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薔薇色の道

28 少年時代の終わり


「おー、さすがお前。待ち合わせ時間ジャスト」
バイトが終わり、長畑の家から坂道を自転車で下り終えたところに、友人の佐々木が待っていた。
そばに自分の自転車を停め携帯電話をいじっていた彼は、やってきた八束の姿を見つけると、感心したような視線で笑う。
「七時半過ぎたら先に行くって、お前散々言ってたじゃないか」
八束も佐々木の前で、自分の自転車を停める。
今日は彼と約束をしていたので、早々に長畑のところを出てきた。
佐々木は、やらなければならない決まり事には遅れない。
ただ、友人との約束となると、途端にルーズな男になる。五分十分の遅れは当たり前だし、たまたま自分が先に着いたからといって「先に行って待ってるから」と、先に目的地に行ってしまう様な奴だ。
だから待ち合わせ場所のここに、この友人がきちんと待っているのか、八束は少々不安な思いで坂道を下って来た。
「でもここまで来るなら、長畑さんのところまで来ればいいのに」
木々に隠れて見えないが、奥まったところにある長畑の家とここは、目と鼻の先である。そう言うと、佐々木は途端に困った顔をした。
「……お前、俺があそこに一人で入るのに、どれだけ勇気いると思ってるんだよ」
「別にあの人も嫌な顔しないだろ。メールするくらいの仲なんだし」
「うん、そうなんだけどね……。でも、あるじゃん。実際会わない方が上手くいくって関係」
(早い話が苦手なんだろうが)
佐々木の濁した言葉を察したが、八束は何も言わないでおいた。
直接「苦手なんです」と言わないのは、こちらが気分を害さないように、この男なりに気遣っているからなのだ。それがわかったから、八束もそれ以上は言わなかった。
長畑も以前「佐々木君は、僕の事はあまり好きじゃないみたい」と言っていた。だがそれに深刻さはないようだ。現に、彼らはいつの間にかメールアドレスなどを交換していて、ごくたまにだが連絡を取っている。
何をやりとりしているのかは知らない。
一度佐々木に聞いたが「いや、ただの興味本位と緊急連絡先ですから」と、よくわからない事を言われた。
長畑にも、佐々木が何か失礼な事をしていないか、一応聞いたのだが、彼は「聞いてくることがストレート過ぎて逆に微笑ましい」と笑っていた。
こちらもよくわからないが、悪くは思っていないらしい。奇妙な関係である。
だがそれを八束が怪しむ必要はない。前述のとおり、佐々木は長畑が苦手だからである。
「そういえば、霧島から連絡があったんだけどさ」
八束が一人そんな事を考えていると、佐々木は自分の携帯を操作して、メール画面を見せてきた。そこには友人である霧島からの文章が載っている。絵文字もない、簡素なものだ。
「あいつ、八時くらいに塾が終わるらしい。俺らが買い物行って、あいつの家行くぐらいでちょうどいいだろ」
「そうだね」
八束も腕時計を見ながら頷く。今からなら、のんびり行っても十分そうだ。
今日は佐々木と、霧島の家に泊まる約束をしていた。
夏休みになったらどこかに行きたいとは言っていたが、高校三年の夏休みはとにかく忙しく、なかなか三人のスケジュールが合わない。二人が暇だったときは、八束はイギリスにいた。帰国してからも擦れ違いで、こうして二学期が始まってしまっている。
そんなとき、霧島から「家族が皆留守にするから、泊まりに来ないか」と誘われた。
県議を務める父は出張、その秘書を務める兄も共に出張。母は習い事の発表会。残るは高校生の次男だけである。
過保護な霧島家は、家事能力が怪しく、昔から体の弱い息子を一人残す事を心配し、家政婦を夜まで残すか母が残るかといろいろ考えていたらしいのだが、友人を呼ぶという事で解決した。
もともと、霧島の友人関係を非常に心配していた彼の家族は、彼が友人を家に連れてくるようになったことがとても嬉しいらしい。
八束も佐々木も何度か家を訪れているし、両親にも顔を知られている。それで信用を得たのか、たまには男同士で夜更かしもいいと、霧島の両親から留守を任された。どこかに行く事はできなかったが、こうして友人同士で遊ぶというのも、悪くない。
「晩飯何にしようか。霧島と合流して、外で食う?」
「それでいいんじゃない? 人の家の台所汚すのも悪いし」
「俺腹減ってるから、がっつり食いたいんだよね。定食系でいい?」
「俺は良いけど、霧島に聞かないとアレだぞ。あいつ、偏食だから。揚げ物食わないし、肉も鶏肉とハンバーグ系しか食わない。魚は論外」
「まじか……」
佐々木が信じられない、というような驚愕した目をしている。霧島と親しくするようになって知ったが、彼は脂っこいものがあまり好きではないようだ。ファーストフードを食べに行っても、ポテトは頼まない。小食だから、というのもあるのだが。
「何食って生きているんだろうな、あいつ……。そういやイギリスの飯はどうだったよ」
「うん。お前に散々脅されていたけど、美味しかったよ。料理作ってくれた人も、上手だったからね」
「へぇ、良かったな。長旅で飯がまずいと地獄だからな。長畑さんは、やっぱりあっちの飯の方がなじみがあるんじゃないのか?」
「いや、途中で漬物食べたいとか呟いていた」
「……意外に日本人なんだな、あの人」
「うん。米とか素麺とか好きだしね。この間も、夏バテしていたから素麺一緒に食べたよ」
「ふぅん。相変わらず、仲が良いな」
自転車を押して歩きながら、佐々木は感心したような、少しだけ呆れた様な、そんな視線をくれた。
「お前ら、喧嘩とかしないのか。もう別れる! みたいなやつとか」
「ないね」
真顔で即答した八束を見て、佐々木は何故かため息をついた。
「お前ら見ていると、俺が彼女と別れる別れないで大騒ぎしていたのがアホみたいに見えてくるな……」
「いや、まぁ……うちはうち、余所は余所だと」
「まさかお前にそんな、悟った事言われる日が来るとは思わなかった」
「悟ったって言うかなぁ……」
というか、他を知らないのでそれ以外に言いようがない。 自分達もあれこれあった気はするのだが、別れるとか、もう好きじゃないとか、飽きたとか、邪魔だとか、そんな言葉が口をついた事は一度もない。
「俺ら、多分互いに重たいんだよ。だから落ちるところに落ちれば落ち着くし……それに俺が結構ぎゃあぎゃあ言うから、あの人くらい大人なのが一番いいんだと思う。相性的に」
「お前、そんなに言う方か? 結構周りに気を遣って、上手くやるじゃん」
「……あの人には結構言ってきた」
「なんだそれ。見てみたいけどその場にいたくねぇな、俺」
「お前、正直だよなぁ」
そう言うと、佐々木は能天気に笑ってみせた。一番の友人が、ずっとこうして自分達の関係を否定も肯定もしないのが、有難かった。いろいろと口を挟んで来たり、バッサリと頭ごなしに否定するような男であったら、自分達の友人関係も少し変わっていたかもしれない。長畑との関係も、少し違っただろう。
夏を惜しむように鳴くセミの声を聞きながら、自転車を押して歩く。学校の事、友人の事、これからの事──佐々木と、こうしてのんびりと二人で話をするのは久々だ。
自転車に乗りながら話しても良かったのだが、いろいろ話をしたかったというのは、佐々木も同じなのだろう。霧島との待ち合わせにまだ時間があったからというのもあるが、ゆっくりと、農道の脇を歩いた。
佐々木は、春から東京の専門学校に行く。
結局父親との約束である、成績上位に食い込む事はできなかったが、それなりに成績は上げた。父親は最初から無理難題をふっかけていたようだが、息子の頑張りを見て、多少態度を軟化させたらしい。
佐々木が行こうとしている美容師の専門学校は、成績優秀な生徒は海外へ留学させる制度がある。彼はそれを利用して、どうしても一度海外に出たいらしい。八束がイギリスに行っていた事を、佐々木は何度か羨ましいと言っていた。
「でも俺、学費は出世払いって事で、後々親父に返さなきゃいけないんだよ。この歳で俺、借金もち」
佐々木はけらけらと笑った。
「俺も奨学金返さなきゃだから、一緒だよ」
不安を感じさせない表情で笑う佐々木を見て、八束も笑ってしまった。彼の恐れ知らずなところは、好きだ。
「お前は? 花屋の面接行ったんだろ」
「うん。結果はまだ来ない」
八束も二日前に面接に行った。
面接というからには大きな部屋に通されるのだと思っていたのだが、実際は店舗の狭い事務所の一角で、互いにパイプ椅子に腰かけながら、凄まじく近距離で面接をされた。
ホテルに隣接している花屋で、個人用というよりはイベントごとの花を用意する店舗という事で、常に忙しそうだった。一応面接の練習はしていったのだが、あまり役に立たなかった。面接は五分程度で終わったし、聞かれた事も「なんでうちがいいの?」という事だけだったからだ。だから正直に、今までの経緯を話した。
──バラ園でバイトをしていた事、その中で全く興味のなかった植物に興味を持ったこと、育てる事に才能はなさそうなので、その上で人と関われる仕事がしたいと思った事。
強面の、その手の職業かと思ってしまいそうな雰囲気を持った店長に、八束は包み隠さず告げて、緊張しまくっていた面接は終わった。
「まぁ、こんなご時世ですし。落ちたら笑ってくれよ。次探さなきゃ」
「……お前は受かりそうな気がするけどね。そういうところ、受けが良さそう」
「そうか?」
「うん。見た目、真面目そうでしっかり者って感じ。俺は第一印象軽そうっていつも思われるから、そこはいいなーと思う」
「お前も結構真面目なのにね」
八束がそう言うと、佐々木はにやりと笑った。口には出さなかったが、よく言ってくれた、という表情だった。
「でも、霧島もこっちだし、お前も地元残るんだろ? 俺だけか、地元出るの」
「他にもいるだろ、東京方面だったら行く奴。お前交友関係広いし」
「いるだろうけど、いつもつるんでた連中が全部こっちっていうのがね。早く地元は出たいんだけど、そこはちょっと寂しいかなぁ……。でも俺はあれだ、お前は、長畑さんのところに就職するんだと思っていたから、ちょっと意外だった」
「同じどころは……駄目だな。俺は多分甘えるから駄目」
「お前も厳しいなぁ」
佐々木が呆れた様な視線で、こちらを見る。
ここでこれからも働かせて下さい、というつもりは最初からなかった。
同じ分野でやってみたいなと思った事もあったが、あまりにも生産者の立場は専門的過ぎて、自分には向いていない様な気がした。真剣に頼めば、彼は同業者を紹介してくれたかもしれないが、八束はそれをしなかった。
それに同じ道を歩めば、どうしても対抗意識を持ってしまうだろう。長畑も負けず嫌いだし、自分もそうだ。あまり自分達の関係に、そういうものを持ちこみたくなかったのだ。
「でもお前が辞めたら、長畑さん寂しがるんじゃないの?」
「……別に、いつでも会える距離だから、言わないと思うけど」
「ふぅん。あの人もそういうところ、クールですよねー」
佐々木のため息交じりの声を聞きながら、八束は心の中で首を振る。
クールではない。
ただあの男は、もうとっくにそうなる事を見越していて、ただ八束の重荷にならないように、好きな事ができるように、考えて物を言ってくれているだけだ。
――誰が、平気って?
以前、そう凍りつくような視線で、僅かに本音をもらしたのを見た。
あの男は気が強く負けず嫌いだ。プライドも高い。そんな事を口に出す自分も嫌だろうし、思慮深いから、そう口に出して八束がどう思うか、どう行動するか、そこまで考えている。
(でも、もう好きに言ってくれていい)
自分が至らないから、子供だから、あの男にそこまで気を遣わせるのだ。もう酷い感情をぶつけてくれたっていい。
あの男が抱えている闇は途方もなく大きいのだが、ずっと共にいると決めたのだ。だからこちらは、多少怪我したっていい。どんと構えていられるような人間でなくてはいけない。
もう、そうならなくてはならない。あの男と抱き合って、尚更それを強く思うようになった。
可愛がられているだけの時期は、終わりだ。