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薔薇色の道

06 下ネタで人は仲良くなることがある


──街並みが面白い。
八束はこの地に来てから、ずっと自分が、周囲をきょろきょろと見回しているだけのような気がしてきた。
近代的なビジネス街が広がっているかと思えば、異国情緒あふれる、おとぎ話に出て来そうな家があったりする。その交わり具合が面白い、と思う。
「……なんか、不思議な感じです」
隣を歩くサーシャに何気なく声をかけると、サーシャは小さく首を傾げた。
「不思議? 何がでしょう?」
「いや、あっちはすごくビル街なのに、ちょっと行ったら、なんかこうヨーロッパ、みたいな建物とかがあるんだなって……すみません、なんかうまく言えなくて」
八束は自分の表現力のなさに、苦笑いをしながら言った。
しかしその微妙な表現は、なんとなくサーシャにも伝わったらしい。「あぁ」と納得いったような表情で、相槌をうつ。
「それは日本も一緒なんじゃないですか? 私は行ったことがないのですが、グラハムが言っていましたよ。とても不思議だったと」
「えっと……どんな?」
「市街地のど真ん中に、中世の城がそのまま残っているのを見たらしいです。彼はそれを初めて見たとき、なんだかとても変な気分になったそうですよ。それと同じような感覚ですかね」
「あー……まぁ、そういうところは、ありますけどね」
サーシャの言葉に答えながら、「そういうものなのか」と八束は思った。
市街地に残る城の存在を「不思議」だとは、考えた事もない。
だが違う国の人間には、そう映る事もあるらしい。
そして自分も今、見慣れない光景に不思議な気分になっている。 「これが異文化交流かぁ」と今更ながらに思って歩いていると、前方から賑やかな声が聞こえてきた。
「ねー、ここのご飯おいしいの、知ってるでしょう? 君がいるうちに食べに来ようよ。メニューいろいろ増えてるんだよ。値段上がったけど。絶対行こうね! あと……」
「……君はほんと、よく食べるよね。歳とったら、人間あまり食べなくなるものだと思ってたけど」
「君は歳の割に、老け込むのが早すぎ。食べるのは人生の貴重な楽しみでしょうに」
見れば少し離れた先で、長畑にまとわりついてあれこれ話しかけるグラハムの姿と、それを少し面倒くさそうにしながらも、きちんと対応している長畑の姿が見えた。
こちらで合流してから、長畑を完全にグラハムに独占されてしまっている。
こうなるだろうと、わかってはいた。
ここで自分が不機嫌になっても仕方のない事なのだと、八束も頭では理解しているのだが、正直疎外感を感じて、寂しい。
「……それにしてもよく喋りますね、あの男は。すみません、なんか」
だからこうして、サーシャが気遣って隣を歩いてくれているのだろう。
なんだかこの男には、こちらに来てからずっと気を遣わせてしまっているような気がしてきた。
「いえ、いつもの事ですし。あの二人が仲良いと、俺も嬉しいですから」
そう笑って言うと、サーシャは少々意地の悪い笑みを浮かべた。
「やっぱり君は人間ができている。私だったら、きっと刺したい気持ちになっていますよ」
「……はい?」
八束が顔を引きつらせると、それを見たサーシャはおかしそうに、声を出して笑った。
「恋人持って行かれて自分が放置される羽目になったら、って話です。まぁ実際にはやりませんよ。ただの冗談です。それくらいの気持ちにはなる、って事で」
「あ、あぁ……」
八束は濁しながら、硬い笑いを浮かべて頷いた。ジョークとの事だが、笑い飛ばすには少々言葉が物騒だ。
(……でもこの人、俺らの事知ってるんだなぁ)
さり気なく出てきた「恋人」という言葉。八束は今更ではあったが、恥ずかしさを感じる。
「サーシャさんは」
「サーシャ、でいいですよ」
「いや、年上の人呼び捨てって、俺なんかできないんです」
八束がそう言うと、サーシャは「そういうものですか」と少し考える様な顔をした。
「わかりました。お好きに」
「ありがとうございます。……サーシャさんは、俺と長畑さんの事、知ってるんですね」
「……知ってる、とは?」
「さっきの、恋人、ってやつ」
「あぁ」
サーシャはにっこりと、目を細めた。
「グラハムからきちんと聞いています。永智さんのダーリンだと」
「ダッ……」
突然出てきたなんだか情熱的な単語に、八束は目玉が飛び出る思いだった。
しかしサーシャは、そんな八束の動揺を無視して言葉を続ける。
「最初、聞いたときは正直驚きましたが。まぁあの男が笑ってそう言うくらいですから、そうなんでしょう。そこに問題もないんでしょうし」
八束の困惑を楽しそうに見ながら、サーシャは語った。
あの男、とはグラハムの事だろう。
あの男が、自分の事をそういった単語を使いながら、好意的に説明してくれている。
だからサーシャも、こちらの存在をすんなりと受け入れてくれて、ここまで良くしてくれているのだ、と八束は理解した。
(この人の判断基準ってのは、全部グラハムさんなんだな)
あれほど悪態をつくのに、「楽しい、退屈しない」という理由で一緒に働く、という感覚が八束にはよくわからなかった。
だがそれは、この男の生き方だ。
自分がよくわからないからといってあれこれ聞くのも悪いと思い、八束は出かけた言葉を飲み込む。
「あの……サーシャさんは、長畑さんとの付き合いも長いんですよね」
「はい」
話を変えるつもりで尋ねると、サーシャは素直に頷いた。
「あの人、こっちではどんな人でした? 俺、あまりあの人の昔の事は、知らなくて」
八束の問いに、サーシャは考えるように一呼吸、間を置いた。
「うーん……非の打ちどころがない、ってやつでしたよ。行儀が良くて、礼儀正しくて」
「子供の頃から?」
「えぇ」
サーシャは頷いて、言葉を続けた。
「同世代の悪ガキどもに比べたら、相当大人びていたようにも思います。あまりにそつがなさ過ぎて、可愛げがないと言う者もいたくらいで」
「……何ですか、それ」
「大人が子供に求めるものってのは、勝手なものでしてね」
サーシャは皮肉のような笑みを、八束に向ける。
「素直さとか純朴さとか、素朴さとか、そういったものを勝手に期待しているんですよ。ただあの人は早熟で、そういった子供らしさがあまりなかったものですから、陰でそう言う者もいましたね。アレはいつも、それに反論してました。そこが可愛いんじゃないか、ってね」
そう言いながら、サーシャは前方にいるグラハムを見る。
「溺愛してましたからね、彼は」
「今もそうですよ」
八束の言葉に、サーシャは「確かに」と答え、笑った。
「でも、永智さんが帰る気になってくれて、良かったと思っています。私もほっとしています。やはり長年知ってる人間同士の喧嘩というのは心配ですし、見ていて気分の良いものではないですから」
「長畑さんは、喧嘩じゃないって言ってましたけど」
「あんなのをじゃれ合いって言われても困りますよ。こっちはいろいろ大変だったんですから」
「あぁ……そうなんですか?」
「そうです。アレは落ち込んでると思ったら怒り出すし、怒ってると思ったらまた落ち込んでるし、仕事に差し支えてほんとに」
思い出して腹を立てているのか、サーシャは歯をぎりぎりと噛みしめている。
「……まぁ、悪いのはあのアホなんですけどね。余計な事を言うからです。彼も反省して、少し参っていたんですよ。完全に嫌われたんだって」
「……嫌いになってたわけじゃないですよ」
八束がそう言うと、サーシャは少し真顔になって八束を見つめた後、「でしょうねぇ」と何か納得したような言葉をもらした。
「永智さんが本気で嫌いってなったら、付き合い戻してないでしょうから。一度嫌いになったらアウトなタイプですよね」
「……ですね。だから俺、嫌われたくなくて必死ですよ」
八束は、苦笑いしながら言った。
冗談のように話しはしたが、心の中ではかなり真剣にそう思っていた。
自分には、グラハムのように長年かけて関係を修復するだけの根気もなければ、力もない。
(あの人から拒絶されたら俺、どうなるんだろうな)
考えただけでお先真っ暗、な気持ちになってきた。
恋愛のもつれで自殺、だなんてニュースを観ても、昔は何でそれで死ななければならないのかが全く理解できなかった。
今なら、その気持ちも多少ではあるが、わかる気がする。
決して死にたいわけではないのだが、それほど、あの男は自分の中で大きなものとなって存在しているのだろう。それがぽっかり抜け落ちたら、その穴をどうすればいいのかなんて、さっぱりわからない。
「まぁ、それは大丈夫だと思いますけどねぇ」
サーシャは他人事のように言って、笑う。
「でもだいぶ、君が理解できてきました。すみません、あまりうまく話せなくて。もう少し勉強しておくべきでした」
「いや、全然お上手ですよ。こっちこそ気を遣わせてしまって、すみません」
八束は心底申し訳ない気持ちで、謝った。本来であれば自分が頑張って英語を話すべきなのだろうが、それができていない。
「それはいいんですよ。そうだ、少し仲良くなれたと言うことで、ぶっちゃけた話を聞いてもよいですか?」
「はい」
素直に頷くと、サーシャはにこやかに問いかけた。
「君はあの人と寝てたりするんですか?」

今度こそ息が詰まって、むせた。

「え、いや、そういうのは、ない、ですけど……っ!」
咳き込みながら言うと、サーシャは「あー、そうなんだ」と素直な反応をする。
「だよねー。なんか想像したら、犯罪っぽいなぁって」
「そんなの想像しなくて、いいですから…っ!」
ゲホゲホと激しく咳き込み涙目になりつつ、八束はサーシャに訴える。
「ちょっとサーシャ。八束君いじめないでよ、泣きそうになってるじゃないの」
こちらの騒ぎに気付いたのか、前を行くグラハムが振り向いた。
「いじめてませんよ。いろいろ話して、仲よくなろうとしているだけです。私なりに」
「それは良い事なんだけどさ。君はたまにどぎつい事言うじゃない。自重してよー?」
「あなたに言われたくないんですが」
言い合う大人の近くで、情けなく一人で咳き込んでいると、長畑が傍にやってきた。
「大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込まれ、背をさすられる。
「いや、大丈夫です……思いっきり気管につば入りました」
息を落ち着かせながら言うと、長畑が笑った。
「なんか、楽しそうに話してたけど、なんの話してたの?」
「え。えっと……」
あなたの事です、とも言いづらく、八束は言葉に詰まった。
「その……下ネタです」
「あ、そう……」
少しだけ、長畑が残念なものを見るかのような視線で、八束を見た。
それがなんだか、とても悔しかった。