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夏の光、俺の血筋

03 殴った理由


 「その、何か荷物とかあれば……運ぶの手伝うけど?」
 晴天の広がる、眩しい玄関。
 二人残され、しばらく何を言えばいいのかわからず黙って見つめ合ってしまったが、健一郎は気を利かせてそう言った。園田と名乗った制服姿の同級生は、あまり表情を動かさず、小さく首を横に振る。
「荷物は、これだけだから」
「……それだけ?」
 思わず、そんな声を出してしまった。園田の肩には、大きなスポーツバッグがかかっている。だが中に物がぎちぎちに詰め込まれているという様子もない。
(でも、寮生の私物なんて、こんなもんなのかな? 相部屋みたいだし)
 体育科の寮に入った事はないが、部屋は数人の相部屋だと兄から聞いた事がある。遠方からくる生徒に私物を持ちこむスペースなど、そうないのかもしれない。
「じゃあ、とりあえず部屋に案内するよ。なんかその、来たばっかりなのにバタバタしていて悪いんだけどね」
 健一郎は母親の走っていた店舗の方に視線をやる。
「うちは店やっているから、日中はいつもあんな感じなんだよ。わからない事あったら、とりあえず俺に聞いて。部活もやっていないし、毎日暇してるし」
 健一郎の言葉に、園田はこくりと頷いた。


 家の中庭に面した縁側を、園田を伴って歩く。
 彼は物静かな男で、こうして二人歩いていても、何も喋ってくれない。人見知りなのか緊張しているのかわからないが、健一郎はだんだんと、沈黙が苦痛になってきた。何か自分が、沈黙を破らなければいけない気がする――そんな気がして、無理やり話す話題を頭の中で探していると、意外にも園田が先に口を開いた。
「あの」
「な、なに?」
 健一郎はどこかびくつきながらも、振り返る。園田はどこか遠慮がちな、こちらを窺うような顔つきで言った。
「志方彗さんは、今は一緒じゃないのか?」
「……あぁ、兄貴?」
 突然の問いに、目を丸くしながら答える。
「兄貴なら、今大学近くで一人暮らししてるよ。夏休みだし、そろそろ戻るって話だけど……あんた兄貴の事、知ってるんだ?」
そう問うと、園田はどこか照れくさそうに、こくりと頷いた。
「……ファンだった」
「へぇ」
 意外なひと言に、思わず顔がにやけた。兄のファン――そう言われると、なんだか悪い気はしない。
「なんでまた。甲子園か何かで見て?」
「そう」
「でも俺、兄貴のファンって奴に会ったのは初めてかも。お前も捕手?」
「いや、俺はピッチャーだけど」
「あぁ」
だろうなぁ、と健一郎は園田の体つきをまじまじと見た。背も高いし、筋肉質ではあるが細身。投手体型っぽいなぁ、と思う。
「あの人、捕手としても上手だったけど、打つし足も速くて。なんかこう、マスクとって打席に立ったとき、絶対に打つみたいな、顔つきが変わる瞬間というか、オーラみたいなのがあって」
「うん。そうだねぇ」
 途端に多弁になった園田が微笑ましくて、健一郎は思わずにやにやと笑いながら相槌を打った。
 兄は確かに弟の自分から見ても憧れの対象で、プロからも実際に注目されていた選手だが、世間で人気が出るほどのスター選手だったというわけではないし、こんな年下のファンというのも珍しかった。
「テレビで見て、ポジションは違うけどなんか憧れた。打撃フォーム真似てみたりとか――」
 そこまで呟いて、はっと園田は言葉を止めた。妙に語ってしまった自分に気付いたらしい。
「……悪い。いきなりこんなに語って」
「いや、別に。俺も兄貴の事は尊敬しているから、そこまでファンだと逆に嬉しいよ。多分兄貴も喜ぶと思う」
 笑いながら言ってやると、園田は少し顔を赤らめながら、俯いた。
(こいつ、意外に親しみやすいところあるじゃん)
 真面目で寡黙なしっかり者という印象が強かったので、同年代とはいえ取っつきづらいと感じていたのだが、こんな一面もあったらしい。数年前の兄の甲子園での活躍は、当時から野球少年であったろうこの男に、少なからず影響を与えていたようだ。
「じゃあうちに下宿するのって、兄貴のファンだから、ってのが決め手だったのか?」
「いや。声をかけてくれたのが志方さんのお父さんだったって言うのは、後から知った。そういう下心はなかったよ。……俺が部にも学校にも迷惑かけたの、あんた知っているだろう?」
「うん。俺はさらっと聞いた程度だけどな。体育科の事はよくわからんし」
 健一郎は言葉に困りながらも、そう返した。
 寮での乱闘騒ぎ。事の発端は、複数の上級生による言葉のいじめ。加害者の退部、部活動の数か月停止処分──初夏にそんな事件があったとは、健一郎も知っている。
「寮長と志方さん……お前のお父さんだけど、知り合いだったんだな。騒ぎの後、寮長経由でその話を聞いたらしくて、志方さんがうちなら部屋も余っているし、学校近いしって声をかけてくれたんだよ」
「へぇ。多分兄貴がいた時代に知り合ったんだろうけどね。あの頃結構真面目に応援とかしてたし」
 健一郎にとっては父は近寄りがたい存在だが、商売人でもあるし、付き合いが悪いというわけではないのだ。兄が数年続けて甲子園に出場した野球部黄金期時代、周囲の父母と熱心に応援していたことは覚えている。
「――それで、なんかお前のお父さんと俺の父さんも友達だったみたいなんだけど、それ知ってる? 俺、いまいちなんか想像つかなくて」
「さぁ」
 途端に、園田の表情が凍った。そう呟かれた声も、冷ややかだった。
「俺もその事は知らないよ。親父ももう死んでいるから、聞きようがないしね」
「あ……そうなんだ」
 ――死。
 生々しい単語が、胸に突き刺さる。能天気に悪い事を聞いてしまったな、と健一郎は後悔したが、園田は大して気にしていない様だった。
「俺の親父に負い目があるんだって、確かに言われたけど……俺の親父は何も言っていなかったし。ただ、どっちかと言えばうちの親父の方が迷惑かけたんじゃないのかな。本当、どうしようもない人だったんだ。借金は作るし帰ってこないし、いろんな人に迷惑かけて――死ぬちょっと前だけまともになったけど、結局は若い頃の酒の飲み過ぎで体が壊れて、死んだ。自業自得だよ」
 どこか吐き捨てるような言葉だった。園田はきっと、己の父に良い感情などないのだろう。心底軽蔑しているようでもあった。
「親父のようにはなるものかと思ったんだけどね。あんな騒ぎ起こしちゃ、俺も同じだよな。いろんな人に迷惑をかけた」
「いや、ベクトルは違うと思いますが……結局のところ、何言われたんだ……?」
 聞きにくい事だとは思いつつも、健一郎は尋ねる。やはりこの男が、いじめられるようなタイプには見えなかったのだ。
 園田はその話題にはあまり触れたくないらしく、一瞬黙った。しかし無視するのもどうかと思ったらしく、少し考えて口を開いた。
「親父に対する悪口なら、別にどうでも良かったんだけどね。……母親の悪口を許せなかっただけ」
 詳細はぼかしたが、園田はそう、はっきりと告げた。
 園田は家庭環境に複雑な問題を抱えていたようだ。それを何かの拍子の性質の悪い上級生に知られ、事あるごとにからかわれるようになったのだろう。我慢強く耐えたが、ある日母親の悪口まで言われた。母の事は決して嫌いではないのだろう。園田の口ぶりから、それはわかった。
(で、殴ったのか)
 散々噂になっていた、野球部の事件。
 健一郎自体はそこまでそれに興味を持ったことはなかったのが、初めて真相を知った気分だった。
「でもさ、家庭の事情なんて人それぞれじゃん? そんなの言う奴が悪いよ。止めなかったのかよ、周りも」
「結構乱暴な人たちだったからね。先輩相手に何か言って、やり返されるのが怖かったんだろ」
「あー、嫌だね、そういう体育会系。俺絶対関わりたくない」
 顔を歪めて嫌悪感を丸出しにした健一郎を見て、園田が苦笑する。
「でもまぁ、周りも悪いとは思ってくれたんだろ。先輩殴り飛ばした俺を、散々擁護してくれたから。本当なら俺も辞めなきゃいけなかったんだろうけど、一生懸命引き留めてくれてね。……でも、それから凄く気遣われるし謝られるし、先輩たちは遠巻きだし、寮に居辛くて。だから志方さんのうちに来いって申し出は、凄く有難かったんだ」
 園田はそうどこか清々しげに言うと、健一郎に向き直り、頭を下げた。
「そういうわけで、同じ学校って事で何か言われて迷惑かけるかもしれないから、先に謝っておく」
「謝られてもなぁ……」
 健一郎は頭をかいた。
 確かに面倒事は嫌いだ。自分は日々平和に生きていたい。
 だが、こうして話を聞いてしまえば何だか邪険にはできないし、兄のファンだとも言う。そんな貴重な存在に、多少興味が出て来たのも事実だ。
「仮に嫌だって言っても、俺にはこの家で決定権なんぞないので。ドロドロな野球部の内情もよくわからないし」
「別にそんな事話したくもないけど」
「俺も聞きたくないよ」
 健一郎は苦笑いしながら、園田を見た。彼も少し笑っていた。
 最初に感じていた取っつきにくさや緊張といったものが、健一郎の中で多少薄くなっているのを感じる。いじめなんて言葉を聞いていたから、根暗な男なのかとも思ったが、そうでもない。普通の、同年代の男なのだ。
「まぁその、よろしく」
 極力軽い口調で言ってやれば、園田も頷いた。
 庭の樹にとまったアブラゼミの鳴き声が、やかましかった。