒抜けじゃないか……)
八束は内心ため息をついたが、別に聞かれて困る話ではない。
「……農場は、凄かったですよ。広いし。ここであの人が働いていたんだなって思ったら、凄く感慨深かったですし、ある意味、バラって言う狭い業界の中限定ですけど、世界の中心みたいな場所にいたんですから、感動しました。でも」
「でも?」
「実際立ってみたら、でかすぎてなんか怖くなりました。俺はあの人みたいに、こんな場所じゃ働けないだろうな、とか思ったり。やっぱりすごく特殊な世界なんだなって、改めて知ったような気持ちで」
やはり自分は、覚悟が足りないんじゃないかとか、これでいいのかとか、いろいろ考えてしまっている。長畑と同じ方向に行きたいんだとは本人にも言ったが、あれからもう少しゆっくり考えるように諭されたし、一度は決めたつもりなのに、やはりまだ思い切れない部分があった。
「……別に、あの人と自分を比べる必要はないのでは? 私などから見ても、君とあの人では人間のタイプが全く違います。向き不向きはありますからね、誰でも。行きたい方向が決まったなら、君はその中で自分の長所を伸ばす方向に行けばいいんですよ」
「……え?」
大きなそら豆をばきりと折りながら、サーシャは手を動かしつつ告げた。
「例えば、私の仕事はグラハムと同じく建築士ですが、一言に建築関係って言っても、私たちだけじゃ建築物は出来上がりません。設計をする者、図面を基に作業する者、資材のメーカーやそれを取り扱う会社など、いろいろ関わっています。それに現場の職人って言っても、大工水道電気、それぞれにわたっているわけですよ。そこはわかるでしょう?」
「はい」
「身近で例を上げるならグラハムですけど、あの男の実家、何代も前から続く有名な大工なんですよ。あの男、子供の頃から職人となって家を継ぐのだと言っていました。でも結局そうしなかったのは、自分の得意不得意を理解していたからですよ」
「……そう言えばなんか、不器用だからこっちの道を選んだとか前に」
「そう。妙に下手なんですよ。できないわけじゃないんですけど、何と言うか。日曜大工なら私の方がまだ上手いです。私、大工修行なんてしてないんですけどね」
サーシャは苦笑いしながら、取り出した豆を金属のボールに入れる。
故郷で幼馴染だったという彼らは、幼少時はそこまで親しくなかったと言っていた。だが狭い片田舎で育ったらしいので、互いの事はよく知っていたのだろう。
「でも図面を描いたり、デザインや発想力では、私は彼には敵わないなと思わされます。社交的な面でもね。でも、そんなものなんですよ。そっちに行きたいって気持ちだけ固まっていたら、自分の適性の方向に向けて進めばいいんです。向いてないけどやりたいって人間は、リスク承知でそれを目指せばいいでしょうし、失敗してもそれはそれです。説教みたいな事を言いますが」
「いえ」
八束は慌てて首を横に振った。
「なんか、すみません。サーシャさんにも気を遣わせてしまって」
「そんな事はないですよ。あの二人に相談したところで、あんまり役に立たないでしょう? グラハムは悩むのが面倒ってタイプですし、永智さんは他人は他人って感じの人ですから。結構、君の事も放任主義でしょう? 好きにしろとか言いそうで」
「……よく御存じで」
「でしょう? だてに長く付き合ってないです」
真顔で頷いた八束を見て、サーシャは声を出して笑った。
「まぁでも、どうするにしろ、また是非いらしてくださいね。永智さんと一緒に。今度は、一緒にお酒飲めたらいいですね。ジュース組みがいなくなって、グラハムが寂しがるかもしれませんが」
「うん……そうですね」
確かに、また来たい。そんな思いで八束は頷いた。自分が飲めるようになった頃、自分はきちんと身の振り方を決めて頑張れているだろうか。長畑と変わらず上手くやれているだろうか。あの男の力になれる存在に、近づけているだろうか?
そんなしんみりとした思いで台所の方に視線を向けたのだが、台所の二人は仲良く料理をしている──ようには見えなかった。
「ちょっと。塩量れって何度も言ってるのに、何でそう目分量で突っ込むの?」
「大丈夫ですってば。ちゃんとできる。私経験と勘がそう言っている」
「一番信用ならないんだけど、そういうの……」
(性格の違う人間と料理って、大変だよなぁ……)
そんな声が聞こえてくる台所を、八束は冷や冷やした思いで見つめた。そんな八束を見て、サーシャは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫ですよ、あれもただのスキンシップですから。それはそうと、あの人をお願いしますね」
「あの人?」
サーシャは控え目に笑いながら、小声で告げた。
「永智さん。器用なんだか不器用なんだか、わからないような人でしょう? 私に口を出す権限はありませんが、やはり昔から知っている人なので、多少思う所はありますし」
「……」
お願いしますと言われたら、それは「任せておけ」と答えたい。しかし、そんな格好いい台詞を吐くには、自分はまだ修行不足のような気がした。
「俺も、頼られる人間にはなりたいと思うんですが、思うばっかりで、結局あの人の世話になってばかりです」
「あの人も君が気に入っているから、世話を焼くのですよ。興味のない人間に、そこまで関わるタイプじゃありませんから」
「そう言われると、なんかあの人がすごくドライな人に聞こえるんですが」
「実際そうじゃないですか?」
「うーん……」
八束としてはあまりそう思った事がなかったので、素直に同意しかねた。
確かに長畑は、八束の私生活にはあまり口を出してこない。サーシャの言う通り放任主義と言えばそうなのだが、手綱はしっかりと握られているような気もする。
だがその手綱で握られているような感覚こそ、彼の自分に対する執着そのものなので、八束としても煩わしいとは思わなかった。人は人、自分は自分を地で行く男だが、自分は彼にとっても逃したくない生き物という事らしい。
彼の執着は時折恐ろしいが、愛されているという証拠でもある。刺々しい執着の中にも、こちらを極力傷つけないようにという気遣いが見えるのも知っている。
だからそんなに、冷たい人間だとは思っていない。
そんな事を考えていたのだが、サーシャはまた八束が悩んでしまったと思ったらしい。眉を寄せて、こちらを気遣う様な表情を見せた。
「君は、真面目ですからいろいろ考えてしまうんでしょうね。もうちょっと、欲望に忠実に生きてもいいんじゃない? 私なんて、十代の頃は寝る事ヤる事しか考えてなかったですよ。君は、若いのに人間が出来すぎです」
「そ、そうですか……?」
気遣う表情だが出てきた言葉はそんなものだったので、八束としては非常に言葉に詰まった。
「俺、その手の欲求っていうのは、あんまり」
「ふぅん。仙人でも目指しているんですか?」
「思考が吹っ飛び過ぎです、サーシャさん……」
肩を落としながら、八束は首を横に振った。ボールの中の最後のそら豆に手を伸ばす。
「別に俺は、仙人志望でも草食系でもないですよ。さすがに人並には、その手のものもありますし……」
「ソウショクケイ?」
言い終える前に、サーシャの顔に疑問が浮かぶ。言葉がうまく繋がらなかったらしい。
「あ、いえ。草ばっかり食べているわけではなく、何て言うのか……恋愛方面でがつがつしていないというか、奥手な男の事を草食系男子とか呼ぶわけですが」
「それ、男として終わってますよね? 生物的な意味で」
「……」
冷静な言葉に、返す言葉がない。しかし説明も難しい。
「まぁ、そういう言葉もあるんですが、自分ではあんまりそういうつもりはないです。長畑さんも多分、そうじゃないと思うし。あの人は見かけによらず肉食というか」
「あぁ、あの人は頭からばっくり食べる側でしょうね。骨まで噛み砕きそうな」
八束は無言で頷いた。
「……多分、そうだと思います。なので、なんていうかその、いろいろ難しいなぁ、みたいな」
「顔、赤いですよ」
「すみません、あんまり見ないで下さい……」
自分で言っていて、何を言っているのかよくわからなくなってきた。俯きながら豆を全て取り出すと、金属のボールに入れる。目の前のサーシャは、にやにやとどこか楽しげに笑っていた。
「八束君」
「はい?」
「今後の事も、あの人との事も、君のしたいようにすればいいじゃないですか。いろいろ余計な事を考えすぎるから、おかしくなるんですよ。全部上手くいく方法なんて、あるわけないんですから」
言いながらサーシャは豆の入ったボールを持ち、席を立った。それをそのまま、台所に持って行く。
「サーシャ、豆の皮剥けた? 君のところの野菜はおいしいよねぇ」
「まずいって言われたらぶん殴るところでしたけど。両親にはそう伝えておく」
物騒なグラハムとサーシャの言葉が聞こえてきたが、雰囲気自体は和やかだった。
そんな会話を聞きながら、八束は息をつく。
(そりゃそうか……)
全部上手くいく選択肢なんて、きっとないのだ。何かを選べば、その分必ずリスクというものはついて回る。自分はそれを怖がっていて、選びきる事ができないでいる。
(俺の適性とか長所って、なんだろ?)
考えてみたが、全く思い浮かばない。
ソファに体を横たえる。何となく体がだるかった。旅行の疲れが少しずつ溜まってきている気がする。
ちょうどそのとき、長畑が台所から手を拭きながら出てきた。
「君、どうしたの? 具合悪い? 疲れた?」
長畑はこちらにやってくると横に座って、八束の頭を撫でた。それが気持ち良くて、八束はとろとろと目を閉じる。
「……長畑さん」
「何?」
「俺の長所って、なんでしょう」
「君の?」
長畑は八束の頭を優しく撫でながら、少し考えるように間を置いた。
「そうだなぁ。沢山あるけど、君の良いところは人の事も、自分の事みたいに思って心配できる事だろうね。僕はそんな事できないし」
「……そんな事ないでしょう?」
「そんな事あるんだよ。僕は自己中の塊だからね」
彼は笑いながら、夕食の前に寝室で一眠りするかと尋ねてきたが、八束は首を横に振った。
もう少しこのまま、長畑に構ってもらいたい気分だった。