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薔薇色の道

26 暑さと汗


思わずソファの上で、ぴしりと背筋を伸ばしながら正座をして、「よろしくお願いします」と頭を深々と下げたところ、長畑は若干引き気味の視線でこちらを見てきた。
「……何ですかその顔」
八束としては覚悟を決めた勢いだったのだが、何でそんな嫌な顔をされなければいけないのかと、少々不満げに顔を上げる。
「いや、だって」
隣で、長畑は困ったような顔で首を傾げていた。
「挨拶から始まったのは初めてで……。まぁいいんだけどさ。君らしいと言うかなんというか」
「仕方ないでしょう、そういう事したことないんだから! 他と比べないでくださいよ!」
「うんうんわかった。悪かったよ。じゃあ気分を変えて、ちょっと移動しようか」
喚く八束を適当に宥めて、長畑は八束を立ち上がらせた。
連れてこられたのは、長畑の自室である。
「うわ、暑っ!」
部屋の扉を開けた途端、八束は声を上げた。部屋は閉め切られていたので、室内は温室のような熱気で満ちている。
「まぁ狭いから、すぐに冷えるでしょう。そこ座って」
言いながら、長畑は机の上に置いていたリモコンで、エアコンのスイッチを入れた。起動の電子音と共に、エアコンが動き始める。
八束は座ってと指示をされたベッドの上に腰かける。シーツも干したてのように暖かく、熱気でふかふかになっていた。
「なんか、改めると変な感じだね」
身をガチガチに縮こまらせて座る八束の隣に、長畑が笑いながら腰かけた。
手がするりと伸びてきて、慣れた手つきで制服のYシャツのボタンをはずしていくのを、八束は感心した思いで見つめる。
「……意外」
「何が?」
指の動きを止めることなく、長畑が視線をこちらに向けた。至近距離で、目が合う。
「なんかこう、もうちょっとガーっといってビリッといく感じがしていました」
「……ちょっと、擬音多すぎてわからないよ」
「あー……何というか、よくあるじゃないですか。シャツびりって裂かれたりとか。あんな感じでがっつかれそうな感じがしていました」
「僕は、そんなにがつがつしているように見えていた?」
「ときどき。でもそういうのも格好よくできちゃうんだろなぁって、思っていました」
この男ならそういうのも絵になるのだろうなと、密かに思っていたりもした。
長畑は呆れた様な笑いを浮かべながら、八束の手を取り、丁寧にシャツを脱がし終える。
「でも、実際に破いたら困るし、君怒るでしょう? これ制服だし。それに、着て帰るもの無くなるじゃない。君、今日は着替え持って来てないっぽいし」
「あとは、このTシャツくらいですかね」
八束は、白シャツの下に着こんでいたTシャツを指差した。暑さと緊張で止まらない汗が、しっかりとしみ込んでいる。一日放置したら、臭いも含めてとんでもない事になりそうだった。
「明日の朝、一緒に洗うよ。後で洗濯物のかごに入れておいて」
「わかりました、けど……」
首筋に口づけを受けながら、八束はぼんやりと思った。
「なんか会話にムードとか、そんなのが全然ないですよね」
八束の緊張に反し、完全にいつものそれ、である。
「うーん……君肌綺麗だねとか、そういう事言ってほしいの?」
「……」
耳元にそう囁かれる図を想像してみたが、あまりピンとこなかった。
「想像してみたけど、あまり嬉しくなかったです」
正直に告げてみた。
男の自分が肌を褒められたところで、どうしろと言うのか。
「でも実際、君肌綺麗だよ? さすが若いだけある」
八束のTシャツをたくし上げ、わき腹に指を這わせながら、長畑が淡々と言った。
「……っ、それ若さしかないって事じゃないですか」
昔から、腹周辺を触られるのに弱い。くすぐったくて仕方なくなる。
「そんな事は言ってないよ。でも、他愛もない事を話しながらの方が、君も多少気がまぎれるでしょう?」
(……あぁ)
何となく、すとんと腑に落ちた。
この男は、自分をリラックスさせたいのだ。
そう思うと、この男はなんて気遣い屋なのだろうと思えてきた。じわじわと嬉しさのような、気恥ずかしいような、そんな感情が湧き出てくる。八束は長畑の胸板に、額を押し当てた。
「……やっぱり、格好いい」
「え?」
様々な感情を込めて言ったのだが、長畑は何の事やらよくわからなかったらしい。素っ頓狂な声を上げていた。

暖かったシーツも、すっかりエアコンの冷気で冷えた。
ひんやりとした感触を背に感じながら、八束は覆いかぶさってくる長畑の首に両腕を回す。慣れた手つきで服を脱がすのも肌に触れるのも身をほぐすのも、この男はじれったいくらいに丁寧だった。
大事にしてもらっている感じは嬉しいが、なんだか自分が何もできていない気がして、八束は目の前の男の鎖骨に齧りつく。
「痛いよ」
半分笑いを交えながら、長畑が抗議の声を上げた。歯をたてた肌は、少しだけしょっぱさを感じた。この男の、もともと白い肌に、赤い歯型が少しだけ残る。
「この前、噛まれた分のお返し」
「なかなかいい性格をしているね、君は」
だが言葉に反して、長畑も怒ってはいないようだった。互いにじゃれ合うように、肌に唇を寄せる。八束が長畑の首にしがみつきながら口づけを求めると、長畑もそれに応えた。
「ん……」
長く長く、舌をからめ合う。息苦しさと、頭の奥がじんとするような感覚に、思考が緩む。
そのとき、ひざ裏を抱え上げる様に、両足が広げられる。
「あ」
思わずびくりと、体が逃げをうった。体をよじるが、足をしっかりと掴まれており、動けない。
「怖い?」
こちらが怯えたようなそぶりを見せたからだろう。
長畑が気遣う様な視線でこちらを見下ろしている。
「……怖く、ない」
本当は、震えていた。だが歯まで震えてがちがちと鳴りそうなのをこらえて、八束は首を横に振った。
──この男だから大丈夫。
この男じゃないとこんな事絶対に嫌だが、この男だから大丈夫。
嫌じゃないと、自分が言ったのだ。
今ここで止めたいと言ったら、この男は何とか辛抱して止めてくれるかもしれないが、そんな情けない事はしたくない。
多分自分でも、後悔しそうだと思った。
──うだうだ考えてばかりの、臆病な自分から変わるのだ。
八束はぎゅっと、目をつぶる。
「いいから、早っ……あっ!」
言い終えるよりも前に、押し当てられていたものが、ぐっと体内に押し込まれる感触を感じ、八束は衝撃に背をのけ反らせる。
「い、ぁっ」
「……っ、力、抜いてて」
長畑の声も、どこか切羽詰まっているようだった。
八束はその声に、歯を食いしばりながら首を振る。散々慣らしてもらったが、無理だ。
──痛い。
こんなの入るわけがない。
だが悲鳴を上げたくなくて、八束は必死に声をかみ殺す。
「きつい、なら、止める?」
「それ、も……嫌だっ……!」
だからと言って、止められるのも嫌なのだ。シーツを固く掴みながら、八束は泣きながら叫ぶ。
「う、あっ……」
ゆっくりと時間をかけて全てを受け入れたときには、互いに息をきらし、汗だくになっていた。冷房の効いた部屋の中で、長畑の汗が八束の胸元に落ちてくる。
「大丈夫……なわけ、ないよね」
長畑が心配そうに、八束の顔を覗き込んだ。
額に汗を滲ませている。流れた涙で濡れる頬に触れてくる手も、熱い。
「大丈夫、じゃないですけど……」
八束は呼吸を整えながら、視線を合わせた。
「長畑さんも、途中で……止めらんないでしょ?」
挑発的な言葉に、長畑の口がにっと笑ったのが見えた。
その表情に、八束も力なく笑う。
(この顔だ)
──大好きなこの男が見せる、自分への執着や欲望のようなもの。
そんな顔が、ずっと見たかった。