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薔薇色の道

21.5 お土産です!


「これ、お土産です」
夏の、刺さるような日差しが照りつける午後の事。
冷房の効いた喫茶店の片隅にあるテーブルの上に、長畑はイギリス土産の紙袋を置いた。
目の前にいるのは、霧島要だ。
イギリスから帰って三日ほど経過していたが、彼から「お帰りなさい。ご無事で何よりです。今度旅行の話でも聞かせてください」と非常にまめなメールが届いていたので、今度土産を渡したいと返信したところ、たまたま近くにいたという彼と昼休憩がてら、会うことになった。
「なかなか渡す機会がなくて、すみません。中身、紅茶です。芸がなくて申し訳ないのですが」
そう言って差し出すと、霧島兄は氷たっぷりのアイスコーヒーのグラスを両手で持ったまま、テーブルの上に乗った紙袋を見つめ、どこか固まっていた。
「あ、すみません。紅茶、苦手でした?」
よくよく考えてみると、この男は伝統的かつ豪華な造りの純和風家庭で育っている。離れには茶室もあるような家だ。どちらかと言えば、日本茶の方が好みなのか、と思った。
「あ、……いえ、とんでもない」
長畑のそんな視線に気付いたのか、霧島兄は慌てて首を横に振った。
「まさか、僕が本当にあなたからお土産を貰えるとは思わなかったので……少し驚いてしまいました、すみません」
「出発前に交通安全のお守りを頂いた、そのお礼です」
「あぁ……僕も忘れていましたけど……何と言うか、大したものではなかったのに。ご丁寧に、ありがとうございます」
「いえ、お気持ちは有難かったので。八束も霧島君にお土産買っていたので、もしかしたらかぶっているかもしれませんが」
その言葉に、霧島兄は柔らかい笑みを見せた。
「弟も何かいろいろ貰ったみたいで、凄く嬉しそうにしていましたよ。うちの親も、あいつに友達ができた事がすごく嬉しいみたいで。八束君にも、僕が感謝していたと、お礼をお伝えください。あとこれは、大事に頂きます。飲むのが少し勿体ないですね」
そっと紙袋に手を添えて、霧島兄は自分の隣にそれを置いた。
「それはそうと、帰省はどうでした? 以前よりもすっきりとした顔をされているような」
「すっきりしていますか? 僕」
すっきり、の意味が良くわからなかった。首を傾げながら問うと、霧島兄も苦笑いを浮かべた。
「何となく、ですけど」
「顔色的なのですか? あっちにいるときには三食しっかり食べさせられ……いえ、食べていたので」
「……あなたはもう少し、普段の食生活を気遣った方がいいのでは」
「時々なら自炊もしていますよ? 料理するのは嫌いじゃないです。ただ出先にいる事も多いので、毎日はなかなか」
 時間通りの食事など、無縁のものだった。冷蔵庫の奥で物を腐らせるのも嫌なので、あまり買い置きもしたくない。
「あぁ、わかります。僕も大学時代に一人暮らしやっていたときはそんな感じでしたが……ただ、あなたの場合は体資本のお仕事ですし」
「食べるときは食べているので、大丈夫ですよ。まぁ、気持ち的に言うなら、帰ってよかったとは思いました。その差かもしれませんね」
「……なら、良かったです」
霧島兄は満足げな表情を浮かべ、アイスコーヒーを飲んだ。
目の前の自分よりも二つ年下の男は、地元の、代々議員家系という名家の跡取り息子だ。
人間関係の横のつながりというのは不思議なもので、春先に知り合ったこの男とは、ぽつぽつと話すうちに、親しいと言えるような関係にはなってきた気がする。
質のよい濃紺のスーツを着慣れた姿と、薄い眼鏡のレンズの奥に光る細い瞳は、品の良さと知的な空気を放っていたが、案外野心家で少々残念な性癖の持ち主だ、という事も知っている。その残念な性癖が、自分に向けられている、という事も長畑は知っていた。
自分もまともだとは思っていなかったが、その感情は今後政治家をやるには少々危なっかしく、邪魔なものではないか? とも思う。
以前、霧島兄は両親に見合いを勧められている、とぼやいていたので「やればいいじゃないですか」と答えた事がある。
すると男は、珍しくこちらを睨んだ。
──真面目に言っているなら、怒りますよ?
そのときばかりは、こちらも少々無神経だったと、長畑も反省した。
しかしこの男の好意の方向性としては「こちらの上に乗りたい」「押し倒したい」方らしいので「あ、そうですか」と簡単に応じてやる気にもならないものだった。
だからと言って、強引な手段に出られたこともない。恐らく育ちの良さが邪魔をするのだろう。喧嘩もした事がないのだと言っていた。
そんな奇妙な爆弾を抱えた関係ではあったが、不思議と縁が切れる事はなかった。恐らく、互いに社会に出て数年たって、気楽に酒を飲みながら話せるような友人を欲している部分があったのかもしれない。
霧島兄は頭の良い男で、人の顔色を読む事に長けていた。余計な神経を使わずに済むし、霧島兄にとっても、それは同じだったらしい。何となく、ずるずると友人関係は続いている。
だが八束などは、二人の会話を「取引先の、ビジネスマン同士の会話みたいですね」と言っていた。友人にしては何だか喋りが硬い、という事らしい。だが癖づいてしまって、今更砕けた口調で話すのもおかしな気がした。八束も、いくら言っても未だにこちらに敬語を使い続けるのだから、似たようなものである。
「……そう言えば、弟がいきなり大学に行くとか言い出しまして。こんな時期に」
しばらく黙っていた霧島兄は、思い出したようにぽつりと言った。
「いきなりって、元々志望は違ったんですか?」
「えぇ。両親も僕も進学を勧めていたんですが、あいつ学校はもういいとか言っていたんですよ。それが、英語を身につけたいから英文科に行ってみたいとか言い出しまして。親は歓迎していましたが、今言うかって言う感じでも、ありますよね」
「へぇ」
長畑は、彼の弟の顔を思い浮かべた。 八束の同級生でもある彼の弟は、兄とはあまり顔も似ておらず、小奇麗な顔をした、口数の少ない内向的な少年だった。ほとんど話した事がないが、八束は仲が良いらしい。よく話題にしているのを聞く。
「僕は、日本の大学入試ってやってないのでよくわからないんですが、結構前から行くところ決めて、準備して勉強していくって感じなんですよね?」
「レベルの高いところに入ろうと思えば、そんな感じだと思います」
目の前の男は、頷いて答えた。
「成績はそこそこなので、どこかには入れるとは思いますが、両親は弟の体調が心配なので、まだ一人暮らしはさせたくないみたいで。近場で、弟の希望もあってって言う、そのあたりの折り合いが難しいですね。決めるにも時間があまりなくて……そう言えば、八束君はもう決まったんですか?」
「それ、あまり本人に向けて言わないで下さいね。決まらない事、結構気にしていますから」
「あ……そうでしたか」
霧島兄は歯切れ悪く、そう答えた。 八束が、どこか焦っているのがわかるので、長畑もあまりその話題を出して追いつめたくもなかった。
そこまで焦らなくても大丈夫だと言うのだが、八束も若いなりに男のプライドがあるのだ。家族の為にとも思っているし、自分の為に、というのもわかる。
旅行が気分転換くらいにはなるかと思っていたが、そうでもなく、逆にいろいろ悩ませる時間を与えてしまったらしい。二日ほど寝込ませてしまった。
「彼は真面目なので、考えなくてもいいような事でも悩むんですよ。僕なんかは、もうちょっと自己中になってもいいんじゃないかと思うくらい。普段しっかりしている分、どつぼにはまるとなかなか浮上できないみたいで」
自分の後を追うだけには、なってほしくない。勿論気持ちは嬉しいが、彼には家族もいるし、先の事は自分より、家族に相談してきちんと決めればいい。
こちらは、彼が何を選ぼうとも失望なんてしない。彼の人生だし、こちらが下手に口を出してはいけないし、何を言われてもこちらが受け入れなければ──そう思うのに、なかなかそれが伝わらない。そこには少し、もどかしいものを感じている。
「そう言えば、以前から思っていたんですけど、長畑さんって八束君と話しているときだけは、結構雰囲気違いますよね。優しいのはそうなんですけど、兄弟みたいに見えます」
「兄弟?」
意外な言葉に、長畑は目を丸くした。
「いえ、僕が勝手にそう思っただけなんですけど。以前八束君にそう言ったら、それはおかしいって言われましたし。何と言うか、とても親身と言うか」
「あー……普段人に冷たいですからねぇ、僕」
笑って言えば、霧島兄は慌てた様子で首を振った。
「そうじゃないんです。でも、好きな子は、甘やかしたくなるタイプなのかなーと」
「うーん……人によります」
長畑は苦笑した。八束の場合は、こちらの一言で一喜一憂しているのが手に取る様にわかるので、つい甘くなってしまうだけだ。それは自覚している。ただ口に出すとただの惚気のようだったので、この男に聞かせるのもどうかと思い、黙っておいた。
「……まぁでも、あの年頃は進路とかでいろいろ大変ですけど、終わってみれば一番楽しかったなって、思うものなんじゃないですかね? 僕なんかはそうですけど、長畑さんはどうでした? あなたの十代って、あまり想像ができませんが」
霧島兄はストローで、氷が多くなったコーヒーをかき混ぜながら、悪戯っぽく問いかけてきた。
「いや、普通でしたよ? 多分。高校まで寮生活でしたから、特に遊んでもなかったし。早く大人になりたいって、そればっかり思っていたような気がします。その点では、今の方が良いです」
「へぇ……まぁ人それぞれですよね」
無難な相槌を打って、霧島兄はアイスコーヒーを飲み終え、腕時計を見た。
「……あ、すみません、そろそろ戻らないと。仕事を抜けてきているので。せっかくお土産まで持って来て頂いたのに、ばたばたしてしまって」
「いえこちらこそ。突然で、すみません」
互いに頭を下げると、霧島兄は席を立った。
「そうだ。今日の夜よければ、また飲みに行きませんか? 美味しい地酒の店を見つけたので」
「それは是非……と言いたいのですが、霧島さんは結構きついのを飲んでいると酔いますから、セーブしてくださいね」
「え」
霧島兄の笑顔が少し、固まった。
「……ちなみに聞くんですけど、僕なんか長畑さんに絡んで、ご迷惑かけたりしました?」
「いや、大したことないです。もっと絡む人間知っていますから」
「そんな笑顔で言わないで下さいよ! すみません、僕どんな絡み方したんですか!」
「……腕相撲」
「はい?」
長畑はテーブルの上に、片肘を立てて見せた。
「腕相撲で自分が勝ったら、一晩付き合って下さいって言われましたけど。そういうのって相手によってはいろいろ危ないと思うので、今後気を付けてくださいね」
「……何もなかったって事は、多分、僕はその腕相撲に負けたって事で……?」
「僕、結構力は強いんです」
笑顔で答えれば、霧島兄も乾いた笑いを漏らした。
「いや、まぁ何て言うか、上背で既に負けてますし、長畑さん向こうの血も入ってらっしゃるから、強いの当たり前って言うか……」
「うーん……血は、あまり関係ないと思いますけど」
「いや、でも本当にすみません。何言っているんでしょうね、僕は……早く言ってくれればいいのに……」
霧島兄は赤くなったり青くなったり、顔面が忙しそうだった。
「でも、あまり気にしないで下さい。僕は結構楽しんでいますから。嫌なら、こうやってお土産なんて買ってきませんよ。日頃お世話になっていますし」
長畑の言葉に、霧島兄は額を押さえつつ、情けない笑みを浮かべた。
「あなたは僕の、貴重な友人ですから」
「何だか、喜びたいのか何なのか、複雑な気持ちですよ……」
冷房の効いた空間の中、額に浮かんだ汗をぬぐって、霧島兄は笑った。