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薔薇色の道

04 188-165


車の窓から見える、異国の街並み。
(やっぱり、全然違うんだなぁ……)
当たり前の事なのだが、次々と視界に入ってくる景色は、普段見慣れてるものとは全く違う。
八束は車の窓から見える街並みに、釘づけとなっていた。
空港からロンドンへ移動し、今はサーシャの運転する車に揺られている。
その間、長畑はサーシャと何か話していた。
英語だったのではっきりとはわからなかったのだが、聞き取れた単語から察するに、「変わりはなかったか」というような事を話していた、気がする。
サーシャもかなり流暢に日本語を話せる男だが、複雑な事や長文を話そうとすると、やはり疲れるらしい。
長畑とも途中まで日本語で話していたのだが、「ちょっと頭こんがらがってきたのでいいですか」と英語に切り替え、話している。
そうなると八束は会話についていけなくなってしまうので、「これも勉強」と思い、彼らの会話を一生懸命聞き取りつつ、景色を眺めていたときだ。
「八束君、少し疲れましたか?」
「え」
黙って街並みを見ていたのを、サーシャはそう受け取ったらしい。
少し気遣うような言葉をかけられた。
「あ、いえ。そんな事はないです」
慌てて答えると、サーシャは苦笑いを浮かべた。
「もう少しで、会社に着きますから辛抱してくださいね。あの男も、そう遅くはならないはずですから」
「はい」
「朝早かったからね。疲れたなら、寝てていいよ。時差ボケしんどいでしょう? 着いたら起こすから」
長畑の言葉に、八束はぶんぶんと首を横に振った。
「いや、なんか寝たらもったいないなって……」
決して疲れてはいない。いろいろ目新しくて、寝ようなんて気にはとてもならなかった。
(なんだかなぁ……)
苦笑いを浮かべつつ、八束は思う。
この旅は長畑もこちらに気を遣ってくれるし、サーシャもそうなのだろう。英語ができない八束相手に、極力言葉を合わせようとしてくれている。
八束自身は「オマケ」気分で長畑にくっ付いてきたので、あまり気を遣われると恐縮してしまう。この旅の主役は、長畑なのだ。自分の事は多少スルーしてくれてもいいから、この人が帰省を楽しむべきなのだ。
八束はそう思いながら、再び窓の外に視線をやった。


到着したのは、ビジネス街の一角だった。
近代的なビルが多く立ち並び、人の通りも多い。
その中にある、とあるビルの三階。そこにグラハムの会社は入っていた。
「……なんかすごい街中にあったんですねぇ、会社……」
応接室のような小奇麗な部屋に通され、八束はふかふかしたソファに腰かけながら、感嘆の声をもらした。
グラハムがここでは「そこそこ名の通った」建築士だとは聞いた事があるが、こんなに立派なオフィスを構えているとは、想像していなかった。
サーシャは「アレを迎えに行ってきます」と出て行ったので、今部屋には長畑と八束しかいない。ときどき、会社の人らしき女性が、お茶を替えに来てくれたりする。
入れてもらったお茶を飲んでいると、向かいのソファに座る長畑が窓の外を指差した。
「今、遠くで建築中のビル見えるでしょう? なんかあれを今担当してるみたい。今日は現場を見に行ってるんだって」
さっきサーシャが言ってた、と長畑もカップを口に運ぶ。
「外って……あれですか?」
八束も窓の外を指差す。
少し遠くで、高層ビルの建築工事が行われている。この場所からも大きく見えるという事は、結構な規模のもの建てているのだろう。
「……なんか、すごいなぁ」
八束は素直に感心して、声を出した。
「あの男もきちんと仕事をしているんだなぁ」と、当たり前の事なのだがそう思った。
グラハムが「夏に行くつもりだったけど、忙しくてちょい厳しいかもしれない」と言っていたのはこれの事だったらしい。
八束は納得しながら、テーブルの上に置かれたビスケットをつまむ。
ぼりぼりと噛みしめながら、呟く。
「……うまいけど、めちゃめちゃ甘いですね」
そして味が濃い、と思う。
佐々木から「イギリスって飯マズって聞くけど」と散々脅されていたのだが、今のところそこまで衝撃的なものには出会っていなかった。恐らく、同伴者のセレクトがうまいのだろう。
「まぁ、お茶うけですから」
長畑もそう笑いながら、一枚つまんでいる。食べながら「……やっぱり甘いね」と苦笑いを浮かべた。
「そういえば、さっきお茶持ってきてくれた女の人も、長畑さんの知ってる人?」
この菓子とお茶を持ってきてくれた女性は、長畑と同年代くらいのように見えた。長畑と二、三言葉を交わした後、八束ににっこりと笑顔をくれたので、何を話したか少々気になっていたのだ。
「うん。彼女とは顔見知り程度だけどね。君の事にも触れてたよ。可愛いゲストを連れて来たねって」
「かわ……」
(あれはやっぱり、そういう笑顔か……)
そう思うと、少々落ち込む。
向けられたのが「ちっちゃいのに、よく頑張って来たねー」というような、小さな子供に向ける様な種類の笑顔だったので、素直に好意として受け取れなかった。
きっと実年齢よりも幼く見られたに違いない。
「俺もう18だし……背だって、多少伸びてるのに……」
「うん。君ここ一年で、一気に5センチくらい伸びてるでしょう?」
「え」
予想外の言葉に、八束は目を瞬かせた。
「……長畑さん、気付いてくれてた?」
「一応。多少視線が近くなった気がしてたから。成長期だもんね。いいよねぇ」
さり気なく出た言葉に、八束はぱぁ、と顔を輝かせた。
いちいち「伸びてるんですよ!」なんて報告はしていなかったが、言わずとも気づいてくれていたという事が嬉しい。
高校2年の初めには160センチ少々しかなかった身長は、あれからゆっくり伸び続けて165センチになった。
その数字を見た瞬間、「もう小さいとか言わせねぇ!」と興奮したのだが、まだ友人の霧島の方が背が高かったりするし、小柄の部類だという事は変わらない。
それに多少伸びた! と内心喜んでいても、この目の前にいる男がとにかくでかいので、全くこちらは伸びた気にならなかった。
「でも、伸びたって言っても少しなんで。長畑さんに追いつく感じが全然しないです……」
「別に追いつかなくても。君は君なんだし。僕は君が大きかろうが小さかろうが、構わないけど」
「それはすごく嬉しいんですけど、俺の気持ちの問題です……」
どうにもならない事だし、恐らく長畑にはわからない事だ。ただ単にこちらのコンプレックスで、愚痴りたいだけである。
八束が渋い顔をして呟くと、長畑は楽しげに笑った。
「で、長畑さんって結局、今身長どれくらいあるんです?」
「僕?」
「前に、健康診断行ったって言ってたじゃないですか。測ったんでしょう?」
「あぁ」
長畑は以前、自身の身長を「多分、180そこそこ」と言っていた。学生を終えてからは測っていなかったので、わからなかったらしい。仕事も自営業なので、測る機会もなかったのだろう。
数か月前、仕事の休憩中にたまたまそういった話になり、三崎から「三十過ぎたんだし、一度健康診断やって来なさいよ」とかなり口酸っぱく言われていた。長畑も納得したらしく、その後に「人間ドック行って来たよ」と言う話は聞いている。
そのときは健康でした、という話で終わっていた。
「……それがさ。思ってたよりあったんだよ」
八束の問いに、長畑は少々眉間に皺を寄せる。
「……188あった」
「すげぇ!」
素直に感心しすぎて、八束の驚きは声に出た。
「いや、別にすごくはないけど……どうりで日本家屋と相性悪いなって思った。自分の家はまだ慣れてるからいいんだけど……」
予想外に育ってたよ、と長畑は苦笑いを浮かべる。
彼はときどき、八束の家で晩御飯を食べて帰ったりするのだが、よく家の梁だとかに頭をぶつけて悶絶している。
(188−165=……)
八束は計算式を思い浮かべ、考えた。答えも出したが、諦めて頭を振る。わかってはいたのだが、数字にしてみると意味もなく落ち込んだ。
内心、「江戸時代なら俺もそれなりの部類だよ!」と無理やり自分を慰めてみる。
「……でさ。それはいいんだけど、君、多少は楽しんでる?」
「何がですか?」
「いや、この旅行。なんか、僕が無理に誘ったかなって思って」
「そんな事ないですよ。最初は緊張しましたけど、今はいろいろ楽しいです。全部珍しいし、人も優しいし」
八束は笑顔を浮かべ、答えた。
最初はわからない事が多すぎて不安しかなかったのだが、落ち着いたせいか、今はなんだか楽しい。
「グラハムさんの会社が、すごい都会にあったのはびっくりしましたけど。長畑さんが住んでたのも、この辺りなんですか?」
「いや、もう少し郊外。大学入るまでは学校の寮にいたから、結構田舎のほうにいたし。でも、ここにはよく来てた。長い休みに入ったときとか。学校が休みに入ったら会いに来て、一緒にご飯食べて、数日家に泊まらせてもらって、みたいなのが習慣だった」
長畑は少々懐かしそうに語った。
きっと、グラハムも喜んで迎えていたのだろう。サーシャをはじめ、この会社いる人々の長畑に対する接し方を見ると、大事にされており、良い関係だったのだという事がわかる。
「……帰ってきて、どんな気分ですか?」
懐かしい人と会って、人生の半分を過ごした地に戻って、今この男はどんな事を考えているのだろう。
それを知りたい。
八束の問いに、長畑は目を細めて笑った。
「……うまく言葉にできないな。嬉しくないわけじゃない。でも、こっちではいろいろあったからね」
曖昧な言葉だった。
しかし本心を隠そうとか、うまく表面上を取り繕いたいのだとか、そういうわけではない事は、なんとなく八束にもわかった。本当にどう伝えていいのかわからないのだろう。 彼は、弱さを見せる事を極端に嫌う男だ。
普段なら明るく笑って、何でもないというように八束に答えていたのかもしれない。
その事は、長畑自身もよくわかっているようだった。
「柄でもないね。凹んでいるのか感傷的になってるのか何なのか、自分でもよくわからない気持ちになってる。帰るって決めたのは僕のはずなのに」
長畑は苦い笑いを浮かべて、八束を見た。
「ごめんね。こんなところまで来て、よくわからない事言って」
八束は無言で、首を横に振る。
ここまで来たのだから、長畑の昔の話をいろいろ聞きたいと、八束も思う。
長畑も八束に、多少自分の事を見せてもいいと思ったから、「一緒に来て」と言ってくれたのだろう。
だが今ここで、「いろいろ」を聞く勇気は八束にはなかった。
彼は今きっと、この地であった出来事を、思い出し噛みしめているのだろう。当然良くない事もたくさんあったはずだ。
この男は、人の良い楽天家のようでありながら、頑固で神経質で、繊細だ。しかし同時に「弱いとは思われたくない、侮られたくない」という負けん気の強さもあって、そつなく見せる術に長けている。
彼の本質は、とても気難しいのだ。付き合ううちに、それは八束も理解した。
この男は、深い。 だがそんなわかりにくい男であっても、八束にとってこの男は絶対的なものだった。
追うべき存在であり、目標であり、誰にも渡したくない存在。
どうしようもなく、大好きなのだ。
迷った時は、この男ならどうするだろうと、そんな事を考える。
──この男が言うのだから、間違いないだろう。
そう、いつも思っている。そう安心してすがっている部分がある。
しかし今のように稀にではあるが、長畑も人間らしく微妙な「揺らぎ」を見せる事があった。そうした表情を見るようになったのは、極々最近の事のような気がする。
「完璧超人」とさえ思う男の小さな変化に、八束は当初戸惑った。
全てを見せてくれるのは嬉しい。だが、どうしていいのかよくわからなくなる。
助言なんてとてもできる立場じゃない、と思う。
長畑だって、己より人生経験の浅いこちらに何か言われたいとは思わないだろう。
人に言われなくてもわかっている。そんな男だ。
(だから、黙って聞く)
意見を出そうとは思わない。
否定もしない。さすがに間違っている、と思えば何か言うだろうが、この男が間違う事はあまりない。
自分の、先ほどの愚痴と一緒だと、八束は思った。
助言は求めていない。ただどうにもならないから、気を許した相手に、言いたいだけ。
だがこの男が自分を選んでそんな姿を見せるのであれば、こちらもしっかり受け止めなければ、と思う。
(……俺の体が、もうちょっと大きかったらなぁ)
八束は、太ももの上の拳を、密かに握りしめた。

──自分の体がもう少し大きければ、この男を抱きしめたとしても、もう少し恰好がついたはずだ。

この男が何か悲しい思いをして、打ちひしがれるような事があるなら、抱きしめて安心させられるような男でありたい。そんな場面に遭遇したいわけではないが、それぐらいの存在にはなりたい。
きっと、様にはならないのだろうが。
なんとなく、そんな事を思う。
「謝る必要なんて、全然ないですよ」
八束は長畑に向けて、精一杯の笑顔を浮かべた。
「一緒にいられるだけで、俺は嬉しいです」
本心から出た言葉だったのだが、長畑は一瞬真顔になった後、口元に笑みを浮かべる。
「……君は案外、天然なたらしだよね」
「何でですか」
「いや、結構ぽろっと、そういうこと言うなぁって思って」
「……多分、語彙が少ないんですよ」
八束が多少ふくれて言えば、長畑も明るい笑顔を見せた。
「そう怒らないでよ。僕に君の、その素直さが少しでもあれば、人生違ってたかもしれないって最近思ってるんだから。その点は、羨ましい」
「俺は長畑さんみたいにスマートに立ち回りたいですよ……いつもグダグダだし」
「そうかなぁ? ……まぁでも、互いにないものねだりなのかもね」
「多分、そうです」
長畑の言葉に、八束は頷いて笑った。
何もかもが違う自分たちがうまくいっているのは、多少の考えの違いに本気でイライラしない程度に、歳が離れているからなのかもしれない。
「全然追いつかない」と八束はその差に歯ぎしりをしているが、もし、もう少し歳が近ければ、きっと今とは違う関わり方になっていただろう。
(だったら、今の方が良い)
そんな事を談笑していると、隣の部屋が少し騒がしくなった。
英語なのでよくわからないが、何か聞き覚えのある声もする。
「……グラハムさん、帰ってきたっぽいですね」
ドアの方を見ながら八束が言えば、長畑も少し冷めた紅茶を啜る。
「うん。一発でわかるね。元気だからね、彼」
そう言う長畑の表情は、いつもの落ち着きのあるものに戻っていた。