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薔薇色の道

08 同室の王子様


「旧知の友人同士で飲んでいる大人たち」を観察していると、それぞれタイプが異なる事がわかる。
グラハムは飲むより、ひたすら喋る。とにかく喋る。
サーシャは飲みながら話しながら、器用に周囲に気を配り、空いているグラスがあればがんがん飲み物を注いでくる。
長畑はどちらかと言えば聞き手に回りつつ、うまい具合に相槌を打ちながら淡々と飲んでいくタイプ。
八束はと言うと、一人炭酸ジュースの入ったグラスを握り、そんな彼らの話を聞いている事の方が多かった。
人の話を聞くのは嫌いではないし、こちらの国や彼らの仕事の話を聞かせてもらうのも面白い。目の前の英国人二人も、八束に合わせてわかるように喋ってくれているのだが、稀にヒートアップして会話が英語になってくる。
そういったときは、長畑が丁寧に通訳をしてくれた。それは有難いのだが、このままお世話になりっぱなしというのもなんだか悔しいので、八束はカバンの中から旅行用の薄い英和辞典などを取り出して、極力自力で聞き取ってみようと試みた。しかし何やら議論めいた事を始めたグラハムとサーシャの会話は早すぎて、よくわからない。
「なんか、仕事の事話してるって言うのはわかるんですけど」
「それだけわかれば上出来」
 呟くと、八束の様子を黙って見ていた長畑は、穏やかに笑いながら言った。
「なんか結構専門的な事とかも喋ってるから、わからなくて当たり前だよ」
「長畑さんはやっぱり、全部わかるんですか?」
「大体ね。でも僕も、最初は全然わからなかったから。グラハムにかなり鍛えられたし。そのおかげ」
「あー……」
そう言えばそんな事も言っていた、と八束は思い出す。両親の仕事の都合で渡英したばかりの頃は、全く英語がわからなくて困ったのだ、と以前長畑は言っていた。
しかし今は、通常会話程度なら全く支障がないように見える。
この男と自分では脳みその出来が違うのかもしれないが、努力次第では自分だってこんなふうになれるかもしれない、という可能性はあるわけだ。
「せっかくだから、一週間頑張って勉強してみます」
こんな機会、滅多にないだろう。
帰る頃には多少、いろいろ聞き取れたり喋れるようになれればいい。そう思ってペンを取り出すと、長畑は苦笑いをした。
「のんびりしてればいいのに、君も結構負けず嫌いなところあるよね。ただ」
「?」
 長畑が言葉を濁したので、八束は辞書から顔を上げる。長畑は少しだけ困った顔して、目の前の英国人二人を見た。
「……あの二人の会話って結構スラング多いから、話し方は参考にしない方がいいかもしれない」
「あぁ……はい」
仕事上の「議論」はいつの間にかかなり白熱していた。サーシャの口の悪さは知っているし、グラハムもあれで血の気が多い男なので、結構過激な事を言っているのだろうなぁ、というのは言葉を聞き取れなくても、会話の様子からわかる。
「仕事の話をしているのだし」と長畑もそれを放置しておきたかったらしいのだが、だんだんと大きくなってくるその会話に、眉間に皺がよってきている。言っている事がわかる分、不愉快なのかもしれない。
これはいかん、と思ったのだが、八束が何かを言うよりも、長畑が言葉を発する方が早かった。
「……ねぇ。そこの二人」
 頬杖をついた長畑は、少々機嫌の悪そうな声で言う。
「教育上良くない。そろそろ押さえて」
その瞬間、長畑の表情に気付いたグラハムは俊敏な動きでサーシャの口を押え、「えへへ」とこちらを見て誤魔化すような苦笑いを浮かべた。
「サーシャ君。永智君が我々の口の悪さにお怒りですぞ」
 サーシャもこちらを一瞥し、グラハムの手を素早く引っぺがすと、「すみません」と一言、速攻で詫びた。
「お客様の前でしたね。申し訳ないです」
(なんか、俺もすみません……)
自分は全く悪くないはずなのだが、いたたまれない気持ちになって、八束も心の中で謝った。グラハムもサーシャも即詫びたあたり、長畑の機嫌をこじらせると面倒くさい、という事はよく知っているらしい。
「ごめんよ。でも別に喧嘩してたわけじゃないよ。ミニ会議です」
「品がないのは認めます。以後気を付けます」
「いつもの事だってのは知ってるよ。ただちょっと、押さえてくれってだけだから」
「「はい」」
 グラハムとサーシャは、同時に頷いた。
「で、でもお二人って仲良いんですね。なんか、何でも言い合える相棒、って感じで良いと思いますけど」
 空気が凍りかけたので、八束は慌ててそんなフォローをしてみた。グラハムが「でかした!」という目で一瞬こちらを見る。
「サーシャとは、付き合いだけは長いもんね。八束君、サーシャはこんな男だけど、仕事はできるし、見かけによらず頼りになるんだよ?」
「一言余計なのは死んでも治らないんでしょうねぇ……」
皮肉のように言いながら、サーシャはグラハムのグラスに炭酸ジュースを注いでいる。そろそろこの男にアルコールはまずい、と判断したのかもしれない。
「そう言えば君ら、同郷だったっけ?」
 機嫌の悪さを引っ込めた長畑に問われて、サーシャは素直に頷く。
「そうですね。故郷でもそうですし、こちらの大学に進学してみたら、進学先も同じでして」
「こういうのね、日本語で『腐れ縁』って言うんだよねー」
 自慢げに言うグラハムの言葉に、サーシャは首を傾げた。
「腐れ……あまり良い言葉ではないような。でも、そんな感じなのかもしれませんね」
「じゃあ昔から、仲が良かったんですか?」
「全然」
八束の問いに、グラハムは笑いながら首を振った。
「仲、悪かったよねぇ。サーシャはなんか私の事嫌ってて、私も彼が何考えてるのか全然わからなくて、学校とかずっと一緒だったのに苦手でした」
「いやだって、この人すごく馴れ馴れしいんですよ、親しくないのに。初対面のときからすごく親しげに接してきて、『何こいつ』って、ずっと苦手にしてました」
「……グラハムはそういう「壁」がないんだよね。誰にでもそんな感じでしょ」
 長畑は苦笑しながら、そんな事を言う。彼も、身に覚えがあるらしい。だが長畑の言葉に、グラハムは少々不服そうに眉を寄せた。
「私としては、そんなに身構えられる方が意味わかんないんだけど。永智とサーシャはそういうところ、なんか似てるもんね。人見知りと言うか、シャイと言うか」
「でも仲悪かったなら、一緒に働こうなんて思わないですよね。なんか、きっかけとかあったんですか?」
 そこがよくわからない、と八束が首を傾げつつ言うと、サーシャは「いや、それが」と苦笑いを浮かべてグラハムを見る。
「一度大喧嘩したことありますよね。多分あれからでしょう?」
「そうそう。多分人生で三番目くらいの殴り合いの大喧嘩したんだわ」
「……言っておきますけど、私は殴り合いまでしたのは、あれっきりです。だから嫌だったんですよ、喧嘩っ早くて乱暴だし」
「私だって自分から喧嘩ふっかけた事はないよ。売られた喧嘩は買ってたけど。サーシャはちっこい割に強かったよねぇ。痛かったわぁ」
「なんでまたそんな事に……?」
八束はグラスを持ったまま、眉を寄せる。
グラハムとサーシャの殴り合いの喧嘩。
全く絵が浮かんでこない。するとグラハムが苦笑いを浮かべながら、事の顛末を白状した。
「いや、サーシャがいっつも一人なのがずっと気になっててさ。『友達いないの?』って聞いたらいきなり殴られた」
「……」
 八束が「うわあ……」と呆れていると、長畑も「君ってデリカシーとか、そういうの全然ないよねぇ」と、同じく呆れたような口調で言った。
 サーシャはうんうん、と頷いている。
「ですよねー。だから腹立って、私から殴って喧嘩になりました」
「なにこの私が悪いみたいな空気。まぁ悪いんだろうけど、だって気になってたんだよ。サーシャはずっと一匹狼タイプでさ。自分から一人になってるところがあったから、なんでなのかなーと思って。なんで?」
「え」
グラハムの問いに、サーシャは珍しく言葉を詰まらせる。
「……いや、当時、周囲はみんな馬鹿ばっかりだと思っていましたので。群れるのは恥ずかしいとか思ってました」
「若気の至りだねぇ」
長畑が、何故か同情するような視線でサーシャを見ている。
「まぁ、そうですねぇ。私も馬鹿だったんですが、お互い殴り合って長年のうっぷんがすっきりしたんでしょうね。それから親しくするようになりました」
「へぇ……」
 八束は感心したような声をもらした。
 八束自身は、殴り合いの喧嘩だなんてほとんど記憶がない。友人同士で不穏な空気になっても、トラブルを避けるように、自分が折れる方が多かった。
 ──殴り合いから親友に。 
 青春、という言葉が脳裏に浮かぶ。
「でもサーシャも殴り合いとかするんだね。そういうイメージがなかったから、意外だった」
 長畑も、この話は初めて聞いたらしい。興味深そうな顔をしている。
「いえ、ですからそれっきりですけど」
「嘘ー。私が何かで喧嘩になってたとき、加勢してくれたことあるじゃん」
「そんな記憶ないです」
 ばっさりと、サーシャは斬り捨てた。捨て去さりたい過去らしい。
「でも、それからは良い友人にはなれたと思ってますよ。私は友人が少ないので、貴重な存在と言えばそうです。この男自身は一回話せば誰でも友達みたいな男なので、世界中に友人がいますけど」
「いやー、でも君いないと困るよ。サーシャは素晴らしいよ。ほんとだよ」
「酔ってるでしょう?」
 サーシャは目を細め、隣に座る男を睨む。グラハムはその反応を楽しむように、へらへらと笑っている。
「二杯しか飲んでないよまだ。すごい眠いけど」
「もう寝てくださいね。余計な事言いだす前に」
言いながら、サーシャはグラハムの顔面にクッションをぶつけた。
それは、照れ隠しのようにも見えた。


 散々話していたような気がするが、外はまだ少し明るい。「飲み始めたのが早かったからなぁ」、と思って時計を見ると、時刻は夜の九時を過ぎていて、八束は時計と窓の外を交互に見直した。
「なんか外、明るくないですか?」
空いたグラスを持ちながら長畑に問うと、彼は「あぁ」と笑って答えた。
「夏は結構夜遅くまで明るいよ。その分、冬はすごく早く暗くなる」
「へぇ」
 海外とは、こういうところまで違うのだ、と八束は感心した。
 飲み会はすでにお開きムードで、テーブルの上はすっかり片付けられている。
「どうしましょうか、この男。完全に寝てますが」
ソファに転がる、この部屋の主を見下ろしながら、サーシャが呆れたように言う。
散々「眠い」と訴えていたグラハムは、それでも頑張っていたらしく、最後まで起きていたのだが、「じゃあそろそろお開きに」となった瞬間に寝た。
「なんか年々、酒に弱くなってきてる気がしますが」
「うーん……まぁ、元々強くもないからねぇ。いいよ、サーシャ。僕がベッドまで連れてくから、君も遅くなる前に帰りなよ。あまり遅くなっても悪いし」
 長畑の言葉に、サーシャは苦笑いを浮かべた。
「別に、こちらの事はいいんですよ。明日から互いに休暇の予定です。その間も付き合うよう言われてますし、また来ますよ」
「振り回す男だよね。なんか、ごめん」
「いえ。好きで振り回されてますから。なかなか楽しいですよ?」
 言いながら、サーシャは八束の方を見た。
「では、私はこれで。明日以降も、よろしくお願いします」
 サーシャは丁寧に頭を下げて、玄関を出ていく。
「なんか、男の友情って感じでいいですね」
 ドアが閉まった後、八束がぽつりと呟くと、長畑が少し笑いながら八束の方を見た。
「あぁ、彼らが? 君にも良い友達がいるじゃない。佐々木君とか」
「そうですけど、喧嘩して逆に仲良くなるとか、ドラマみたいだなぁって」
「君はそういうの、結構好きそうだね」
 そう言われて、八束は笑いながら答えようとして──ふと、長畑が妙に真剣な顔で、グラハムを見下ろしているのに気が付いた。
「……どうかしました?」
「あ、いや」
 長畑は八束の声に振り向いたが、再びグラハムに視線を戻す。
「歳を取ったなと思って。久々に会うと、余計にそう思うなって……」
 そう真顔でつぶやいた後、それをかき消すように長畑は笑う。
「まぁ当たり前なんだけどね。お皿洗ってくるよ。テーブル拭いておいて」
「はい」
 頷いて、八束は雑巾を受け取った。台所に消えていく長畑の背中。なんとなくではあるが、思うものがあった。
「……お酒飲んでテンション下がるとか、あの子も歳とったねぇ」
「!」
 突然、寝ていたと思っていた男が言葉を発したので、八束は驚いて飛び上がりかけた。だがグラハムは静かに唇の前で、人差し指を立ててみせる。騒ぐな、という事らしい。
「起きてたなら、言って下さいよ」
 しゃがんで、声を潜めて言えば、グラハムはうけけ、と楽しそうな笑い声をもらした。
「だってあの子に担いで行ってもらいたいじゃない。君には悪いが」
「いやまぁそれくらいじゃ、何も言いませんけど……」
 この人結構計算高いよなぁ、と思いながら、八束は目の前の男を見つめた。
「ねぇ八束君。あの子、何かあった?」
「え?」
「なんか元気ないような気がする。長旅でお疲れなのかもしれないけど、何かテンション低い気がするんだよね。わかる?」
「……」
 そういえば、会社に着いた辺りで、妙に迷いのあるような表情を見せていた気がする。
すぐに引っ込めてしまったが。
「ふーん……」
 何か心当たりがありそうだと言うのを、グラハムは八束の表情を見て悟ったのだろう。
 少し考えるように唸った。
「こういうときこそ、男の見せ場ですよ、同室の王子様」
「は? 王子?」
 何それ、と眉を寄せると、グラハムは機嫌良さそうに笑った。
「悩みがあるなら私が聞いてあげたいんだけどね、ワイン二杯でこのざまなわけよ。前半はしゃぎ過ぎたから余計にね」
「ほんとお酒弱いんですねぇ……」
 見た目、そうは見えないんだけどなぁ、と八束は思う。どちらと言えば、夜景を見ながらワイングラス回していたって似合いそうな男なのだが。
「酒弱いのは体質だから仕方ないです。でも今は、君があの子の王子様なのだから、仕事はきちんとやるべき」
「酔ってますね」
「酔ってないよ。そこまでひどくないはずだよ」
 いや酔ってるよ、と八束は思うが、彼の言いたい事はなんとなくわかる。
 故郷とも言える様な土地に帰って、なぜか若干しんみりしている長畑の事は気になる。
 彼にしかわからない思いだとか、いろいろあるに違いない。
 自分は王子様だなんて格好の良いものではないが、力になれるならなんでもしたい。
「あれ、起きてるの?」
 そのとき洗い物が終わったのか、長畑が台所から顔を見せた。
「ソファで寝てたら風邪ひくよ。ベッド行って寝なよ。片付けたら、僕ももう寝るから」
 長畑はそう言いながら、再び台所に引っ込んだ。グラハムはふぅ、とため息をつく。
「……八束君、策に溺れるとはこの事だね」
「策って言うか……もう立てるうちに立って部屋行って寝ましょうよ」
 八束が呆れながら腕を引っ張ると、グラハムは「ねむいー」と唸りながら身を起こした。
「という事で私、本気で眠たいので、後の事はよろしく。お話は明日伺う。お休み」
「はい、お休みなさい……」
 八束が一応そのように答えると、グラハムは満足したのかソファから立ち上がり、ふらふらと自室に向かって行った。