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薔薇色の道

27 派手さはなくとも


ここには、二人しかいないとわかっている。
外はまだ少し明るいが、こんな時間に誰も訪ねて来ない事も知っている。
しかし、声を出したくなかった。
最初は意地でも情けない声など出すかと、歯を噛みしめて耐えていた。だが肌を重ねながら揺すぶられるうちに、そんな意地はどうでも良くなってくる。頭がぼんやりとしてきて、痛みも体の奥に感じる異物感も、遠くなった。
「ん、ふっ……」
何度も舌を絡めて、口づけを交わす。飲み込めなかった唾液が口の端から垂れて、下のシーツに染みを作った。
冷房が効いているはずなのに、汗が止まらない。額からもこめかみからも、汗が伝う。
触れている部分、繋がっている部分が熱い。
人肌とはこんなに熱いものだったのかと、今更知った。
「……う」
中を抉られて、八束は呻きながら、長畑の背にすがりつく。
何度か思いきり、背に爪をたててしまった。長畑が時折痛そうな顔をしていたのでしまったと思ったが、後の祭りだ。
八束は息を整えながら、汗で髪を額に張り付かせている長畑の顔を覗き込む。
 ──自分なんかと寝て、この男は楽しいのだろうか。
正直、よくわからなかった。気持ちいいのかと言われても、それもよくわからない。
体はされたように反応するが、それを楽しむ余裕も、今の自分にはなかった。
翻弄され、ただ叫ぶだけ。
それよりも、この男だ。八束は荒い息を整える。
「したいように……して、いい、ですから」
こんなときに、気なんて遣ってほしくなかった。思いきり、好きなように、したいようにしてほしい。だがそんな言葉は上手く声になってくれず、半分は吐息として掻き消えた。
「……そんな事、そんな顔して言わないの」
長畑が笑いながら、顔を近付けて八束の目じりに浮かぶ涙を舐め取る。
「──凄く、めちゃくちゃにしてやりたくなるじゃない」
「はは……」
思わず、笑ってしまった。
この男も、いい性格をしていると思う。だが自分にだけ、こんな性悪で情欲な部分を見せてくれるなら、それでいい。それだけ執着されているのだと思えば、たまらなくなる。
──この男は、自分のものだ。
誰が何といおうと、今この男は、自分だけのものだ。
「んぅっ……あ、あぁ」
だんだんと突き上げが激しくなってきて、ベッドが軋んだ音をたてる。ひざ裏を抱え上げられ、より深く交わる感覚に、八束は耐えきれず髪を振り乱して叫んだ。
「あぁ、あ、い、あぁっ──!」
抉り込むように押し込まれた瞬間、感じた事もないような快感に、体がはじける。思考が一気に吹き飛んだ。


(だる……)
どっとした疲れに、八束は、重いまぶたをのろのろと開ける。
ほんのわずかの時間、意識を飛ばしていたらしい。
一瞬、今自分がどこにいるのかわからなくなったが、先ほどのベッドの上で手足を投げ出して、体は全裸のまま転がっていた。終わった、らしい。
「……大丈夫?」
半目でぼんやりとしているこちらを不安に思ったのか、長畑が顔に手を添え、両目をのぞきこんできた。
「だいじょうぶ、です」
反射的にそう答えたが、声がすこし枯れていた。長畑が収納から乾いたタオルを取り出して、体を拭いてくれる。
「シャワー浴びてくる?」
されるがままになりながら、八束は首を横に振った。
「……もうちょっと、やすみたいです」
緊張が解けて、体は脱力感に襲われていた。このままもう少し、ここでだらだらと過ごしたい。服を着るのも面倒だし、動きたくない。今ここで風呂場に行って熱い湯なんて浴びたら、ひっくり返りそうな気がした。
「いいけど体、冷やさないようにね」
乾いたタオルケットを取り出し、長畑が体にかけてくれた。それにぐるりと簀巻きのように丸まっていると、長畑がベッドのそばに腰かけて、頭を撫でてくれる。
それが気持ち良くて、ついとろとろと寝そうになってしまう。火照った肌がエアコンの冷気で冷えていく感覚も、心地よい。だが長時間このままでいると、確かに風邪を引いてしまうだろう。
「……俺、ちゃんと、できましたか?」
寝転がったまま見上げて言うと、長畑は苦笑した。
「そんな事心配してたの?」
「いやだって、体の相性悪いとか言われても今更困るし。もしちゃんとできてなかったら、次回頑張るから、今後のために」
「本当によくわからない事を努力しようとするよね、君は……」
 長畑が呆れながらも、八束のこめかみに口づけを落とす。
「――大丈夫。凄く可愛かったから」
耳元にそう囁かれて、思わずシーツに顔をうずめて震えてしまう。反論したかったのだが、恥ずかしさで何も言えなかった。
ふと長畑の背中を見ると、やはり思いきり爪をたててしまったようだ。背中一面に、赤い爪痕がはっきりと残っている。
「……背中、痛いですか?」
「え? あぁ、平気」
 長畑はにっこりと笑って見せた。だが痛くないわけはないだろう。皮が抉れて、血が滲んでいる部分もある。こちらも必死だったとはいえ、申し訳なくなってきた。
「爪、切っとけばよかったです。すみません……」
「だから平気だって。多分僕は、しばらく背中を鏡で見て、にやにやしていると思うから」
「……それは止めてください」
想像したら、あまり麗しくなかった。寝転がったまま、八束は真顔で、真剣にそうお願いし続けた。

少し休んで、シャワーを浴びる。
着替えを持ってきていなかったので、長畑のTシャツとジャージ素材のズボンを適当に借りた。サイズが全く合わないので不格好だが、もう寝るだけなので構わない。
こんな風に寝る事がなかったので知らなかったが、長畑は寝る時も部屋を真っ暗にしない派らしく、部屋の天井についている照明を小さく点けたままにしていた。
イギリスで共に過ごした時は、電気を完全に消していたので、同室にいたこちらに気を遣っていたのかもしれない。
小さな仄暗いオレンジ色の光が、暗闇の中をとろりと照らしている。
先ほどのベッドの中で共に体を横たえ、他愛もない話をしていたのだが、ふと不自然に会話が途切れたので不思議に思って見ると、長畑は寝息をたてていた。
(この人の方が先に寝るとは)
普通逆だろと思いながら、八束は苦笑いをしてしまった。
しかし考えてみると、数日体調を崩した後でもあるし、八束が来るまでまともに食べていなかったようでもある。
体に疲れは溜まっていたのだろう。
眠りが浅くて普段あまり寝られないのだと言っていたから、こういうときはしっかり寝てほしい。八束は足元に折りたたまれていたタオルケットを長畑の体にかけて、自分もタオルケットに丸まり、長畑のそばに静かに横になる。男二人だと少々狭いベッドだが、引っ付いて寝るのも苦ではない。
暗闇に光る、小さなオレンジの照明をぼんやりと見上げながら、八束は欠伸をかみ殺した。
(……変わらないんだな)
やんわりと襲ってくる睡魔の中で、そんな事を思う。
あんな事をしたら、関係が少し変わってしまうんじゃないか、自分もおかしくなってしまうんじゃないか──そう思って、ずっと怖かった。
しかしあれからも、当たり前のように喋ったし何の疑問もなく同じベッドで寝転んでいる。
色気のかけらもなく隣の男は速攻寝ているし、自分も今なんの警戒もなく、眠りに落ちようとしている。
明日も多分、起きたら普通に挨拶をして、一緒にご飯を食べるだろう。そして、とりとめのない話をするのだろう。 その日々は満員の観客の前で、逆転ホームランを打つような派手さはない。とても地味なものだ。
だがそんな時間を八束は何より大事にしたかったし、守っていきたいと思った。